[撤収する]

競技終了後は、すぐに機材を撤収し、ホストのロベルトさんとサンドラさんの車に分乗して、フロリアノポリス行きのバスへの乗車場所(PP5CITのクラブハウス)に向かった。少しだけ時間に余裕があったので、回り道して、サンフランシスコ島内を案内してもらった。7月と言えば南半球は真冬であるが、サンフランシスコ島の海岸では沢山の人が海水浴を楽しんでいた。また、サンフランシスコ島は汚染がひどかった。理由は、下水が無いため、住民がみな川に汚水を垂れ流しているからだった。「川からはメタンガスが発生しており、異臭が充満していました」と野瀬さんは話す。

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競技終了後、近所の子供達との記念撮影。

帰りのバスも、行きのチームと同乗であった。この同乗チームの一つに、VE3EJジョンさんとVE7ZOジェームスさんのカナダ代表のチーム(レフリーは日本人のJH4RHF田中さん)も含まれていた。後で分かったことだが、このカナダチームがブラジル大会のチャンピオンになったのであった。

[本部に帰る]

フロリアノポリスにある本部のホテルに帰ると、すでに選手や関係者がビールを片手に競技結果の情報交換を行っていた。野瀬さんは「本当に楽しいひとときでした」と話す。PP5RRルーベンさんが、「コンテストステーションZX5Jのシャックを明日の午前中に見せてあげるから、来ないか」と誘ってくれたが、なにせ時間にルーズな南米のこと、ZX5Jから本部に帰る時間が心配だったため断った。というのも、野瀬さん達は明日午後のフライトで帰途につく予定だったからである。

ホテルでは、JK2VOC(福田さん)よりJA2BNN(野瀬さん)のコールサインの方が有名で、各国のコンテスターから「おまえがJA2BNNか」と声をかけられた。声をかけてきた1人にアルゼンチンから来たLU2NIカルロスさんがいた。「時間があれば、隣国まで足を伸ばしたかったですが、私がよくても、相棒は現役なのでさすがに無理でした」と野瀬さんは話す。

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左から野瀬さん、福田さん、LU2NIカルロスさん。

表彰式は、野瀬さんらが帰国する日である7月10日の夜に行われたため、残念ながら参加できなかった。搭乗予定の成田行きの便を逃すと、さらに3日間滞在しなくてはならなかったからだった。帰りも約40時間の行程となった。移動だけで行き40時間+帰り40時間で80時間にもなり、ほぼ4日間つぶれたことになる。

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フロリアノポリスのエルチリオルス空港。

[ブラジルにて]

「まず、ホテル以外での食事が一番大変でした」と話す。ブラジルはポルトガル語なので、メニューも読めないし、WRTC参加者及びホテル関係者以外には英語すら通じないからだった。加えて、街中の表示はもちろんのこと、全ての表示はポルトガル語で、英語の表示はほとんど見る事は無かった。「せっかく地球の裏側まで行ったのだから、少しぐらいは観光もしたかったがそれは叶わなかった。特にイグアナスの滝ぐらいは行きたかったが、日程的に厳しくてオプショナルツアーには参加できませんでした」と野瀬さんは残念がる。

飛行機の乗り換えのため、サンパウロのスラム街の近くをバスで通過した際には、ライフル銃を持った警官が、警備にあたっているのを目の当たりにし、日本と違って街が安全でないことを実感したという。サンパウロ市内の移動は、高速道路を通るバスが一番安全で、町中を通過するタクシーに乗車すると、必ずしも安全は保証されないのだという。

一方、ブラジルではバイオ燃料の導入が早く、すでにほとんどの車はトウモロコシ等を燃料にして走っていた。しかし車自体が古いものが多く、町中の至る所でエンジントラブルのため、停車してボンネットを開けている車をみかけた。「まるで3〜40年前の日本を見るようでした」と野瀬さんは話す。いまや日本車は世界を圧巻しているが、「ブラジルではほとんど日本車を見かけませんでした」と話す。

[日本チームの順位]

競技結果の最終的な得点と、日本チームの順位は、自宅に帰った後にインターネットで確認した。残念ながら46チーム中45位だった。野瀬さんは「正直言って準備不足でした。初めての参加だったので要領が分からなかったのが敗因です」と悔しがる。「トランシーバーのトラブルもさることながら、ブラジルでのコンディションを的確につかめていなかった事も敗因のひとつです」と続ける。結果上位に食い込んだあるチームは、事前にブラジルまで出かけて予行の運用を行い、コンディションを把握することまでやっていたという。

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PW5NのQSLカード。写真は左から福田さん、ホストのロベルトさん、レフリーのスチューさん、野瀬さん。

「成績的にはふるわなかったものの、貴重な体験ができて、参加して本当に良かったと思います」。「言葉は十分に通じませんが、レフリーも含めて、皆コンテスターなので話が合うからです」。「チャンスがあればまた参加したいですが、4年に1回の開催で、しかも2人しか出場できないのだから難しいです。それよりも、私の体力がもたないかもしれません」。「若い人でもしチャンスがあったら、ぜひ参加することをおすすめします」と野瀬さんは話す。

[次回はロシア]

2010年のWRTCはロシアのモスクワ近郊での開催が決まっている。エントリーは2009年の秋頃から始まると思われるが、エントリーのポイントに計上できるコンテストはあまり残されておらず、2009年春のロシアンDXコンテストがラストになる。「もし、2010年のWRTCへの出場枠を狙っているなら、これらのコンテストに全力で参加すべきです」とアドバイスする。

最後になるが、2008年5月、野瀬さんに悲しい知らせが届いた。2006年のブラジル大会で、野瀬さん達のチームのレフリーを務めたKC1Fスチューさんが、心臓発作で急死した知らせであった。競技中、福田さんがうっかり一言だけ「どうも」と日本語をしゃべってしまったことを聞き逃さず、すかさず注意を与えるなど、厳正なレフリーを務めあげてまだ2年も経過していない。ご冥福をお祈りします。

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野瀬さんが1999年のCQWW WPXコンテストで交信したスチューさんのQSLカード。