エレクトロニクス立国の源流を探る
第183回 日本が生んだ世界的エンタテイメント“カラオケ”第8回
再生オンリーの機器だけにソフト供給体制の充実が需要となるディスクメディア
VHDにしてもLDにしてもVTRとの大きな違いは録画・再生ではなく再生オンリーのであるということだ。如何に再生用のソフトを供給できるかであり、質・量とも問われてくる。
単純に考えると、VHDはファミリー数が圧倒的に多くパイオニア1社のLDと比べれば優位である。しかも、ディスクの生産においてもVHDは、ディスクの表面・裏面を一度にスタンパーで造ることができるのに対して、LDは表・裏を別々に造り貼り合わせる工程が必要になりそれだけ難しい。
ユニバーサル・パイオニア(UPC社)が山梨県甲府市にビデオディスク工場を完成
このためパイオニアはMCA社と合弁で設立したビデオディスクプレーヤー生産会社ユニバーサル・パイオニア(UPC社)で1979年11月に山梨県甲府市にビデオディスク工場を完成させた。翌1980年にビデオディスクの量産化技術を確立し、ソフトでの供給体制を整えた。さらに、アメリカのMCA社、ヨーロッパのフィリップス社、コンピューターメーカーのIBM社との連携強化を図りグローバルな生産・販売体制を強化して行った。
発売の遅れがVHDファミリーの崩壊につながって行った
一方、VHD方式はプレーヤーの生産体制は整ったが、ディスクの生産面で技術的な問題が解決せず、発売予定だった1981年4月には間に合わず、実際に発売されたのは1983年4月だった。こうした製品化の遅れがVHDファミリーの崩壊につながって行った。
GE、ソーンEMI、日本ビクター、松下電器の4社で設立したVHDハードとソフトを供給するための合弁会社は、発売の遅れに不満を感じたGE、ソーンEMIが撤退したことで事実上破綻した。
CD/LDコンパチブルプレーヤーの発売でLDプレーヤーが優位に立つ
さらに、技術面から見てLDが優位な点がもう一つあった。それは、LDプレーヤーが光学式ピックアップを採用していたことだ。光学式ピックアップはCDプレーヤーにも採用されており、LDプレーヤーとも共通する面があった。そして、この特徴を生かしてCD、LD両方のディスクを再生することができるCD/LDコンパチブルプレーヤー「CLD-9000」が、パイオニアから1984年に発売された。当時、すでに普及していたCDとコンパチブルであることは7000円から1万円と高価なLDビデオディスクソフトだけに頼らずとも、手持ちのCDソフトで楽しめることはAVファンにとっては有難いことだった。
態度を保留していたソニー、日立製作所などがLD陣営に参入、LDが優位となる
また、初めにVHD、LDどちらの陣営にも参加していなかったソニー、日立製作所、日本コロムビア、日本マランツ、ティアックなどがLD陣営に参入したことで、さらにLDの優位が進んで行く。そして、1985年以降ヤマハ、パナソニック、東芝、三洋電機、三菱電機、日本電気ホームエレクトロニクスなどがVHD陣営から鞍替えしLD陣営に参入したことで、LDの優位がはっきりすることになった。
パイオニア、東映ビデオがLDカラオケを発売しカラオケ市場をリード
カラオケ市場を見ると、初めてレーザーディスクカラオケが登場したのは1982年にパイオニアが発売した「LD-V10」である。カラオケソフト面では、東映ビデオが20㎝盤のLDソフト「東映レーザーカラオケ」を発売している。翌年の1983年に入ると映像カラオケに参入する企業が相次ぐ。パイオニアのLDカラオケに遅れること1年、1983年に日本ビクターがVHDカラオケ「VK-3000」とVHDカラオケソフト「ゴールド24」を発売した。ディスクの摩耗に対する不安を打ち消すため「業務用カラオケに使用した場合でも1000回再生、2年は大丈夫」との日本ビクターのうたい文句だった。このほか、東映ビデオがVHDカラオケソフト「東映VHDカラオケ」を発売した。業務用カラオケ市場ではタイカンがVHDカラオケ「VDS-8800」を発売、T&MもVHDカラオケ「TD-1」を発売するなど、1983年はVHDカラオケも参入企業が相次ぎ活発な動きを見せている。そして画期的なのは、この年、東芝EMIが色変わりテロップを採用したカラオケソフト「TVLシリーズ」を発売したことである。これが後に映像カラオケ普及の立役者となる。
パイオニアが業務用市場向けにLDオートチェンジャー「LC-V12」を発売
1984年になるとパイオニアが業務用市場向けにLDオートチェンジャー「LC-V12」を発売した。LDソフト60枚を収納可能で手動でディスクを交換する必要がなくスナック、バー、ホテルの宴会場などへ普及しているはしりとなる。また、CDカラオケも活発な動きを見せており、CDオートチェンジャー方式のカラオケ機が東芝EMIから60枚収納の「XK-600EM」が、日本ビクターから130枚収納の「DS-4000」が、タイカンから「CDS-6000」が、第一興商とソニーが共同で「CDK-7000」を発売している。また、日光堂と日本マランツが共同で開発した2連装CDカラオケ「CD-W1」とCDカラオケソフト「NCDシリーズ」を発売している。こうして業務用カラオケ市場ではオートチェンジャー方式が主流となって行った。
1984年には家庭用カラオケの世帯普及率は10%台となる
家庭用カラオケ市場でも1982年~1983年にかけて家電・音響機器の主要メーカーが参入。日本コロムビアの「GP-K300」、クラリオンの採点機付きカラオケ「MW-5000A」、パイオニアのステレオホームカラオケ「KS-808」、松下電器の“からおけ大賞”「RQ-95」などがヒット商品となった。こうした活発な新製品投入によって1984年における家庭用カラオケの世帯普及率は10%台に達している。
参考資料:一般社団法人 全国カラオケ事業者協会HP、レジャー白書、JASRAC(一般社団法人 日本音楽著作権協会)、カラオケを発明した男(大下英治著 河出書房新社)、カラオケ秘史(烏賀陽弘道著 新潮社)、カラオケの科学(中村泰士著 はまの出版)、カラオケ王国の誕生(朝倉喬司著 宝島社)、笑う科学イグ・ノーベル賞(志村幸雄著 PHP研究所)、外国語になった日本語の事典、 日本ビクターの60年(日本ビクター編)、「SOUND CREATOR」(パイオニア編)、他