デジタルオーディオ時代が近いことを予感させた第25回「全日本オーディオフェア」

1976年開催の第25回「全日本オーディオフェア」の頃からデジタルオーディオの民生用機器開発への挑戦が水面下で進められていた。「全日本オーディオフェア」会場ではPCM録音実験が公開され、デジタルオーディオ時代の幕開けが近いことを予感させた。一方、アナログオーディオにおいても、より高音質を求めて各種ノイズリダクション、エルカセットの展示などが行われ、オーディオ愛好家のHi-Fiニーズに応える努力も続けられていた。

エルカセットもその一つで、1970年代は、フィリップスが開発したコンパクトカセットが世界的に普及していたが、オーディオ愛好家のHi-Fiニーズに応えるものとしては物足りなさがあった。そのためオーディオ愛好家の間では大型のオープンリールを使ったテープデッキが愛用されていた。しかし、取り扱いがやや面倒なことや、デッキやテープの大きさが取り扱い上の障害となっていた。これを解消しようとして開発されたのがエルカセットだった。

より高音質のエルカセットが登場

エルカセットではテープ幅をオープンリールのテープと同様1/4インチ(6.3mm)とし、コンパクトカセットの2倍の走行スピード9.53cm/秒とすることで、周波数特性、S/N改善を図っている。開発コンセプトは「オープンリールの音を、カセットで」といものだった。このエルカセットの提唱はソニー、松下電器産業(現パナソニック)、ティアックの3社だった。第25回「全日本オーディオフェア」では三洋電機や東芝、アイワなども試作機を出品している。商品として発売されたのはソニーが1976年6月に発売したデッキ「EL-7」が第一号。

期待に反して短命に終わったエルカセット

しかし、このエルカセットは、期待に反して短命に終わった。やがて登場するCDによるデジタルオーディオ時代の幕開けが影響したのかもしれない。また、オーディオ愛好家にとっては、ドンと部屋の中に鎮座する大きなオープンリールデッキは、愛好家のシンボルでもあり、大きな筐体そのものが存在感をアピールするとともにオーディオ愛好家としての自尊心を満足させる存在であったからだろう。また、エルカセットでも走行スピードを9.53cm/秒からオープンリールデッキと同じ38cm/秒に上げて周波数特性を高めることも出来たが本格的に普及することなく終わった。

メタルテープ及び対応デッキの登場でコンパクトカセットでも音質向上

1977年開催の第26回「全日本オーディオフェア」になると参加企業は86社に増え、オーディオブームは一段と加熱してくる。フェアの内容も「オーディオ100年展」が併催され、また話題となっていた30cmビデオディスクを使ったデジタルオーディオディスクのデモが行われた。さらに、1978年開催の第27回「全日本オーディオフェア」には89社が参加した。この時始めてメタルテープが登場した。そしてメタルテープに対応したデッキが、翌年の第28回「全日本オーディオフェア」に登場している。

フィリップスが開発したコンパクトカセットは、磁性体にフェライトを使ったもので、当初はテープ幅の狭さやテープ速度の遅さから会話録音やBGM程度に利用するためのものだった。それが1970年代にはコンパクトな音楽用メディアとして広く普及するまで性能が向上してきた。それとともにレコードのダビング、放送番組を録音するために利用されるようになった。しかし、オーディオマニアが満足するレベルには達していなかった。それを可能としたのがメタルテープの登場であり、メタルテープ対応デッキの登場だった。

1982年の第31回「全日本オーディオフェア」にCDプレーヤーが登場

さらに、1981年開催の第30回「全日本オーディオフェア」で始めて光学式のCD、静電式のAHDの実験展示が行われた。CDプレーヤーがフェアに登場したのは1982年の第31回「全日本オーディオフェア」からで、1983年開催の第32回「全日本オーディオフェア」においては各種CDプレーヤーが登場し、実質的にデジタルオーディオ時代が幕を開ける。また、磁気テープによるデジタルオーディオへの試みは1981年開催の第30回「全日本オーディオフェア」においてDATプロトタイプが展示されたものの翌年の第31回「全日本オーディオフェア」ではDATの出品は自粛され、著作権問題が絡んでいた。

「全日本オーディオフェア」は音から、音と映像、そしてマルチチャンネルへと広がる

そして1984年開催の第33回「全日本オーディオフェア」からは、晴海の東京国際見本市会場に加え、九段下のホテルグランドパレスも会場として利用された。また、1985年開催の第34回「全日本オーディオフェア」では、ハイビジョンの展示や文字放送の公開などテレビ放送。多数のスピーカーを使ったマルチチャンネル音場野外実験が行われた。音から、音と映像、そしてマルチチャンネルへの広がりを感じさせる展示となってきている。やがて来る「音と映像の融合」の始まりだった。

開催年 会場、参加社 話題の製品・技術など
1970年名古屋(34社)、札幌(29社)、大阪(36社)、東京(49社)
1971年福岡(29社)、札幌(27社)、東京(62社)4チャンネルステレオ
1972年大阪(38社)、東京(60社)入場者10万人突破
1973年大阪(42社)、東京(62社)入場者19万人突破
1974年大阪(47社)、東京(65社)大出力パワーアンプ
1975年東京(68社)入場者20万人突破、ノイズリダクション
1976年東京(79社)PCM録音、エルカセット
1977年東京(86社)デジタルオーディオディスク
1978年東京(89社)マイコン応用デッキ、メタルテープ
1979年東京(79社)メタルテープ対応デッキ
1980年東京(88社)PCMディスク、新方式アンプ、新素材ポリプロピレン使用スピーカー
1981年東京(89社)CD&AHDの実験、カセットサイズテープのPCMデッキ
1982年東京(82社)CDプレーヤー、電子楽器、DATプロトタイプ
1983年東京(72社)Hi-Fi・VTR、CDオートチェンジャー、BSチューナー
1984年東京(81社)CD製造実験
1985年東京(77社)DBS受信、ハイビジョン、文字放送、カートリッジ式CDプレーヤー
1986年東京(71社)DAT参考出品、光伝送製品
1987年東京(83社)DAT最新モデル30機種
1988年東京(74社)BS放送受信、DATコーナー、大画面デモ、各種音場実験
1989年東京(81社)DATコーナー、クリアビジョン、録音再生可能CDプレーヤー

70年代~80年代のフェアの歩み:JAS journal(日本オーディオ協会編)から

参考資料:JAS journal(日本オーディオ協会編)、ソニーHP、ソニー歴史資料館、BCN RETAIL、JEITA・HPほか