JA2BNN 野瀬 隆司氏
No.10 1kWに増力
[設備共用を計画]
1995年末頃、とあるミーティングで、JF2SKV松下さんから、「抜群の設備である蛭川のシャックから一度コンテストをやらせて欲しい」という相談を受けた。まだゲストオペレーションが許可されていなかった時代である。野瀬さんと森島さんの共同シャックには、オーナーの2人が別々で個人局を開設していたが、クラブ局は開設していなかったため、そのままでは他人が運用することはできなかった。
松下さんの相談に乗っていると、近くの席にいたJH2AMH児玉さん、JH2BCN那須さん、JN2AMD山内さん等も話に加わり、「我々もぜひ仲間に加えて欲しい」ということになり、「若手コンテスターの役に立てるのなら」、という理由で野瀬さんは了承した。しかし、問題は、どうやって5人分のハイパワーの免許を受けるかである。
丁度その頃、第1級アマチュア無線技士に許可される最大空中線電力が500Wから1kWに変更されたため、5人全員で同じ装置を使い、別々の1kW局の免許をもらおうと話がまとまった。当時アマチュア無線局では、同居の家族においてのみ設備共用が認められ、同じ装置で申請すれば別々の個人局の免許が下りていたが、他人同士の設備共用の例は無かった。
しかし、業務用無線局では、設備共用による二重三重の無線局免許はあたり前に下りていたため、野瀬さんは、アマチュア無線局には設備共用で複数の無線局免許を与えない、と言う条文は電波法のどこにも書かれて無いので、アマチュア無線局でもいけるのではないかと考えたのであった。
[5名同時に変更申請]
まずは東海電気通信監理局に相談したが、やはり、アマチュア無線では、他人同士の設備共用による免許の前例が無かったため簡単にはいかなかった。東海電気通信監理局の担当官は、前向きに検討してくれ、本省にまで問い合わせてくれたという。そのため即答はもらえなかったが、半年にわたる粘り強い交渉の結果、道が開けてきた。
最後は変更検査手数料の問題となった。設備共用であれば、2局目以降の検査手数料が減額になるからである。しかし、なにぶんアマチュア局では前例がなかったため、最終的に、5局分それぞれ変更検査手数料を満額支払うということで合意が得られた。この条件には、もちろん5名とも異論無く了承し、すぐに5名同時に自局の変更申請を行った。時はすでに1997年になっていた。
[変更検査を受検]
待つこと数週間で変更許可が下りてきたため、次のステップとして、1kWのリニアアンプなどを準備して局の設備を整え、その後は、試験電波を発射して不具合がないか確かめた。回りに人家が無いため電波障害の調査は行わずに済んだ。そして、5人が足並みをそろえて無線局工事落成届けを出すことになったが、野瀬さんが一番遅くなってしまい、「他の4名から催促が入って、あわてて書類を準備しました」と話す。
工事落成届提出後は、程なくして変更検査となり、1997年5月13日、野瀬さん達は、晴れて5局同時の変更検査に合格した。「今では設備共用による免許はあたり前の時代ですが、1つの設備で5人が同時に変更検査を受けて1kWの免許を取得したのは、おそらく我々の例が初めてだったと思います」と野瀬さんは話す。
5月13日付で変更検査に合格。
[紙ログでコンテストを戦う]
1980年代には、コンテスト時にパソコンによるロギング(交信ログに入力すること)を行う局もちらほらと出てきていたが、野瀬さんは、長い間紙ログでコンテストを戦っていた。重複QSOのチェックは、コンテスト終了後、バンドごとにすべてのコールサインをワープロに打ち込み、コールサインでソートしてチェックしたという。
1980年代後半まで、野瀬さんは電信のコンテストにもエントリーしていたが、1990年代になると、野瀬さんは電話オンリーになった。その理由は連載第7回にも書いたが、パソコンの普及により、電信のコンテストにエントリーするのにパソコンなしでは他局と対等に戦えなくなったことと、1986年に500Wにパワーアップして、電話でも入賞できるようになったことである。電話でならまだパソコンなしでもなんとか対応できたため、1990年代は電話のコンテストを紙ログで戦っていた。
紙ログで運用していた時代に受賞した賞状。(1995年オールアジアコンテスト電話、シングルオペレーター14MHz部門で全国1位) この他にも多数のコンテストで入賞。
それでも、1990年代後半になると、コンテスターのパソコン導入率が急速にあがり、多数の局がパソコンソフトでロギングするようになった。電話でもパソコンを使えば、重複QSOのチェックが瞬時に行えるため、2回呼んできた局に対し瞬時に「2回目ですよ」と返すことができるし、呼び回りの際には、これから呼ぼうとしている局が、QSO済みかどうか瞬時に判断でき、自局が2回呼びをしてしまうことを防げるため、無駄な時間を浪費せず、効率的な運用が行えるからである。
[パソコンを導入]
2000年代の初め頃、野瀬さんもついにパソコンを導入し、その後はウインドウズ版の「zLog」を使ってコンテストを戦う様になった。zLogとは、東京大学の社団局JA1ZLOで開発された、現在、日本で一番シェアの高いコンテスト用ロギングソフトのことである。コンテスト用ロギングソフトを使うことで、重複QSOのチェックだけでなく、得点計算は1QSOごとに瞬時に反映されるので、作戦が立てやすいことや、コンテスト終了後の提出書類が自動で作成されるため、省力化にも非常に有効であった。
ウインドウズ版「zLog」の操作画面。
パソコンを導入していなかった頃の野瀬さんは、あまり呼びには回らなかった。それでも、自局のCQに対して全然呼ばれないときは呼びに回ったが、「QSO済みかどうか記憶が定かでない局は重複になってもいいのでとりあえずQSOしました。そのため特に2日目はデュープが増えました」と話す。この頃は重複QSOが多く、すでにパソコンを導入している局に比較すると、効率の悪い運用を行っていたのである。
野瀬さんは、パソコンの導入が他局に比べて遅かったが、ワープロを以前から使っていたことと、若い頃から英文タイプライターを仕事で使っていたため、キーボードに対しての違和感がなく、すんなりと導入できたと言う。「パソコンを導入したら、得点計算やログの提出は大変楽になりましたが、逆にコンテストが終わってから、ワクワクしながら電卓で得点を計算する、という楽しみがなくなってしまいした」と笑って話す。
パソコンを導入した後に受賞した賞状。(2006年CQWPXコンテスト電話、シングルオペレーターオールバンド部門でJA2エリア1位) この他にも多数のコンテストで入賞。
ちなみに、他のシャック共用のメンバーのパソコン導入については、山内さんは1997年の免許時にはすでにパソコンを導入しており、自分がコンテストをやる際は、パソコンを携えてシャックに来ていた。他の4名は当初紙ログだったが、松下さん、児玉さん、那須さんの順番にパソコンを導入していき、最後に野瀬さんが導入した。なお、パソコンはシャックに置いておかず、運用する度にメンバーがそれぞれ個人のパソコンを持ち込んでいる。