1960年、19歳の時にアマチュア無線局JA2BNNを開局した野瀬隆司さん。開局当初はHFでの普通の交信に明け暮れたが、次第にアマチュア無線の競技であるコンテストの魅力に惹かれ、1965年頃からはコンテスト中心の運用となる。

1980年、当時はまだ珍しかった別宅シャックを、岐阜県蛭川村(現中津川市)に建設。絶好のロケーションを活かして、その後のコンテストでは上位入賞を重ねるようになる。その傍ら1976〜1995年の19年間に渡って、愛知県監査指導委員長を務め、アマチュア無線の正しい発展に貢献する。

リタイアした後も、2006年にはブラジルで開催された、純粋なアマチュア無線の運用技術を競うWRTC(世界ラジオスポーツ選手権)に日本代表選手として参加するなど、現役でコンテストを続ける一方、若手の運用技術の向上のために別宅シャックを提供して、後進の育成にも取り組んでいる。

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