JA2BNN 野瀬 隆司氏
No.8 コンテストに本格参加(2)
[マルチバンドでエントリー]
蛭川のシャックから出るようになっても、月曜日に休暇が取れないことで、当初は21MHzシングルバンドでエントリーすることが多かったが、90年代に入ると月曜日の朝の会議が別の日に変わり、月曜日に有給を取る事ができるようになり、マルチバンドにエントリーすることが多くなっていった。1990年代は仕事も忙しかったが、心身ともに充実しており、CQWWDXコンテストなどにもマルチバンドにエントリーして、エリアトップでよく入賞した。「入賞もできるようになったのは、やはり500Wになってからですね」と話す。
1999年、CQWWDXコンテスト電話のオールバンド部門で2エリア1位になり受賞した賞状。
時には、国内コンテストへもマルチバンドでエントリーすることもあり、開催時間が6時間と短い東海QSOコンテストには2回エントリーし、「2回とも電信電話で岐阜県トップになり、協賛の中日新聞賞の盾を2個もらいました」と話す。リタイアした後は、時間の制限がなくなったため、48時間コンテストでは月曜日の朝9時(世界標準時では日曜日の24時)のラストまで運用するようになったが、「最近月曜日の朝にできる北米の局数が、だんだん少なくなっているような気がします」と話す。「カリブの連中がパラパラと呼んできますが、彼等も相手がいないからバンドサーチに回っているのでしょう」と続ける。
1996年、東海QSOコンテストの個人電信電話部門で岐阜県1位になり受賞した盾。
70歳近くなった今では、マルチバンドへのエントリーは体力がいるので手に負えず、再びシングルバンドへのエントリーが多くなってきている。例えばオールアジアコンテストは14MHzシングルバンド、JIDXC(Japan International DX contest)は21MHzシングルバンドに出ることが多い。オールアジアコンテストはアジア対世界、JIDXCは日本対世界のコンテストで、何れも日本がホスト国なので、世界からコールしてもらえる。日本以外の局はアジア/日本の局とQSOしないと得点にならないからだ。彼等は一生懸命日本の局を捜してくれるため、これらは野瀬さんのお気に入りのコンテストである。
1995年、JIDXC電話の21MHzシングルバンド部門で全国1位になり受賞した盾。
[データ解析]
野瀬さんはコンテストに参加するに先立ってやっていることがある。過去の交信データから、何時にどこのバンドでどこと交信できたかを研究し、それをまとめて、時間毎の運用バンドとビーム方向に優先順位をつけたスケジュール表を作っている。雑誌に掲載されている他局のQSOレポートももちろん参考にしている。優先順位は、A、B、Cとランク付けし、AがダメならB、BがダメならCという具合に、コンテスト中に選択していくという。
さらに、「コンテストにおいては、いつ睡眠を取るかが重要なポイント」と野瀬さんは話す。CQWWDXなど運用時間制限のない48時間コンテストにおいては、さすがにフル運用はできないので、睡眠時間を的確に選定することが、得点向上の鍵となるからだ。これも野瀬さんは、過去の交信データを参考にして、一番効率の悪い時間を睡眠に割り当てている。膨大な過去の交信データがあるからできる技である。
「最近は、データ解析をする根気が無くなったし、体力もなくなった。40代から50代の頃が脂も乗って充実していた。60代後半となった今はもう長時間の参加は困難だが、24時間オープンしないシングルバンドならなんとかいけるので、またまだ現役を続けたい」と抱負を話す。
[KH6IJ]
野瀬さんは、今でも太平洋の局からよく、「KH6IJとはどういった関係だ」と聞かれると言う。1994年に没したKH6IJノセカタシさんは、ハワイから運用していた日系の米国人で、トップコンテスターとして世界に名前を知られる有名人であった。一方、野瀬さんの下の名前はタカシであり、「ノセカタシ」と「ノセタカシ」でお互いにコンテストに良く出ているとあっては、親戚かも知れないと思われても不思議ではない。
KH6IJノセカタシさんから受領したQSLカード。
フィジーなど太平洋の小島の局からよく手紙が来て、「KH6IJには大変世話になった」と書かれていた。オーストラリアやニュージーランドのような大国の局からは言われたことがないので、「おそらく、KH6IJノセ氏は、太平洋の小国のアマチュア無線の発展に尽力したのだろう」と話す。もちろん、オンエアでの問い合わせや手紙には、「私とは関係ないですよ」と返信した。
[アワード]
コンテストでは極力短時間で1QSOを終える必要があるため、交信中にQSLカード交換を約束することはほとんど無い。従って、QSLカードを発行する義務は無いが、野瀬さんは、同じ局でもバンド・モードが異なれば、100%QSLを発行している。「これは、次回のコンテストのとき、より多くの局に呼んでもらう為の布石です」と説明する。多くのコンテストに参加して、局数をこなすと、意識しなくても自然にQSLカードが集まってくる。QSLカードがある程度集まると、アワードを申請する局も多い。
野瀬さんは、「アワードにはあまり興味がありませんが、過去には何枚か申請したことはあります」と話す。野瀬さんが取得したのは、WAC(Mixed、およびPhone)、ADXA、AJA-2000、AJD、JCC-100(特記なし、およびCW特記弟94号)、JCC-200(CW)、88-JA8/2,OHAなどの10枚程度である。
1973年に受賞したWAC(Mixed)。
それぞれのルールを簡単に説明すると、WAC(Worked All Continents)は世界6大陸の局との交信が必要。ADXA(Asian DX Award)はアジア州内の30エンティティの局との交信が必要。AJA(All Japan Award)-2000は、日本国内の異なる市郡区の局と、異なるバンドで交信し2000ポイント以上獲得することが必要。AJD(All Japan Districts)は、日本国内のすべて(10個)のコールエリアの各1局との交信が必要。JCC(Japan Century cities)-100、200は、日本国内の異なる100市、200市の局との交信が必要。88-JA8/2は、北海道内の44局との交信が必要なアワードである。
OHA(OH Award)は、SRAL(フィンランドのアマチュア無線連盟)が発行するアワードで、フィンランド国内の5つのコールエリアを含む15局との交信で得られる。野瀬さんがこのアワードを申請した理由は、たまたま1976年の申請時に、手ともにフィンランドの局のQSLが15枚以上あったので申請したと言う単純な理由である。一方、世界でもっとも人気のある、ARRL発行のDXCC(DX Century Club)は、「正確にカウントはしていませんが、310〜320エンティティぐらいのQSLカードはあると思います。ただし申請はしていません」と話す。
1976年に受賞したOHA。