[3回目の海外運用]

2007年3月、野瀬さんはグアム島に海外移動運用に出かけた。1995年の中国、2006年のブラジルに次いで3回目の海外運用だった、しかし、本格的な海外運用(いわゆるDXペディション)としてはこれが始めての経験であった。今回も相棒はJK2VOC福田さんだった。

このグアム島からの運用計画は、当初、JF2SKV松下さんが、ロシアンDXコンテストにグアム島からマルチオペレーター部門にエントリーすべく、福田さんを誘って2人で行く計画を立て、松下さんがKH2JUダニーさんの運営するレンタルシャック(Palm Tree DX Club)に予約を入れていた。ところが、早い時点で松下さんの都合が悪くなり、キャンセルしようかという話になったが、福田さんは、すでに職場で休暇の許可を取り付けていたため、せっかくの休暇を無駄にしたくないという思いがあって、野瀬さんに声をかけた。

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PTDR(Parm Tree DX Rentals)のレンタル契約書。

[グアム島に到着]

野瀬さんからOKの返事が返ってきたため、福田さんは、松下さん名義で入っていたレンタルシャックの予約を、福田さん名義の予約に変更してもらった。この様ないきさつで野瀬・福田コンビが復活した。今回はロシアンDXコンテストへのエントリーと、コンテスト前後のサービス運用である。2人は3月16日(金)のノースウエスト航空午前10時発のNW24便で中部国際空港を飛び立った。

2人は約3時間半後に、グアム空港に到着したが、迎えに来ているはずのダニーさんが見あたらない。野瀬さんも福田さんもダニーさんは写真でしか見たことが無かったため、QSLカードを手に持って空港内をうろうろしていれば、向こうから声をかけてきてくれるだろうと考え、1時間以上歩き回ったが、結局声はかからなかった。こうなったら電話するしかないと、福田さんが日本から持って行った国際ローミングが可能な携帯電話での連絡を試みたが、電波状況が悪いらしくうまく発信できなかった。

[レンタルシャックに到着]

困っていると、現地グアム島のとあるホテルの送迎係員に「どうした」と、日本語で声をかけてもらえたので事情を説明し、彼の携帯電話でダニーさんに電話をかけてもらうことができた。すると、ダニーさんは車で空港に向かっている途中で、もうすぐ到着することが分かった。電話をしてくれた彼には丁重にお礼を言い、「電話代を払わせてください」と言ったところ、「そんなのいいよ」と答えたくれた。

そのキャリアの電話機ならグアム島で問題なく使えそうなので、今度は「その電話機はどこかでレンタルできないですか」と訪ねると、レンタルカウンターを教えてくれた。福田さんが速攻で電話を借りに行き、野瀬さんはダニーさんを待った。しばらくするとダニーさんが空港に到着して無事に合流できた。さっそくダニーさんの車で、スーパーに立ち寄って食料・飲み物などを調達後、2人はダニーさんのレンタルシャックへと向かった。

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野瀬さんとダニーさん。レンタルシャックの前にて。

レンタルシャックは、1階がダニーさんの自宅で、2階がレンタルシャックになっていた。1階と2階は建物内部でつながっておらず、2階に上がるには、外の階段を使うような構造になっていた。そのため、ダニーさんを呼ぶにも一旦外に出て階段を下り無ければならなかったため、連絡は携帯電話で行った。ダニーさんからも「そうしてくれ」と言われたという。

[交代で運用]

ロシアンDXコンテストは24時間のコンテストで、3月17日の現地時間22時から始まった。野瀬さんはKH2/JA2BNNのコールサインで電話部門マルチハンドローパワー部門に、福田さんはKH2/JK2VOCのコールサインで電信電話マルチバンドローパワー部門に、それぞれシングルオペレーターとしてエントリーし、30分交代で運用した。

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KH2/JA2BNNを運用中の野瀬さん。

ハイバンド(14/21/28MHz帯)はアンテナが1本しか無く、2局同時運用ができなかったためであった。基本的に、毎時0〜30分に野瀬さんが運用し、毎時30〜60分に福田さんが運用した。なお、ハイバンドとローバンド(1.8/3.5/7MHz帯)に分かれれば2波同時運用も可能だったため、終盤は、2局同時に運用したという。ログはノートパソコンで、野瀬さんは使いなれたzLogを使ったが、グアム島での使用では問題は発生しなかった。2人が別々のパソコンでロギングしたため、オペレーターを交代する毎に、パソコンの入れ替えも行った。

[ローパワー部門にエントリー]

ロシア主催のコンテストであるロシアンDXコンテストは、全世界との交信が有効ではあるが、マルチプライヤーを稼ぐにはロシアの局と交信する必要があり、世界がロシアにビームを向ける。日本の局も北米の局もヨーロッパの局も一斉にビームをロシアに向けるため、「グアム島からそれに割り込むのは大変厳しかったです」と話す。

運用ライセンスについては、グアム島は米国領であり、日本と米国の相互運用協定に基づいて、日本の免許をベースに申請不要で運用することができた。野瀬さんのJA2BNNの免許は1kW出力のため、レンタルシャックにあったリニアアンプを使用することもできたが、「接続方法がよく分からなかったたし、2局同時運用時に福田さんの局に被るので、コンテスト中はローパワーで運用することにし、ローパワー部門にエントリーしました」、と話す。なお、コンテスト外ではリニアアンプを使用したが、もうひとつ動作が安定していなかった。

[グアム島の観光]

ブラジルでは、ろくに観光もできなかったが、グアム島ではコンテスト前後にダニーさんが島内観光に連れて行ってくれた。まずは米海軍の基地、レーダーサイトを丘の上から見学。それに太平洋戦争中の日本軍の洞窟陣地、アプガン砦、 ラッテストーン公園内の巨石文化の跡地。有名な恋人岬にも行った。さらにグアム島の有名局であるKG6DXジョエルさんの所も訪ねて行ったが、あいにく彼は不在であった。ダニーさんが言うには、「グアム島には、近隣諸島の火山からの噴煙も飛んでくるが、最近は中国からの黄砂も飛んでくる」とのこと。「黄砂の被害はここまで及んでいるのか」と野瀬さんは驚いた。

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夕暮れのタモン湾の写真を使ったKH2/JA2BNNのQSLカード。

[コンテスト結果]

野瀬さんはコンテスト中に297QSO行い70、707点を獲得して、エントリーした電話部門で、オセアニアのチャンピオンとなった。コンテスト以外では18MHzを中心に運用し、コンテストと合わせて約600QSOを行った。一方、電信電話部門にエントリーした福田さんは543QSOを行い326,079点で、野瀬さん同様、オセアニアのチャンピオンとなった。福田さんは、コンテスト以外に、オスカー7号経由での衛星通信を行って、日本の局との交信を成功させた。

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オセアニアチャンピオンとなったロシアンDXコンテストの賞状。

グアム島への出発前に、野瀬さんがグアム島からオンエアするというニュースを知った米国オハイオ州のW8GEX局から、「5MHzに出てほしい」と手紙で依頼があった。しかし、グアムでの運用許可のベースになる日本の免許では5MHzは許可されていないため、「申し訳ないが免許がないため出られない」と返信した。スポットの周波数まで手紙に書いてきてくれたが、免許がないことにはどうすることもできなかった。この局は3.8MHzで呼んできてくれたという。

米国の空港は同時多発テロ以降、セキュリティチェックが非常に厳しくなっている。入国時には指紋はもちろん顔写真まで撮られる。2006年にブラジルに向かう際、給油のため立ち寄ったニューヨークのジョン・F・ケネディ空港で、一旦入国させられた時、鞄の中は全部見られ、靴まで脱がされたが、グアム島でも例外ではなかった。「手荷物として預けるスーツケースに鍵をかけていると、鍵を破壊されるので、鍵をかけてはいけません」と野瀬さんはアドバイスする。運用を終えた野瀬さんと福田さんは、3月19日(月)に帰国した。