[監査指導委員会]

1974年、JARLの都道(支庁)府県単位で監査指導委員会が創設された。委員会の活動内容は、電波障害に関する相談受付や対策の指導、アマチュアバンド内のモニター、アマチュア無線に関する育成指導などであり、後年になって、JARLガイダンス局の運営・管理も追加されている。また、地方本部毎に、地方本部内の都道(支庁)府県の監査指導委員会の管理監督およびとりまとめを行う、監査長(地方本部長が任命)が選任された。

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1974年11月1日付け東海地方本部監査指導員名簿より。

創設当初の委員の選任にあたっては、愛知県支部の場合、JARL登録クラブから委員候補者を1人ずつ推薦してもらった。当時野瀬さんは、職域クラブとしてJARLに登録していた「21世紀無線同好会」のメンバーであり、クラブから推薦されて、愛知県監査指導委員に就任した。委員長にはJA2EQ加藤さんが就任し、監査指導業務がスタートした。「当時の東海地方監査長は、JA2JA神戸さんでした」と野瀬さんは昔を思い出す。

[愛知県監査指導委員長に就任]

2年間の活動の後、1976年、監査長、監査指導委員長、監査指導委員の改選時期になった。創設時から監査長を務めていたJA2JA神戸さんがJARL全国理事に立候補、さらに監査指導委員長のJA2EQ加藤さんが東海地方本部長に就任したため、後任の東海地方本部監査長にはJA2ADH渡辺さんが任命された。新しく監査長に就任した渡辺さんから、野瀬さんは「愛知県監査指導委員長(地方本部監査長が任命)になって欲しい」と要請され、熟考の末引き受けた。その後、1995年に引退するまでの19年間、愛知県監査指導委員長として活動することになる。

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1976年10月に作成された監査長・都道府県監査指導委員会委員長・名簿より。

野瀬さんの持論は、「組織の代表者は10年程度で変わるべきだ。組織の代表者が後任者の育成もせず、長期にわたって就任する事は色々な弊害が発生し、その組織は必ず陳腐化し発展しない」というもので、これは会社にも同じようにあてはまるという。そのため、委員長に就任して10年が経過した頃から、引退をお願いしてきたが、なかなか辞めさせてもらえなかった。それでもさすがに19年が経過した1995年には、強引に頼んで引退させてもらい、後任のJA2BUL山田さんに引き継いだ。「長くやり過ぎてしまって、後の人に申し訳ないと思っている」と野瀬さんは話す。

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1977年3月31日付け監査指導委員長への委嘱書。

[委員会での活動]

委員会活動でもっとも忙しかったのは、電波障害関連の活動であった。野瀬さんが就任した当時は、違法CB(市民無線)が全盛の時代で、合法CBの出力0.5W最大8チャンネルに対し、違法CBは輸出用に製造された機器や、海外で製造された機器を使用して、チャンネル数は40チャンネルや80チャンネル、出力はリニアアンプを使用した100Wはあたりまえ、ひどい局になると1kW以上も出していたという。

これらの機器は、スプリアス対策がしっかり設計されていないものが多く、当然のことながら電波障害をまき散らして社会問題化していた。一般の人にはCBとアマチュア無線との区別が付かず、電波障害の原因が、屋外に比較的大きなアンテナを建てるアマチュア無線と間違えられることが多かった。そのため、野瀬さんは、「何度も違法CB局のところに、現状調査(設置されているアンテナ等でCBかアマチュア無線かを確認する)に行きました」と話す。

電波障害のクレームは最終的に電波監理局(現総合通信局)に入るが、アマチュア無線がらみのものは、電波監理局からJARL地方事務局経由で、各県の監査指導委員長に現状調査の依頼が来るという仕組みであった。直接JARL東海地方事務局にクレームが入った場合もクレームを県別に分け、事務局から各県の監査指導委員長に現状調査の依頼が来た。愛知県分のクレームの依頼を受けた愛知県監査指導委員会は、委員長である野瀬さんが各委員に割り振って調査を指示したが、自ら調査に出向くことももちろん多かった。「結果的にはCB関係の案件が相当数ありました」と野瀬さんは話す。

[監査指導]

調査した結果、障害発生の原因がアマチュア無線ではなく、CBやその他のものであることが確認できると、手を引いて、あとは電波監理局に任せることになっていた。もちろん、原因がアマチュア無線局であった場合は、免許人に対して障害を直すようにアドバイスを行った。これが本来の監査指導業務である。1980年代にはアマチュア無線局数が100万局を超える時代となり、出動は「のべつ幕なしにありました」と話す。それでも、愛知県では当初約36人いた委員(委員が公募制になった後は15人前後となる)に割り振って対応したため、自分がアマチュア無線を楽しむ時間が全く無くなるほどでもなかったという。

なお、出動については、依頼があったとき、その依頼事項についてのみ対応し、委員会から積極的に違法局の探査を行う、電波障害の調査を行う、といったことはしなかった。そられは、本来は電波監理局が行う仕事なので、その下請けをやる必要はないと考えていたからだ。一方、障害解決のアドバイスを行い、喜んでくれる人もいたが、多くは、監査指導委員が無料で全ての障害対策をしてくれると思っており、自分で障害対策を行う意思が無く困ったという。また、せっかくアドバイスを行っても実践に移さない局も多かったという。

[良かったこと]

一方、愛知県監査指導委員長を担当して良かったことは、「電波障害に関する勉強ができたことです」と野瀬さんは話す。現実は、背に腹は代えられないから勉強するしかなかったのだった。東海電波監理局、東海電波障害防止協議会、JARL愛知県監査指導委員会が中心になって、「無線局によるテレビジョン受信障害の実態と除去対策に関する調査」の実験なども行った。実験はJA2JA神戸さんの職場の倉庫に電波管理局の測定器・電波管理局が没収したCB機器等を持ち込んで行うことが多く、「障害の解決方法の確立には、神戸さんの力が大きかったです」と野瀬さんは話す。

この実験は数年におよび、年度毎に「東海電波管理局・東海電波障害防止協議会」名で、百数十ページの冊子にまとめられた。また、その結果の一部を、JARLニュースの監査指導のページに発表したという。それらは、JARLが発行した「アマチュア無線の電波障害と対策」(JA1XKG高橋壽郎著:1987年8月20日発行)という書籍にも掲載されている。野瀬さんはAFラインに挿入するフィルターなどを設計し、JA2BNNタイプのトラップフィルターとして、その書籍に紹介されている。

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昭和54年度の「無線局によるテレビジョン受信障害の実態と除去対策に関する調査報告」。

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JARL発行「アマチュア無線の電波障害と対策」。

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野瀬さんが設計したトラップフィルターの回路。

[講習会の講師も務める]

その他、ある市役所から頼まれて、電波障害に関する講習会を行ったこともあるという。その市役所では市民から電波障害の苦情が多く来て対応に苦慮していた。たまたま市の担当者が野瀬さんの事を知り、電波障害の対策についての講習を依頼してきた。野瀬さんが引き受けると、市の担当者は、苦情を受けているアマチュア局や、その他電波障害に関係する人を会場に集めた。

野瀬さんは、電波障害の実情と対策についての講演を行ったが、技術の話に入る前に、まず「電波障害の申告を受けたら、すぐに電波を止めること」、それに、「隣近所とけんかしたら障害は絶対に解決できない。そのため、常日頃から隣近所と仲良くすることが肝心」という基本から教えたという。

養成課程講習会が終了した後の、実運用に関するオリエンテーションの講師を担当したことも何度もある。また、1アマのライセンスなしに、高出力リニアアンプを使っていた局には、「まずは1アマを取得するようにと指導したところ、次の国家試験ですぐに合格したといったこともありました」と話す。その他の活動として、保証認定制度の調査員も担当した。保証認定を受けた機械で問題を起こした場合の現場の調査である。「ただし、これに関してはあまり出動する機会はありませんでした」と話す。

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1993年4月1日付け調査員への辞令と調査員証。