18)村松さんのCBC時代(2)

[優秀な先輩達]

名古屋に移ってからの村松さんのQSLカード

厳しい試験を潜りぬけたり、関連他企業などから集った先輩は中部地区初のテレビ開局の夢に向けて燃えていた。「1年先輩の宗雪成敏(JA2AL)さんは名大の電気卒、若手技術者のバリバリだった。ただ、業務が多忙であり最後までQSOの機会はなかった」と村松さんは今でも残念そうだ。宗雪さんは後に中京テレビの建設に加わり役員になった。

村松さんが入社そうそうに助手として勉強させられたのが前原恒之さんだった。「FM愛知」の山形賢次(JA2BNV)さんは、村松さんの制作仲間であり、ゴルフ仲間であるが、会うたびに「社長室に行こうと誘われた。そのころ社長室に座っていたのが前原さんだった」という。

[大童なTV開局準備]
局内外ではテレビ放送の準備が大童で進められていた。すでに東京で放送が始まっているとはいえ、映像制作、送り出しなどのスタジオ設備、送信機、アンテナなどは初めてのもの。国産、輸入品など売りこみも激しい割には設備が期日に間に合うかどうか、時間との競争であった。東京の局は全て米国製の輸入であったが、CBCは国産第1号の送信機、アンテナを採用した。

このため、村松さんら技術要員10数名は昭和30年(1955年)暮れから、翌年夏までの期間、NHK技研、ラジオ東京、日本電気玉川工場、NTTなどに派遣された。村松さんはマイクロウェーブ機器の実習を受けた。NTTマイクロ回線の中継所から自局までの引き込み回線は、当分の間CBCの設備を使わざるを得ないことになっていたからである。

このような放送準備のための技術課題とは別に放送エリア変更の問題が起こった。当初、CBCは愛知、三重、岐阜、静岡の4県をエリアとする計画であったが、当時の郵政省は静岡県に独立の放送局設置を認めた。CBCにとっては予定が狂ったが、放送開始が先決問題であり、やむをえないと従うことになった。

[東名阪マイクロ回線網]
名古屋市の中心地近くにNHKと共同のテレビ搭ができあがったのは入社した年の6月と早かったが、さまざまな課題が山積していた。東京から映像を送るマイクロウェーブ回線網建設もその一つであった。前年2月にNHK、8月に日本テレビジョン放送網がそれぞれ東京でテレビ放送を開始していたが、NHKはそれに先立ち東京―名古屋―大阪間にマイクロウェーブによるテレビ中継放送網を開設していた。

それが、わが国初のマイクロ回線網であったが、昭和29年(1954年)4月には日本電信電話公社(現NTT)が東京―名古屋―大阪間にマイクロ回線網を完成させた。ただし、これは増加する電話に対応した公衆通信業務に使用するのが目的であった。東京に2番目の民放テレビがラジオ東京(現TBS)によって開局されたのが昭和30年(1955年)4月。


NTTの大野木中継所(円間さん提供)

[他局番組が流れる]
CBCとOTV(現朝日放送)が、それぞれ名古屋と大阪で放送開始したのは翌年11月であり、その対応として日本電信電話公社は東名阪間にテレビ中継マイクロ回線1回線を作リ上げた。CBC、OTVは東京2局の番組を手動で切り替えながら受け取ることになっていた。東京2局の始めと終わりが一致していないと、うまく切り替えても他局の番組が流れてしまう。

NTT側の切り替えがうまくいったにもかかわらず「CBCの担当になっている中継所からの局までの切り替えが早すぎると、尻切れになってしまう恐れがあり、緊張してやった」とその時の苦労を村松さんは語る。まだ、VTR(ビデオテープレコーダー)のない、生放送時代の悩みであり、さらに、東京からのCMとCBC側のCMを流す民放特有の難しさがあった。

番組制作、報導連絡無線にはVHFの10〜50W・FM機の陸上無線機が使われていたが「モトローラ、NEC製などが混在しており、真空管回路の大きく、重いうえに操作がなかなか難しかった。アマチュア無線機に慣れたハムにも面倒だった」と言う。


偶然言葉を交わしたJA9AA、円間さん

[円間さんとの出会い]
このころには村松さんはマイクロ担当になっており、送られてきた映像を名古屋統制無線中継所から局まで電送する仕事を行っていた。「最初のころはうまくいかずにだいぶ苦労しました」思い出があると言う。ある時、野球中継の画像が送られてきたがレベルが低かったため、電信電話公社大野木中継所勤務の職員とやり合った。相手は「円間です」と名乗った。

問題が解決した後、村松さんは心当たりがあったので「円間さんといわれましたが、JA9AA(前JA2WA)の円間さんですか」とたずねる。「そうです。ひょっとするとJA2ACさんですか」というやり取りがあった。村松さんと円間さんは「WAJA」1番乗りで競争した仲であった。なお、円間さんのことは、別の連載「北陸のハム達。円間さんとその歴史」で詳しく紹介している。