「ATRAC」とともにMD開発の要となった「ショックプルーフメモリー」

MD開発に成功できたのは、デジタル圧縮技術「ATRAC」(Adaptive TRansform Acoustic Coding)があったからと言えるが、実はもう一つの重要な技術があった。それが半導体メモリーを使った「ショックプルーフメモリー」である。ソニーではMD開発の目標として「カセットのように録音できる」、「CDのように高音質で瞬時に頭出しができる」ことであり、かつ「持ち歩きに便利なポータビリティの確保」を目指していた。そしてCDは「ゆったりとして音楽を聴く時に」、MDは「ウォークマンのようにいつでも、どこでも、手軽に音楽を楽しむ」と使用目的を明確にし、開発に着手した。そのポータビリティの良さをディスクメディアながら実現できたのが「ショックプルーフメモリー」という新技術だった。これで、持ち歩き再生時のプレーヤーの音飛び原因となる振動への対策も完璧となった。

我が国エレクトロニクス業界においてエポックメーキングな製品・MD

そんなわけでMDは我が国エレクトロニクス業界においてエポックメーキングな製品と言えるだろう。当時はまだ高価な半導体メモリーを使っても「ショックプルーフメモリー」は不可欠だった。同じ録音機器でもテープレコーダーの場合は、磁気テープと磁気ヘッドが録音時、再生時とも接触した状態であるため、振動の影響を受けづらい。一方、ディスクをメディアとするCDやMDの場合はピックアップとディスクは接触しておらず振動の影響は受けやすい。

CDの場合は再生専用なのでレジューム機能で対応できるが、録音・再生両用のMDで録音する場合は、振動の影響で光ピックアップがずれた場合、そのままでは録音がうまく行かない。その振動対策のためにMDには録音・再生時に半導体メモリーによる「ショックプルーフメモリー」が採用された。

録音・再生時の振動対策を万全とした「ショックプルーフメモリー」

MD再生時には、光ピックアップにより1.4Mbit/sで読み出したデータを半導体メモリーに一旦プールして置き、0.3 Mbit/sで ATRACデコーダーへ送り出す。ATRACデコーダーからD/Aコンバーターへ1.4Mbit/sで送られ音声として再生される。1Mバイトの半導体メモリーを使うと約0.9秒でメモリーが満杯になり、約3秒間の音飛びに対応できる。またメモリーが満杯になり、溢れてしまわないように読み出し量をコントロールしている。これは録音時にも行われる。44.1kHzでサンプリングしA/D変換し、ATRACで圧縮しディスクに記録する。ディスクへの記録は約300kbpsでよいのだが、実際、ディスクはその4倍以上の回転数なので、間欠記録を行い休み休み記録している。もしも録音中に振動が起き、ピックアップと記録トラックがずれたら、記録を一旦中止して再度クラスタの頭から記録する仕組みとなっている。これも、「ショックプルーフメモリー」があればこそ出来る技であり、MDが録音時も振動にうまく対処できる理由でもある。

「ショックプルーフメモリー」はアクセス性向上、省電力化にも貢献

「ショックプルーフメモリー」は1Mバイトの容量で約3秒間の音飛びをカバーできるので通常の振動ならこれだけで対応できるが、徐々に2Mバイト、4Mバイトと大容量化して行った。確かに半導体メモリーは急速に低価格化が進んでいたのだが、振動対策だけならいかに安くなったからと言って、そこまでやる必要は無い。実は、MDプレーヤーのアクセス性の向上や電池の消耗を削減する省電力化にも利用されていたのである。

ディスクにはTOC、UTOC情報が記録されており、記録や再生時にこれらにある情報をピックアップが読み取るために何度か移動する。しかし、一度読み取った情報を「ショックプルーフメモリー」に記録しておけば、いちいち読み取りに行かずとも、メモリーから読み取れば素早いアクセスが可能となる。さらに、ピックアップの移動量が減るということは、サーボ系の消費電力の削減となり駆動用電池の消費も少なくて済む。これは、ポータブルオーディオ機器にとっては電池の小型化や、本体の軽量化が可能となり大きなメリットである。

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MDのデータの流れ(※クリックすると画像が拡大します。)

ディスクを抜き取っても音楽はそのまま流れ、発表会で記者達を驚かせた

1991年5月に、ソニーはMDを新しい時代のパーソナルオーディオとして記者発表会を開いた。その時、再生中にMDプレーヤーからディスクを10秒間ほど、抜き取っても音楽はそのまま流れ、再度ディスクを挿入したら、途切れる事無く何事も無かったかのように音楽が流れ続け、列席の記者達を驚かせた。新デジタル圧縮技術「ATRAC」もさることながら、ディスクを抜き取っても音楽はそのまま流れることの方が衝撃的だった。これは、半導体メモリーを使った「ショックプルーフメモリー」のなせる技だった。ずっと後のことになるが、半導体メモリーに音声データを記録したことは、磁気テープや光ディスクを使用せず、全く機械的な駆動装置が無くても音楽が楽しめるソリッドステートな録音・再生機器が登場するきっかけとなったと言える。そして、半導体メモリーの大量生産でコストダウンが進み、記録容量もKバイトからMバイト、Gバイトとアップしていくと、音声ばかりでなく、よりデータ量の大きな映像まで半導体メモリーが利用されるようになって行く。

参考資料:JAS journal(日本オーディオ協会編)、日本ビクターの60年史、SOUND CREATOR PIONEER、ソニーHP、ソニー歴史資料館、パナソニックHP、JEITA・HP、「CDのすべて:河村正行著」(電波新聞社)ほか