カラオケ装置を作った人は謙虚な人ばかりで自分が発明したと誰も言わなかった

誰がカラオケの発明者であるかのだったのか、その特定は困難だということは、この連載の初めに紹介したが、ほぼ同時期に似たような機器を作った人が何人もおり、カラオケの定義もはっきりしない中で、特定するのは難しい。しかも、私が発明者だと名乗り出る人もいなければ、特許を申請した人もいないのだ。それは、「ただそこに有るものを組み合わせただけで、自らそれを発明した訳ではない」との気持ちがあるからだろう。つまり、アンプやスピーカー、8トラックカートリッジテープ、エコー装置、マイク、ジュークボックスなど既存の機器を組み合わせたものであったからである。そして、その装置を市場に導入してビジネスとして発展させて行くことも必要となる。おまけに、これらのカラオケ装置を作った人は皆、謙虚な人ばかりで、自分がカラオケを発明したなどと誰も言っていないのでなおさら分かりにくい。

世界的にカラオケの発明者として有名になった井上大佑氏

その中でも、世界的にカラオケの発明者として有名なのが井上大佑氏である。井上氏とカラオケに関しては「カラオケを発明した男」(大下英治著 河出書房新社)に詳しく紹介されている。その根拠となっているものがある。米国のタイム誌が1999年8月のアジア版で「20世紀で最も影響力のあったアジアの二十人」を特集、そこでカラオケの発明者として井上大佑氏を取り上げたからだ。アジアの超有名人の中に自分が加えられた驚き様については同書に詳しく紹介されているが、二十人の中には中華人民共和国を創設し初代主席となった毛沢東、インドの無抵抗主義民族運動指導者ガンジー、インドネシアのスカルノ大統領、チベットの仏教指導者ダライ・ラマなど教科書に載っている歴史上の有名な人物ばかり。そして、日本人では昭和天皇、トヨタ自動車の豊田英二氏、映画監督の黒澤明氏、ソニー名誉会長の盛田昭夫氏、デザイナーの三宅一生氏など、そうそうたる人ばかりなのだ。その中の一人にカラオケの発明者として井上大佑氏が名を連ねているのだから、その驚き様は想像を超えるものだったに違いない。また、これがきっかけでイグ・ノーベル賞を受賞したことも同氏の名を世界的に広めることになって行った。

電気技術者ではなくミュージッシャンだった井上大佑氏

実は井上大佑氏は、アンプやスピーカー、テープレコーダーなど電気製品を開発したり、修理したりする電気技術者ではない。自らバンドを結成し、クラブなどで演奏活動をしていたミュージッシャンだった。その井上大佑氏が後にカラオケとかかわりを持つようになったのは、演奏活動に加えて小型ジュークボックスの販売を手掛けるようになってからである。1968年に「ミュージッククレセント」(後のクレセント)というジュークボックスの販売会社を設立したことがカラオケへと繋がって行く。このあたりは、先にカラオケの発明者として紹介している日電工業の根岸重一氏や娯楽機械を販売していた浜崎巌氏とはやや異なっている。

1966年から1970年にかけてカラオケの前身となるような機器が相次で登場

根岸重一氏や浜崎巌氏、井上大佑氏などが1966年から1970年にかけて、現在のカラオケの前身となるような機器を相次いで開発したのは、当時の社会情勢を強く反映していたことによる。その当時を簡単に振り返ると、1966年は、新三種の神器としてカラーテレビ、クーラー、カーのいわゆる3C時代を迎え、オーディオ界ではカートリッジ・テープレコーダー時代が幕を開ける。1967年に入るとカーステレオ時代を迎えた。1968年には、オリンピックメキシコ大会が開催されカラー放送で宇宙中継が行われ、カラーテレビが本格的な普及期に突入した。1969年には前年度のGDPが世界第2位と発表され、アポロ11号が月面に着陸し、人類の月面への第1歩をしるす。1970年には大阪で日本万国博覧会が開催されるなど日本経済は絶好調だった。

常連客の持ち歌をその人の歌いやすいキー、速さで伴奏

そんな社会情勢を反映して、飲食店も増えジュークボックスの需要も拡大、有線放送の需要も増えるが工事が追いつかない。そんな訳で盛り場では、弾き語りや流しの歌手の需要も増えてきた。中でも井上大佑氏のいた関西ではまさに万博を控えた開発景気にわいていた時期で、盛り場での有線放送導入によるBGMや、弾き語りの需要は盛り上がっていた。ミュージッシャンとしての井上大佑氏が素晴らしかったのは、常連客の持ち歌をバックで伴奏する時に、その人の歌いやすいキー、速さで伴奏したことだ。

客に合わせた歌いやすいキーで伴奏をテープに録音

スナックやクラブばかりでなく要望があれば温泉などで出張演奏もしていたが、スケジュールの都合がつかずお得意さんの要望に応じられないこともあった。やむなくオープンリールのテープレコーダーに、客の持ち歌を歌いやすく合わせたキーで伴奏、録音して渡した。その客が大いに喜んだのは当然だが、その客以外からも、自分の伴奏用テープを作って欲しいという注文が多くなってきた。普通の人ならその都度、頼まれれば伴奏用テープを作ってあげるという程度にとどまるが、井上大佑氏はヒラメキ、発想が違った。伴奏用テープと小型ジュークボックスと一体化してしまえば誰でも歌えるようになるのではと思いついた。結果的に、この発想が後のクレセントのカラオケ1号機となる。このカラオケ1号機には、スプリングエコーを装備し、伴奏用テープといえば誰でも歌いやすい様にアレンジしてあったので、スナックなどに置いたところ歌いやすいと大人気となった。さらに、売り切りではなくレンタルだったことも普及にプラスだった。

 
写真:カラオケの歴史に関しては諸説あり、様々な本が出版されている。歴史に興味のある方は是非ご覧になって下さい。
 

参考資料:一般社団法人 全国カラオケ事業者協会HP、レジャー白書、JASRAC(一般社団法人 日本音楽著作権協会)、カラオケを発明した男(大下英治著 河出書房新社)、カラオケ秘史(烏賀陽弘道著 新潮社)、カラオケの科学(中村泰士著 はまの出版)、カラオケ王国の誕生(朝倉喬司著 宝島社)、笑う科学イグ・ノーベル賞(志村幸雄著 PHP研究所)、外国語になった日本語の事典、 日本ビクターの60年(日本ビクター編)、「SOUND CREATOR」(パイオニア編)、他