JA6GXP 浅井 渉氏
No.7 DXハンティングに熱中(2)
[QSLカードの回収]
連載第4回にも記載したように、1967年に開局し、翌年ローデシアのZE1JEと1st DX QSOを達成した浅井さんはDXの虜になった。1972年に現住所に引っ越した後は、20m高のクランクアップタワーを建柱し寝る間も惜しんでDXハンティングを行った。1975年には熊本県ハム連合の創設に関わり、アマチュア無線の活性化に尽力していたが、同じ頃結成された熊本DXクラブにも入会し、DX情報はこのクラブで交換していた。
DXCCの方は、DXを始めた頃、たまたまサイクル20のピークにかかり、コンディションが良かったため1、2年で完成し、QSLカードも集まったが、申請の仕方がよく分からなかったため、申請は行っていなかった。JARLの終身会員にもなったが、珍局はほとんどダイレクトで回収したという。その頃は、ドンミラーやガスブローニンなどの一部のDXペディショナーを除いて、珍局でもたいがいはオペレーター本人がQSLカードを発行していたため、浅井さんはQSLカード回収のため、世界各国に航空便を送った。
当時から、ダイレクトでQSLカードを請求した際の返信用封筒は捨てておらず、切手も剥がさずにそのまま保管しているため、かなりの枚数がある。昭和40年代、50年代の封筒ももちろん残っている。「綺麗な切手も多いので、切手を剥がして整理すれば良いと思いまずが、面倒なのでやっていません」、「フセイン国王にもダイレクトで送ったため、返信用封筒も探せば出てくると思います」と浅井さんは話す。
世界各国から返ってきた返信用封筒。
[DXCCを申請]
同級生でDX仲間のJA6YG中山さんからは、何度も「早くDXCCを申請しなさい」と言われていた。1984年になり、浅井さんは申請に使うQSLカードの選定を中山さんに手伝ってもらってDXCC申請書をやっと書き上げた。そして消滅エンティティも入れて313枚のQSLカードとともに米国のARRL本部まで書留便で送付した。その結果、認められなかったQSLカードが2枚あったが、Mixed Modeで311エンティティのクレジットを得た。「311のうち、消滅エンティティが9ありましたので、現存エンティティは302でした」と話す。
浅井さんが所有するDXCCの賞状。
今では、DXCCにフィールドチェックという制度ができたため、QSLカードを米国のARRL本部に直接に送らなくとも、ARRLが認定した日本国内のカードチェッカーにQSLカードを審査してもらうことができるようになっている。しかし、浅井さんは今でも、エンドーズメント申請は、必ず米国にQSLカードを直送している。「発送時も書留便ですし、返送も書留を指定していますので、いままで郵便事故にあったことは一度もありません」と話す。ただし、一度だけ、関西ハムフェスティバルの会場で1枚だけフィールドチェックを受けたことはあるという。
[オナーロール]
初めてDXCCを申請した翌年の1985年、浅井さんはエンドーズメント申請を行い、現存トータル318エンティティのクレジットを得て、DXCCオナーロールメンバーになった。オナーロールメンバーとは、DXCCの残りが9エンティティ以下となったときに認定される名誉あるメンバーのことである。DXCCに取り組んでいる多くの局が、このオナーロールメンバーになることを目標としていると言っても過言ではない。
浅井さんが受賞したDXCCオナーロール盾。
当時47歳だった浅井さんは、徹夜で運用し一睡もせずに仕事に行くことも少なくなかった。「仕事柄、徹夜は慣れていました。番組を編集するため、泊まり勤務もしていました。民放連の芸術祭への参加番組を作ったときなどは、3日くらい寝ずに仕事をしたこともあります」と話す。
オナーロールの最上位は、現存する全てのDXCCエンティティとの交信を達成した者だけが認定される#1オナーロールメンバーである。浅井さんは、オナーロールメンバーになった後も、#1を目指してDXハンティングを休むことなく、着実にエンティティを増やしていった。1991年8月、20年以上アマチュア無線の電波が出ていなかったミャンマーからXY0RRが運用され、浅井さんはこの局との交信で、ついに残り1エンティティとなった。最後に残ったのは、こちらも20年以上電波が出ていないアルバニアであった。
1990年頃の浅井さんのシャック。メイントランシーバーはIC-780。
[#1オナーロール]
しかし、ミャンマーとQSOを達成した直後の1991年9月、運良くアルバニアからもZA1Aの大規模な運用があり、浅井さんはついに現存する全てのエンティティ(当時は329エンティティ)とのQSOを達成した。1967年の開局以来24年を費やした結果であった。浅井さんはミャンマーとアルバニアのQSLカードを手にするとすぐにARRLにエンドーズメント申請を行い、晴れてDXCC#1オナーロールメンバーとなった。
浅井さんも参加した「ZAの会」。ZA1AとのQSOでDXCC現存全エンティティとのQSOを達成した局が東京に集まった。
その後も、植民地の独立などの政治的な理由や、DXCCのルール変更などで、新しいエンティティが少しずつ増えていき、2010年9月末現在では現存総数が338エンティティとなっているが、浅井さんは、取りこぼし無くすべてのニューエンティティとのQSOを達成し、DXCC#1オナーロールメンバーの資格を堅持している。
浅井さんが受賞したDXCC#1オナーロール盾。
2007年12月に誕生したカリブ海のフランス領セント・バルセレミーとは、たまたまRTTYで初QSOを行った。「私はDXCCのモードにはこだわっていませんので、ミックスモードでQSLカードが1枚あれば十分です」、「1QSOを達成したら、他のモードは必須という訳ではありませんので、無理してまでQSOは行いません。」「そのため、いまだにセント・バルセレミーはRTTYの1QSOだけで、SSBやCWではQSOできていません」と浅井さんは説明する。