[RTTY]

浅井さんは、アマチュア無線に関して、なんでも試してみることが好きで、RTTYも早い時期に手をつけた。まずは1970年代の後半、沖縄にいる友人に頼んで、米軍払い下げのジャンクの業務用テレタイプマシンを購入して送ってもらった。マシンが到着するとさっそくアマチュア無線用の改造に着手したが、マシンを動作させてみると、ガチャガチャガチャと派手な音をたて、「こんなモノ、家で使えるか」と感じたという。

その頃、浅井さんは、仕事でよくカンボジアや台湾、韓国などに出張したが、ホテルのフロントの横には、有線のテレタイプ用に同じマシンがよく置いてあったという。「日本は漢字社会なので、テレタイプは発展せずに、代わりにFAXが発展したのでしょうね」と話す。

騒音マシンではあったが、とりあえずアマチュア無線用の改造は完了させ、交信できるところまでは仕上げた。しかし、受信するだけでも大音響を発し、あまりの騒音から、「これは木造家屋では使い物にならない」と判断し、結局1局も交信することなく、最終的には粗大ゴミとして廃棄した。ちょうどその頃(1980年頃)、東野電気から小型のRTTY装置・θ7000(シータ7000)が発売されたことも、業務用テレタイプマシンによるRTTYを諦めた理由のひとつであった。

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浅井さんが所有するθ7000のカタログ。

[θ7000を入手]

θ7000を入手した浅井さんは、いよいよRTTYによる交信を始めた。1stQSOの相手はオーストラリアのVK2KM局だった。しかし、θ7000はメモリーが少なかったため、基本的に手打ちによるタイピングで交信する必要があった。浅井さんは、キーボードの手打ちを苦手としていたため、苦痛を感じながらRTTYモードでの交信を行っていたという。その後しばらくすると、プロコから、十分なメモリーを搭載した、CRTモニター付きのRTTY装置・CT678が発売された。

CT678を入手すると、浅井さんはメモリーをフル活用して交信を行った。自分からもCQを出して積極的に交信した。このCT678は、2000年に日本語版フリーソフトのMMTTYが登場するまで使い続け、200エンティティ以上と交信した。MMTTYを使うようになってからは、RTTY用の専用装置は片付けてしまい、現在ではMMTTYで運用を行っている。

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CT678が設置された浅井さんのシャック。当時のメイントランシーバーはIC-760。

[MMTTY]

このMMTTYとはJE3HHT森さんが開発したRTTY用のソフトウェアで、従来のようにRTTYモードを運用するのに専用の装置を必要とせず、パソコンのサウンドカードを制御してRTTYを行えるようにした画期的なソフトウェアのことである。フリーソフトということも相まって、日本だけでなく、今や世界ナンバーワンのシェアとなっている。

[残像式ブラウン管]

新しもの好きの浅井さんは、SSTVも早いうちに手をつけ、残像式ブラウン管の時代から運用を行っている。まず初めに1980年頃、東京電子工業のSS-727CとSS-727Mを入手して、モノクロSSTVを始めた。無線機に残像式ブラウン管を備えたSSTV装置(SS-727M)をつなぎ、さらにそれにカメラ(SS-727C)をつないで運用した。

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SS-727CとSS-727M。

カメラで撮影した画像はSSTV装置で音声信号になり、それを無線機のマイク端子から入力してSSBモードで送信した。1枚のモノクロ画像を送るのに8秒かかった。受信は交信相手から送られてくるSSTVの信号をSSBモードで受信し、スピーカー端子から出力される音声信号をSSTV装置に入力し、画像となったものを残像式ブラウン管でモニターした。

ブラウン管上では一番上部から画像がゆっくりと表示されて行き、8秒間かかって一番下部まで映し出されたが、画像の下の方が映り始めた頃にはすでに上の方は消えかかっていったという。現在のように受信した画像を、画像ファイルとしてパソコンなどに保存することはできなかったため、「あの頃は、受信した画像をただ見ているだけでした」と浅井さんは話す。

そのころ送っていた画像は、交信成立に必要な最低限の内容である「相手のコールサイン」+「DE JA6GXP 595」といった文字だけで、これらを紙などに書いてカメラで写し、SSTV装置に取り込んだ。解像度が悪かったので、写真を送るということはほとんどなかったという。また、当時は、交信相手があまりおらず、「結局、残像式ブラウン管では、20局くらいしか交信できませんでした。これらは全部日本の局で、海外はゼロでした」と浅井さんは話す。

[スキャンコンバーターを入手]

その後、福岡にNASAというSSTV愛好家の組織があり、JA6YQ石阪さんがモノクロスキャンコンバーターの基板を開発して頒布を始めた。完成品(SC-800)も頒布しており、浅井さんはさっそく入手した。「結構高かったですが、飛びつきました」と話す。残像式ブラウン管と違って、スキャンコンバーターを使うと、受信画像が時間の経過とともに消えていくことがなく、受信終了後も受信画像はモニターに写ったままで、画期的であった。

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浅井さんが手に入れたSC-800。上のキーボードを使って画像に文字をスーパーインポーズした。

スキャンコンバーターの登場でSSTVの交信は飛躍的に進歩したものの、それでも交信相手はあまり増えなかったため、浅井さんはだんだん興味が薄れていって、1984年頃を最後に、ついには運用を中断してしまった。