[IC-780]

1967年の開局後、HFではケンウッドと八重洲無線のトランシーバーを主に使ってきたが、1984年ごろ、浅井さんは初めてアイコム製のHF機を購入した。IC-750であった。その高い性能が気に入った浅井さんは、その後ずっとメイン機にはアイコム製のHF機を使い続けていくことになる。次に購入したのはオートアンテナチューナーを内蔵したIC-760であった。

このIC-760も満足行くものであったが、浅井さんはさらなる性能を求め、当時の最高級アマチュア無線機IC-780を購入した。IC-780はアマチュア無線機として初めて5インチCRTディスプレイを内蔵し、スペクトラムスコープを実現するなど、アイコムが威信をかけて開発した画期的なHFトランシーバーであり、基本性能も群を抜くものであった。

photo

IC-780をメイン機として使用していた頃。

浅井さんは、その後約10年間に渡って、このIC-780でDXハンティングを続けていくことになる。「私のアマチュア無線人生の中で一番長く使った機械です。途中数回か故障はしましたが最高の機械でした」と浅井さんは話す。

[IC-7700]

1990年代後半になると、HF機の変復調やフィルタリングはDSPが行う機械が主流となり、デジタルの時代が到来する。それでも浅井さんはIC-780の性能に満足し、使い続けていたが、10年を経過すると愛用のIC-780も古くなってきた。そのため、時代の波に乗るべくDSP機への入れ替えを検討した。その結果選んだのは、IC-756PRO3であった。

性能は良かったが、「筐体が小さいので飛ばないような気がして、しっくり来ませんでした」と話すように、大型機に慣れた浅井さんには、DC電源を内蔵していない小振りな機械は感覚的に合わず、しばらく使用した後、大型機のIC-7700に入れ替えた。そのときにはもう1ランク上のIC-7800という機械もあり、浅井さんはどちらを導入するか検討したが、受信部は2つ要らないという結論に達し、受信部が1つであること以外は、すべてIC-7800と同じ性能を持つ、IC-7700の導入を決めたという。

photo

IC-7700には外部モニターを接続し、画面を拡大表示して使っている。

[古い機器の処分]

浅井さんは、近年、機器を入れ換える際、下取りには出さず、古い機械はインターネットオークションで売却している。オークションへの出品は、初めのうちは要領が分からず普通に出品していたが、最近では、高く売るコツが少し分かってきたという。それは、説明の文章を上手く書いたり、写真を綺麗に撮ったりすることだという。

[コンテスト]

浅井さんは、通常の運用以外に、コンテストにもよく参加している。コンテストには、世界のアマチュア局との交信を対象としたDXコンテストと、日本国内のアマチュア局との交信を対象とした国内コンテストがある。そのうちDXコンテストへの参加は、珍局ハントを兼ねているので、浅井さんは呼ぶ側に徹している。電話のコンテスト、電信のコンテスト、RTTYのコンテストの全てに出ているが、上位入賞は狙っていない。

しかし、国内コンテストでは、優勝を目指して頑張っている。特にオールJAコンテストには、だいたい毎年参加している。エントリーはいつも電信電話14MHz部門を選んでいるが、その理由は、6エリアからの参加だと、ビームアンテナを北東方向に向けておけば、国内のほとんどのエリアをカバーできるため、あまりアンテナを回転させずに参加できるからだという。

1983年の第25回オールJAコンテスト電信電話14MHz部門で全国3位に入賞した浅井さんは、1989年の第31回でついに全国優勝を果たした。その後も九州地区トップを何度か取るなど、継続して好成績を収めている。その他、毎年1月に開催される熊本コンテストにも大体毎年出ている。こちらは熊本県内の局が積極的に出ないとコンテストが盛り上がらないため、どちらかというとにぎやかし目的で出ている。

photo

1989年の第31回オールJAコンテストで優勝。

[SSTVコンテスト]

NVCG(西日本画像通信グループ)が主催するSSTVコンテストにも、2002年以降ほとんど毎年参加し、2004年には国内局部門で優勝を収めている。NVCGは第8回でも少し紹介したNASAを前身とする、浅井さんも所属するSSTV愛好家のグループである。2004年のコンテストでは77QSOで優勝した。

SSTVコンテストと言えば、毎年8月にJASTA(日本アマチュアSSTV協会)が主催するアクティビティコンテストもある。浅井さんはこちらにも2003年以降ずっと出ているが、未だ入賞したことがない。このコンテストではV/UHFでのQSOに対して高い得点があたえられるルールになっている。HF帯での交信が1点に対し、50〜430MHz帯での交信は2点、さらに1200MHz帯以上での交信は3点である。

しかし、50〜430MHz帯でSSTVを運用している局は、九州には非常に少なく、ましてや1200MHz帯以上で運用している局は皆無に等しい。「地方では高得点が得られないため、上位入賞は至難の業なのです」、と浅井さんは説明する。それでも2010年にはローカル局3局に頼んでSSTVを初めてもらい、それらの局とはHFではなく、できるだけ50MHzで交信して、2点を獲得していった。

このコンテストでは、同一局との交信でも、交信日が異なればポイントになるため、高い周波数で、毎日同じ局とQSOするのが高得点獲得への早道であるが、地方ではなかなか難しい。2010年、浅井さんはQSO数こそ1000にわずかに届かなかったが、50MHzでの交信が2点となったため、ポイントは1044点となり初めて1000点を超えた。これに、マルチ(日本のエリア10+DXCCエンティティ24+運用日数10)をかけて、得点は45,936点になった。これだけの得点をもってしても、上位入賞は依然難しい状況だという。

photo

2010年のJASTAアクティビティコンテストでの交信画像。8月31日の最終日、浅井さんはシリアル990番を送った。