JA2BNN 野瀬 隆司氏
No.14 WRTC(1)
[WRTC]
純粋なアマチュア無線の運用技術を競うイベントとしてWRTC(The World Radiosport Team Championship)がある。これは基本的には4年毎に開催されることもあって、アマチュア無線のオリンピックとも言われている。ここで簡単にWRTCの歴史に触れると、1990年、米国シアトルで第1回が開催され、1996年には同じ米国のサンフランシスコで第2回、2000年にスロベニアで第3回、2002年にフィンランドで第4回が開催されている。一部変則的な年度での開催もあるが、2006年にはブラジルで第5回が開催されることが決まった。
2006年ブラジル大会のパンフレット。
このWRTCは、IARU(International Amateur Radio Union)が毎年7月の第2週末に開催しているHFチャンピオンシップコンテストに便乗して行われるため、第5回WRTCブラジル大会は2006年7月の開催と決まった。大会への出場枠は、各国の(コンテストの)実力やアクティビティに合わせて設定されるが、ブラジル大会では合計46枠(46チーム)が用意された。
合計で46枠あるにも関わらず、日本にはわずか1枠(1チーム)しか与えられていなかった。競技は2人の選手でチームを構成して行うため、100万人以上のアマチュア無線人口のある日本からでも、わずか2人しか選手として出場するチャンスがなかったということになる。
[競技の内容]
競技の内容は、各チームが主催者から与えられたWRTC用の特別コールサインを使用して、IARUのHFチャンピオンシップコンテストに参加し、高得点を上げたチームから順位がつけられるという仕組みになっており、最高得点を上げたチームが優勝である。一般の参加局と異なるのは、WRTC用の特別コールサインの局は、マルチプライヤーになるため、一般の局から次々に呼んでもらえることである。
設備に関しては、トランシーバーと周辺機器だけは各チームが、使い慣れたものを自前で用意することになっているが、アンテナはチーム間に差が出ないよう、全チームが同じ性能のアンテナを使用して運用することになっている。ブラジル大会の場合は、すべてのアンテナを主催者が用意したため、全チームが同一のアンテナを使用した。具体的には逆Vアンテナ(3.5MHz)、2エレ八木アンテナ(7MHz)、ログペリオディックアンテナ(14〜28MHz)と、であった。さらに、リニアアンプも主催者が用意したため、出力も全チーム同じ条件(約600W出力)となった。
ブラジル大会で使用された共通アンテナ。写真は大会本部に設置されたもの。
運用サイトは、アマチュア無線の性質上、同一箇所から全チームが同時に運用することができないため、各地に散らばって運用することになるが、開催地域の既存のアマチュア無線局のシャックを借りることが多い。ブラジル大会でも、サンタカタリナ州内にあるアマチュア無線局のシャックから運用を行った。ただし、ロケーション的にはどうしても差が出てしまうため、運用シャック(サイト)は厳正な抽選で決められる。同時に、使用するコールサインについても抽選で決められる。
[代表の選考方法]
2006年のブラジル大会開催に先駆けて、前年2005年の秋頃からエントリーの受付けが始まった。日本代表に選出されるには、まずはインターネットの特設サイトでエントリーすることになっている。そのサイトで、自分が過去3年間に参加した、WRTCのポイント計上に指定されているコンテストでの成績を計算する。日本の場合は1枠だったので、ポイントの最上位になった者が選出される仕組みである。すなわち、過去3年間、WRTC指定のコンテストで好成績を積み重ねておくことが、代表として選出される条件になる。
ブラジル大会の場合は、主催者の意に反して、日本からのエントリーが極端に少なかった。というのは理由があって、ブラジルといえば日本からみると地球の裏側である。だから現地との往復に多大な時間がかかる。競技の時間、競技前後のセレモニーなどの時間、現地での移動時間、日本からの移動時間を合計すると、最低10日間は必要となる。そのため、勤め人にとっては、盆、正月でない時期に10日間以上に及ぶ休みが取れないのが普通だからである。
[日本代表の選考]
日本からのエントリーが少なかったため、主催者からは日本の著名なコンテスターや、アクティブに活躍している局に対して、様々なルートでアプローチがあった。そのようなアプローチを受けた1人にJK2VOC福田さんがいた。日本屈指のアクティブコンテスターである。福田さんは、「まさか、自分が選ばれるとは思いもよらなかったため、軽い気持ちでエントリーしました」と言うが、結果的にポイントの最上位となり、最終的に日本代表に選出された。
野瀬さんはエントリーしていないが、自分がそのような大会に日本代表として出ることなど、想像もできなかったからであった。WRTCでは、1チームの2名ともポイントで選考するのではなく、1名をポイントで選考し、選考された者には自分のパートナーを決める権限が与えられることになっている。2006年の1月中旬、福田さんはブラジル大会の日本代表選手として選考され、パートナーを決める権限が与えられた。
日本代表に決まった福田さん(左)と野瀬さん(右)。バックの海は大西洋。
[日本代表に決まる]
福田さんはさっそく知り合いのコンテスターの何人かに声をかけたが、さすがに10日間以上の休みの取れるコンテスターは皆無で、「OK、行こう」と返事をしたのは野瀬さんだけであった。こうして、野瀬さんはWRTCブラジル大会の日本代表に決まり、福田・野瀬チームとして出場することになった。野瀬さんは、2002年にリタイアしていたため、比較的日程の自由が効いたのが幸いした。一方の福田さんは、14日間も仕事を休むことになったという。
ブラジル大会への参加証明書。
代表に決まって以後、2人は7月の大会に向けて半年間かけて準備を進めていった。現地のホテルの予約は、主催者が指定するホテルにインターネット経由で予約を入れたが、「Thank you」という表示は出たものの、それ以降音沙汰が無く心配になった。そうこうするうちに、WRTCのスタッフから、到着と出発の飛行機の照会などが来て、予約が入っていることを確認できた。
そのホテルは、プライベートビーチも有する「Costão do Santinho」というリゾートホテルで、南米のお金持ちが長期滞在するようなところだった。参考までにと日本の旅行社のホームページを見たら1泊1部屋2〜2.5万円もするようなところだったが、WRTC参加者は1泊3食(ただし飲み物は別)で、1人あたり2000円もかからなかったという。「このホテルは、大会の開会式、閉会式、懇親会、その他大会のメイン会場として、主催者が長期間かつ各種の施設を利用した為、WRTCの選手や役員には、特別な配慮がなされていたのではないかと思います」と野瀬さんは話す。
「Costão do Santinho」ホテル。