[運用サイトに移動]

7月7日(金)、午前中のミーティングでの抽選会で運用サイトが決まった後、翌日朝9時からの競技に向けて、各チームが一斉に運用サイトに向かった。最遠サイトの局は飛行機まで使ったという。野瀬さんのチームは主催者が用意したバスで、同方面の別チームとともに運用サイトに向かった。各チームのレフリーももちろん同乗した。バスで約6時間揺られた後、PP5CITのクラブハウス前でバスを降り、迎えに来ていたホストのZZ5JOIロベルトさんと、友人のPU5CRSサンドラさんの運転する車に乗り換え、さらに1時間移動し、外が暗くなった頃、ようやくサンフランシスコ島にあるロベルトさんのシャック(運用サイト)に到着した。

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運用サイトに向かうバス。大会本部から北行きと南行きの2台。

サイトに着いたら野瀬さんの荷物が見あたらない。バスを降りたPP5CITのクラブハウスに照会したが、残ってはおらず大騒ぎとなった。結果はなんとKC1Fスチューさんが、サイトに到着早々、車から自分の荷物と間違えて下ろし、スチューさんの泊まる部屋に運び入れてしまったのであった。荷物が見つかった時は、一同ひと安心した。

「チームのホストになったロベルトさんはあたりでした」と野瀬さんは話す。サイトに向かう途中でスーパーによって食料を仕入れようとしたところ、ロベルトさんから「そんなもの買わなくても良い」と言われた。サイトでは、ロベルトさんが食事を全部用意してくれた。しかも食べられないぐらいの量であった。シャックの冷蔵庫にも食料が満タンに入っており、ロベルトさんは「自由に食べても良い」と言ってくれた。昼間は、ロベルトさんとサンドラさんが選手とレフリーの世話をやいてくれ、庭先でバーベキューが始まった。運用中のオペレーターには焼きあがった肉をオペレーションデスクまで届けてくれるサービスぶりであった。

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ロベルトさん(左)とサンドラさん(右)。

[機器のセッティング]

到着した日は、夜中に無線機器とパソコンのセッティングを終えたが、大きなトラブルが発生した。メイン機として持って行ったTS-2000は、主催者が用意したリニアアンプとうまく連動しなった。仕方なくサブ機として持って行ったFT-897Dとリニアアンプを接続して運用を行ったが、このFT-897Dは日本仕様だったため、7100kHzより上で電波が出せず、そのためチームは大きなハンデを背負うことになった。他のチームが7150kHzより上で、得点源の米国の局とシンプレックスで交信できるのに対し、野瀬さん達のチームは、効率の悪いスプリット運用を余儀なくされるからだ。

ちなみに、トランシーバーに関しては、事前に申告したものしか使えないルールになっている。また、一旦競技が始まったら、サブ機では一切送信してはいけないことになっている。野瀬さん達の場合は、競技開始前に、メイン機とサブ機を入れ替えたので、問題はなかったが、一旦コンテストが始まったら、途中でメインとサブは入れ替えられないルールにもなっている。

「いつも自分が使っている使い慣れたリグを持って行くべきで、ぶっつけ本番ではダメだ。リニアとの配線もあらゆるケースに対応できるように準備しておかねばならない」と、次回以降の大会に出場する日本選手へと野瀬さんはアドバイスする。

[PW5Nと決まる]

機器のセッティングを終えた後は、野瀬さんは翌朝からの戦いに備えて睡眠に入った。若い福田さんは、PP5/JK2VOCで試運用を行い、できる限りコンディションの把握に務めた。翌7月8日の朝は、競技開始直前まで試運用を行い、日本ともそれなりに交信できることを確認したという。朝9時(日本時間21時)の競技開始時間が迫ってきた。競技開始10分前である8時50分に、コールサインが書かれている、封印してあった封筒がレフリーのスチューさんによって開封された。そして野瀬さん達のチームのコールサインがPW5Nと決まった。レフリーやホストでさえ、この時点で初めてコールサインを知ることになる。

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スチューさんからコールサイン(PW5N)が書かれている書類を受け取る2人。

すぐに、コンテスト用ロギングソフトに自局のコールサイン「PW5N」を設定して、9時のスタートに備えた。9時になり競技(IARU HFチャンピオンシップコンテスト)が始まり、野瀬さんがSSBを、福田さんが主にCWを担当し交代で運用した。「競技がスタートしたとたん、日本が全く聞こえなくなってしまい、翌朝までチャンスがありませんでした。終盤になってようやく日本が聞こえ、かろうじて70局前後とできました」と話す。

WRTCの競技中は、英語以外の言語を話してはいけないし、オペレーターの名前も名乗ってはいけない。QSYの依頼など競技に直接関係することを話しても問題はないが、競技以外のことは話してはいけないルールになっている。もし、ルールを破るとレフリーから注意されて、減点対象となる。「コンテストQSOの終わりに口癖となっている“さようなら”と何度か言ってしまい、減点されてしまいました」と野瀬さんは話す。

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競技運用中の野瀬さんと福田さん。

[チームの得点が分からない]

各チームの途中経過は、逐一インターネットで世界に向けて発表されるため、1時間毎にレフリーが携帯電話のSMSメールを使って、チームの得点を本部に報告することになっていた。しかし、野瀬さん達のチームが使用したzLogは、南米での使用には完全に対応しておらず、そのため得点計算がおかしく、実際よりかなり低いスコアが表示されていた。野瀬さんはスコアが低いことをレフリーから指摘されたが、ソフトの問題なのでその場で直すことはできず、そのまま継続して運用してログをレフリーに提出した。結局、競技が終了しても、正確な自分たちのスコアは分からないままだった。

野瀬さんのチームは、トランシーバーはもちろん、パソコン、ロギングソフト、アンテナチューナー、パドル、ボイスメモリーなど可能な限り日本製品で固めた。理由は、マニュアルが日本語なので、トラブルが発生した際も、最速で対応ができるからだ。英語のマニュアルだと、場合によっては辞書を引かないと行けないのでタイムロスとなる。福田さんと相談してそのように決めた。しかし、日本国内で使うことを前提に作られたトランシーバー、および日本国内で使うことを前提に作られたロギングソフト「zLog」を使ったことが裏目に出てしまったのであった。

[トラブル発生]

コンテスト中にハード的なトラブルが発生した。まずは3.5MHzのアンテナに組み立てミスがあり、使い物にならなかった。このアンテナは主催者が用意したもので、施工も主催者が依頼した業者が行ったため、全チームにおいて同じトラブルが発生したのであった。複数のチームのレフリーから連絡を受けた主催者は、全チームに対して「アンテナを直しても良い」と指示を出したが、野瀬さん達のチームには、胴綱が無かったので直さなかった。「あんな細いステー式のタワーに、胴綱なしでは登れるハズがない」と野瀬さんは話す。それでも上位に食い込んだチームは、細いタワーに果敢に登って直したという。

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PW5Nの運用サイトとアンテナ。

次のトラブルは、TVIの発生だった。隣家のおばさんが「テレビでアメリカンフットボールを見ているが、お宅の声が聞こえる」とクレームにやってきた。野瀬さんがオペレート中だったため、福田さんとロベルトさんの2人がおばさんの家に行くと、テレビから、「CQコンテスト PW5N」という野瀬さんの声がはっきり聞こえていた。そのため、これはいかんと大至急対処した。

具体的には、大量(30〜40個)に持って行った分割型のフェライトコアを入れまくって止めた。時間との勝負なので、障害を引き起こしているラインの特定はせずに、怪しいラインには全部入れたところなんとか止まったという。本来は、自局での回り込み防止のために持って行ったフェライトコアが役に立ったのであった。

夜通し交代で運用し、翌7月9日の朝9時に競技は終了した。QSO数は最終的に1487に達していた。WRTCのルールで競技終了後から15分間だけログの見直しができる。途中で間違いなどに気づき紙に書いたメモの内容などを、大至急福田さんが電子ログに反映させ、提出用のキャブリロフォーマットに変換して15分後にレフリーに提出した。先にも書いたが、zLogのトラブルで、この時点では、自分たちのスコアが不明な状態であった。