21)村松さんのアメリカ時代(2)

[パワー当たりのコストで選べ]

クイーンズのアパートでねじり鉢巻きで受信中

当時は日米間は「相互協定」が結ばれていなかったため、米国内で波を出すことはできなかった。ちなみに、日本でアマチュア無線技士の免許をもつハムが、世界のどこに行っても電波を出すことができるこの「相互協定」が、初めて米国との間で結ばれたのは昭和60年(1985年)9月になってからである。村松さんは「世界のニューヨーク、ハムの本拠地でARRL(全米アマチュア無線連盟)やCQのコンテストを聞いてみたかった」と、無線機の購入を決める。

村松さんは「アラウンド・ザ・レィディオショップ・イン・ニューヨーク」としゃれてラジオ屋回りを始めた。ラジオ屋には「全盛期を過ぎたハマーランドやナショナル製が山と積まれ、高価で手の出ないコリンズ社のシリーズ、さらにキットのヒース製品、一般向きのドレークやスワン製が並んでいた」と言う。

その時の「身近のハムの助言が面白かった」という。「HFかVHFを選択したら、パワー1W当たりのコストで決めろ」ということだった。「いかにも合理的な米国人的な考えで、日本では考えもしない発想だった」と村松さんは妙に感心したらしい。結局、6メーターのスワン250トランシーバーと、2メータートランスバーターのTV−2とのコンビを626ドルで購入した。

これらの機器の選択は「HFは日本からでも聞ける。日本からは受信が不可能に近い6メーターと2メーターのSSB機を選んだからである」と言う。スワン250は376ドル、TV2は250ドルで、ともに定価の17%引きであった。友人からは「まだ下手だ。20%引きまで交渉すべきだった、と厳しく言われた」ことを覚えている。


ニューヨークで制作した受信カード。2つの住所を記載した

[再びSWLに]
アンテナはエレメントの多い八木を建てることが不可能なため、屋上の洗濯干し場の竿にフォールデット・ダイポールを取り付けることにした。そのアンテナは、かつて日本で盛んに自作した「鴨居(かもい)アンテナに近いもので」あったが、手元には工具もハンダごてもない。同軸ケーブルでももっとも細い1.8Cを窓の外壁に20m這わせ、部屋に引き込んだ。「もちろん家主には内緒だった」と村松さん。

スイッチを入れると「聞こえる、聞こえる」と村松さんは興奮してしまった。心配したケーブル・ロスもそれほどなく、GWではボストン、ニューヨークが中心だが、折りよくES(スポラジックE層)の最盛時のため、全米、南アメリカ、カナダも聞こえる。ただしアフリカとヨーロッパは入感がゼロだった。待望の「ARRL VHFコンテストは48時間テープレコーダーを回しっぱなしで録音した」と言う。「“CQ2メーター”と呼びかけるSSBの波は今でも耳に残る」と感慨深げである。

それからは受信に没頭した。アマチュア無線が許可されなかった浜松時代、夢中になって受信した時のことがよみがえってきた。当時との違いは自作機ではなくメーカー製のしかもSSB電波を受信していることだった。受信カードを作りコールブックで調べては次々とカードを送った。カードにも工夫を凝らした。JA2ACのコールサイン、名前のほか、名古屋とクイーンズ両方の住所を記載した。

結局、最終的には約300局を受信し、レポートを送った結果200枚程度のカードが送られてきたが、調べると米国の50州を受信していた。50州全州との交信の場合は「WAS」アワードがもらえることを知っていたが「受信だけでは権利がなく残念な思いをした」と言う。つくづく「相互運用協定が早く結ばれていれば」と悔しかったと言う。

[連夜のホームパーティ]
村松さんは日本にいては聞くことの出来ない144MHzや50MHzの電波を楽しんだ。しかし、カードが送られると多くのハムが大騒ぎした。「50MHzでの送信が日本の名古屋に届いた」「144MHzを日本のハムが受信してくれた」「SWLカードを日本から受け取った」「144MHzの交信距離のレコードだ」などのQSOで賑わっている。

やがてQSOの内容は「いや、どうやら彼はWCBSに滞在中だ」「ニューヨークのアパートにいるようだ」に変る。カードに記載した名前は「Tak Muramatsu」だったため「TakはSWANを持っている。つぎのパーティに呼ぼう」「アイボールパーティに招待したい」のQSOが交わされ出した。


ARRLハドソン部会のコンベンションでは1968年の「ミスアマチュアレィディオ」にウィルコックスさんを選んだ

村松さんは「作戦成功」と楽しかったらしい。ところが、招かれたパーティーは「タフなアメリカ人。夜8時ごろから始まり日を超えてしまうことも多かった」と何度もそのバイタリテイに驚かされた。村松さんは日本の雑誌「CQ ham radio」を持参して行ったが、漢字が珍しいらしく雑誌は人気になった。

[フェスティバル/コンベンション]
交流の輪も広がり、夏ころには遠出して「ハムフェスティバル」などを見に行くようになる。「フェスティバル」は日本ではまだ実施されていない内容のものだった。「ミス・ハム」の選出、アメリカのコールサインをナンバーにつけた車、おしゃれなアンテナを取り付けた車、そして、アマチュア無線関連品のオークション。「いずれも楽しいイベントだった」と満喫している。