約50年前から2m(144MHz)に取り組んだのが大阪の関森源治(JR3PIO)さんだった。多忙な健康保険関連の仕事のため、長い間のSWL(短波受信者)を経て、免許を取得したのは昭和48年(1973年)。その後3〜2アマを取得し現在に至っている。その当時は大阪2mSSB愛好会を設立し、JARLの関西地方本部役員として活動、その後松愛会ハムクラブ(松下電器OB)を設立するなど積極的にアマチュア無線への挑戦を始める。また、航空機、ヨット、自動車での移動、外国での運用も行った。松下電器の「松下記念病院」の社会業務部長、病院事務長を務め、松下幸之助・創業者や当時の経営幹部に親しく接したことでも知られており゛人に尽くしてあげる゛を座右の銘にしている。

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