[火の国総会]

2006年の第48回JARL通常総会(愛称 火の国総会)は熊本市で開催された。総会の開催に先立ち実行委員会が組織されるが、実行委員会の初仕事は、前年の総会で、翌年の熊本市の開催をPRすることだった。浅井さんは県支部の運営委員であったことから当然実行委員会に加わることとなり、議事運営委員長に選任された。

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火の国総会が行われた 熊本県立劇場。

実行委員会は、支部の役員や登録クラブの会員を中心に構成され、全員で50人くらいのメンバーとなった。この中から何人かが、火の国総会の広報活動および視察の為、前年に仙台市で開催された通常総会に出向いた。浅井さんはちょうどそのときに身内に不幸があり、仙台には行くことができなかったが、総会を視察した役員の話を元に、その後の方針についてとりまとめ、本格的に実行委員会を始動し始めた。

[議事運営委員長に就任]

議事運営委員長に就任した浅井さんは、総会記念誌作り、進行台本作り、前夜祭関係の段取りを中心メンバーとなって行ったが、先に連盟本部から議事運営委員会のマニュアルをもらえたため、マニュアルを参考にしながら作業を進めていった。

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議事運営委員会のスタッフ。

まずは、数ヶ月前からJARLニュースに掲載する、総会の案内、宿泊の案内、会場の案内などの原稿、ならびに地図を作成して連盟本部に送った。次は総会記念誌の制作に着手したが、広告取りも仕事だったため、地元企業を回った。カーディーラーやデパート、製菓会社まで回ったという。広告関係の仕事をしていたJA6YG中山さんにもずいぶん協力してもらった。

その結果、県の物産館や、観光協会からも協賛をもらうことができた。総会記念誌は東京で印刷を行うため、浅井さんは版下データを集めて、東京にある広告代理店に送った。そのほか、CQ出版社が総会参加者に毎年配布している手提げ袋のデザインも浅井さんが担当した。阿蘇のイメージで下絵を作り、最終的にはイラストの専門家に頼んで、仕上げてもらった。

[進行台本]

「一番大変だったのは進行台本の準備でした」と浅井さんが話すように、浅井さんにとって、総会本番の運営より、進行台本作りが一番の大仕事だった。この進行台本は、その名のとおり、総会本番の進行(段取り)が分刻みで細かく書かれたスタッフの手順書となるもので、開会式の進行について書いた第一部と、議事の進行について書いた第二部の二部構成となっている。

この進行台本は、どこの総会でも使用され、毎年制作されているものなので、以前の総会のものが見本として使えるため、新たに一から制作するものではないが、何しろ大変だったという。まずは、総会の3ヶ月くらい前にJARLの連盟本部から見本の電子データが届き、それを改訂するという手順になる。しかし、届いた電子データはワープロソフト・一太郎で作られたファイルで、しかも普段使っていない縦書きの書式だった。浅井さんは、慣れない縦書き文章を何とかこなしながら作成を始めた。

来賓の挨拶の内容まで記載する必要はなかったが、司会者の発言については、一言一句すべて進行台本に記載した。また議決が投票になったときにも対応できるよう、投票の段取りまで記載した。これらがある程度完成したところで、連盟本部に提出して校正を入れてもらい、校正部分を修正。このやりとりを数回繰り返し、初校から2ヶ月くらいかけて進行台本を完成させた。

[最終チェック]

原稿が完成したところで、印刷会社に依頼して印刷、製本をしてもらい当日配布することになるが、最終チェックは、総会前日の理事会が終わった後に、理事によって行われる。事前に十分な確認は行われているものの、万一、この最終チェックで不具合が指摘された場合は、その日の晩に急遽対応を行い、翌日の総会までに修正を間に合わせる必要がある。

修正箇所は、ページを差し替えないといけないため、パソコンで原稿を修正し、当該ページを必要部数プリンターで打ち出す必要があった。1箇所ならまだよいが、修正が複数ページに渡ると大変な作業とになる。そのため、浅井さんは、会場近くのホテルにパソコンとプリンターを持ち込み、万一の修正に備えて待機した。結果として幸運にも最終チェックでの修正は入らなかった。浅井さんが担当した進行台本は、第一部 開会式が21ページ、第二部 議事が29ページのボリュームになった。

[前夜祭と総会当日]

総会前日の行事として、理事会や評議員会の他、リハーサルと前夜祭がある。この前夜祭の準備や開催に関しても、議事運営委員会の担当になっており、浅井さんは、入場券作り、名札作りから、机の配置決めまで担当した。ただし会場の交渉だけは他のスタッフに担当してもらったという。「進行台本づくり、リハーサルが終わって、前夜祭までこぎ着けたら、議事運営委員長の仕事は8割方、終わったようなもんです」、と浅井さんは話す。

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前夜祭の様子。

総会当日、浅井さんは舞台の下手に常時待機し、舞台監督の様に、総会の運営を取り仕切った。人が出るタイミングもすべて指示を出した。もともと浅井さんは、放送局に勤務していたため、このような役には慣れており、なんら問題もなくスムーズに運営できたという。総会ではすべての議案が可決され、トラブルなく予定の時間で閉会した。1ヶ月後くらいに打ち上げを行って、実行委員会は解散したが、「もう一度やれ、と言われても、もう嫌です」と浅井さんは笑って話す。

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総会終了後、壇上に並んだ実行委員会の全メンバー。