[ブラジルに向けて出発]

2006年7月2日、野瀬さんと福田さんは中部国際空港(セントレア)を飛び立った。野瀬さんは、当初荷物を1個のバッグにまとめたが、あまりにも重いため2つに分けた。そのため搭乗前に手荷物を預ける際、なんら問題はなかったが、福田さんがバッグの重量制限に引っかかり、飛行場で手荷物を、2個以上に分けさせられるというトラブルがあった。搭乗した日本航空は1個20kg以下なら3個までOKだか、1個が20kgを超えたら引き受けないという条件があることを、その時初めて知った。

セントレアを14時25分発のJL3084便で出発し一旦成田空港まで行き、成田空港でサンパウロ行きの直行便に乗り換え、成田空港19時20分発のJL48便でブラジルに向かった。直行便とは言っても、途中ニューヨークのジョン・F・ケネデイ空港に、現地時間18時20分に着陸して給油後、21時5分に改めてサンパウロに向けて飛び立った。ニューヨークの空港では、給油というのに一旦機内から乗客全員が下ろされて、強引に米国に入国させられたという。「米国への入国なので、入国管理官に指紋と顔写真を採られ、出国時には靴まで脱がされました」と話す。

2人は現地時間の7月3日の朝7時半、サンパウロのグアルーリョス国際空港に到着した。そこから目的地である、サンタカタリナ州フロリアノポリスに行くには、国内線への乗り換えとなるが、国内線は、グアルーリョス国際空港から空港バスで1時間以上かかる、コンゴーニャス空港という、サンパウロ市内の繁華街にある別の空港となるため、移動しなければならなかった。2人はバスの切符の買い方さえ知らなかったが、成田からサンパウロ行きの飛行機で偶然隣に座っていた、日系ブラジル人の同乗者が、コンゴーニャス空港に向かうという、別の日系ブラジル人を紹介してくれ、その人にコンゴーニャス空港まで連れて行ってもらった。その日系ブラジル人は日本への出稼ぎの帰りで、日本語も少し話せたので助かった。

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ブラジル南部に位置するサンタカタリナ州の地図。

[フロリアノポリスに到着]

コンゴーニャス空港に着いてバスから降りると、「野瀬さーん、野瀬さーん」と大声で呼ぶブラジル人がいた。しかし、野瀬さんは全く覚えのない人なので、「無線関係の人ですか」と聞いたら「いや違う」と答え、「今日、野瀬さんが来るのは分かっていた」とも言い、カートを持って来てくれるなど色々面倒を見てくれた。この日本語の分かるブラジル人は、野瀬さん達以外にも、日本への出稼ぎから帰ってきた日系ブラジル人の面倒も見ており、当日出稼ぎから帰国する日系ブラジル人の名簿を持っていたので、その名簿を見せてもらったが、「当然、自分の名前は載っていませんでした」と、野瀬さんは話す。

始めは警戒したが、色々細かいことにも気を遣ってくれ、お金を請求する様な雰囲気も無く、空港バスを降りてから、日本の地下街の様に混雑する繁華街を、大きなトランクを2個載せたカートを引いて10分位歩き、繁華街の一番奥にあったタム航空の搭乗受付カウンターへ連れて行ってくれた。その搭乗受付カウンターは空港の外にあって、搭乗場所とは別の場所のため、初めての利用者だとなかなか分かりにくいような所だった。

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コンゴーニャス空港の外にあるタム航空カウンター。

「分かりにくいコンゴーニャス空港で国内線の飛行機に無事搭乗する事ができたのは、その人の力に負う所が大きかったです」と、野瀬さんは話す。「今になっても、その日系ブラジル人が、なぜ私の名前と顔を知っていたかはまったく分からない。帰国後に切符を手配してもらったJTBに照会しても、現地に係員などはいないという答えでした」と野瀬さんは不思議がる。

コンゴーニャス空港で、タム航空のJJ3107便に搭乗し、約1時間の飛行時間で、目的地であるフロリアノポリスのエルチリオルス空港に14時17分に到着した。機内には、野瀬さんと福田さん以外の日本人はいなかったと言う。セントレアを出発して約40時間が経過していた。エルチリオルス空港で、アイコムのロゴの入った段ボール箱を持っている人がいたので、「どこの選手だろう」と思って声をかけたところ、OH0XXオリさんで、彼はパナマ代表でやって来ていた。後で分かったことだが、なんとオリさんはホテルで隣の部屋だった。滞在中はベランダ越しのアイボールQSOを楽しんだという。

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2人がエルチリオルス空港まで搭乗したタム航空機。

[食事に問題]

エルチリオルス空港から、大会本部があるホテルまでの約1時間は、大会ボランティアの運転する車で移動した。ホテルに到着したのは、7月3日午後5時頃で、まずは空腹に耐えかねて、レストランに行ったが、ホテル内のレストランはどこも営業していなかった。仕方がないので、ホテル内のコンビニでサンドウィッチなどを購入して帰り、サンドウィッチを食べようと思ったら変な臭いがして腐っていた。そのため、初日の晩はビールとケロッグだけで凌いだ。そのときは「とんでもないところに来てしまった」と感じたという。

後で分かったことだが、ブラジルでは、午後8時すぎから夕飯が始まるのが普通で、ホテル内にはレストランが複数あるが、その時間にならないと全てのレストランがオープンしない。ホテルは広大な敷地に客室とその他の施設(スケート場、サッカーグランド、アスレチックジム、数カ所のプールなど)が点在しており、ホテル内の移動は、フロントへ電話することで車(カート)が迎えに来るというシステムであった。もちろん、外部からホテル敷地内への出入りは厳重で、24時間ガードマンが警備していた。

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ホテルのビーチサイドに立つ野瀬さん。バックの海は大西洋。

翌日からは要領が分かったため、無事にレストランで食事をすることができた。ホテルでの宿泊代には、朝、昼、夜と3食ついていたため、飲み物以外の別料金はかからなかった。レストランでは各国の代表選手や役員とアイボールQSOを楽しんだ。「これまで電波では何度も会っていた人との初めてのアイボールQSOには感激しました」と野瀬さんは話す。タイや中国代表の選手に聞くと、彼等はヨーロッパ経由でブラジルに来たとのこと。野瀬さんは、「自分たちは日本語が通じて直行便がある日本航空を選択したのだが、安さを最優先するなら、米国回りかヨーロッパ回りかよく調べた方がよい」、とアドバイスする。

[事前運用]

到着初日は、運用ライセンスのことがよく分からなかったため運用は行わず、2日目に主催者(WRTC 2006 Organization)代表であるPY5EGオムスさんを捕まえて、運用の可否について問い合わせたところ、「PP5/自国のコールサイン」で出ても良い、と口頭許可をもらった。さっそく部屋に帰ってオンエアを行ったところ、すでに各国の選手がPP5/でオンエアを開始していた。CEPT(ヨーロッパ電気通信主管庁会議)加盟国のライセンスがあれば、相互運用協定により、特に申請を行わなくともブラジルから運用できるからであった。

部屋からは、主に福田さんがPP5/JK2VOCで運用したが、隣の棟から出ていた選手は交信後にQSLカードを部屋まで届けてくれたという。その晩のセレモニーの時に、「WRTC開催期間中に限り、PP5/自国のコールサインでオンエアしても良い」という正式なアナウンスと、バンドプランについての注意があった。ちなみに7MHzのSSBは、ブラジルでは7050〜7300の範囲で運用が可能であった。

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ブラジル大会の競技者証

[オープニングセレモニー]

7月6日夜、世界の全46チームが揃い、本部のホテルで、オープニングセレモニーが開催された。開会式に続いて、サンタカタリナ州の紹介ビデオの上映、それに参加国の国旗掲揚などが行われた。翌7月7日は午前中にミーティングがあり、選手とレフリーの紹介の後、運用サイトの抽選会となった。抽選は、前回のチャンピオンから、サイト番号が書かれた紙が封印してある封筒を引いていったが、野瀬さんのチームが引いたのは6番で、運用サイトはサンタカタリナ州の最北端にあるZZ5JOI(現PU5ZOI)ロベルトさんのシャックだった。レフリーは、KC1Fスチューさんと決まった。ただし、使用するコールサインについては、競技開始10分前に開封するまで封印されており、この時点ではまだ分からなかった。

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オープニングセレモニーでの日本チームのテーブル。