[熊本放送の送信所]

浅井さんが41年間勤務した熊本放送(コールサインJOBF)について少し書いておく。1953年10月1日、熊本放送の前身であるラジオ熊本は、全国21番目のラジオ局として開局した。開局当時は熊本市池田町にあった池田送信所から周波数1100kHz、出力1kWで放送していたが、1956年に出力の変更申請を行い、3年後の1959年に昼間5kW、夜間3kWの免許が下りた。浅井さんは1958年にラジオ熊本に就職しているので、ちょうどこの変更申請中だったことになる。

浅井さんが入社した翌年の1959年にラジオ熊本はテレビ放送も開始し、1961年には(株)熊本放送に社名を変更した。ラジオの送信周波数はその後一旦1200kHzに変更され、1978年には1197kHzに変更され現在に至っている。その後、出力10kWへの変更を計画したが、開設当初、周りには何もなかった池田送信所の周辺に住宅が密集してきたため、増力ができなかった。そのため1993年に西合志町(現合志市)に新しい送信所を開設し、10kWに増力した。それと同時に熊本放送では他社に先駆けてAMステレオ放送も開始した。

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新しく開設した西合志送信所。

[1.9MHzの運用を計画]

1993年、送信所が西合志に移転した時点で、池田送信所にはまだ送信用のバーチカルアンテナが残っていた。このアンテナが撤去される前に1.9MHzの運用をやってみようという話が出たため、浅井さんはJA6JPS田嶋さん達と局舎の下見を行って計画を練った。しかし、1197kHzに同調したアンテナに、1.9MHzのアマチュアバンドを簡単にマッチングさせることができず、検討しているうちにアンテナが撤去されることになり、結局運用は叶わなかった。

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開設当時の池田送信所のバーチカルアンテナ。

[髭(ひげ)号の話]

1980年、熊本県出身のクルーが乗り込んだ髭号というヨットが太平洋を横断することになった。この髭号と熊本放送のアマチュア無線クラブJA6YFJが定時交信を行い、航行状況をテレビ、ラジオで伝えることになった。JA6YFJ側のオペレーターは浅井さんが担当することに決まった。髭号は兵庫県の西宮ヨットハーバーから出航することになり、浅井さんはカメラマンと一緒に、出航日に西宮市まで取材に出向いた。

髭号出航後は定時交信が始まった。浅井さんは、毎朝7時からの定時交信に間に合うように出社して、21MHzで交信を行った。短波帯を使っていたため、日によってつながらない時もあった。それでも、当時はサンスポットサイクル21のピークだったため相対的にコンディションが良く、米国西海岸に達するまで概ね順調に交信が行えたという。ある朝は、起きるのが遅くなり定時交信に遅れそうになったため、車をいつもより飛ばして会社に向かったところ、スピード違反で捕まってしまった。もちろんその日は定時交信に間に合わなかった。

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地図を確認しながら髭号と交信する浅井さん。

数ヶ月の間、定時交信を行い、髭号から送られてくる緯度経度を、浅井さんは大判の地図に記入していった。また自らテレビ番組に出演し、地図を示して髭号の航行位置、ならびにクルーの状況を伝えたという。もちろんラジオ番組でも同様であった。「JA6YFJから熱心に交信したのはこの時くらいですね」と浅井さんは話す。浅井さんは1998年、60歳の誕生日に熊本放送を定年退職した。

[退職後はログ入力に明け暮れる]

定年退職後、まず始めたことはパソコンへの交信ログの入力であった。使用するログソフトはメジャーなハムログを選んだ。浅井さんはそれまでにも数種類のログソフトを使い、電子化したログも多少はあったが、将来的なことも考えて、日本で一番多くの局が使っているハムログが一番無難だと思った。このハムログはJG1MOU浜田さんが作ったフリーウェアで、日本国内では大変人気があるログソフトである。

まずは、以前のログソフトで電子化したログデータを、知人に頼んでハムログの形式にコンバートしてもらった。それでも数的には200〜300データ程度であったという。そのデータを取り込んだ後、開局当初の1冊目のログから入力を開始した。毎日毎日、紙ログのデータをハムログに入力していった。しかしある時ふと思った。「QSLカードが到着していないQSOデータを入力しても意味がない」、「今さら届く訳でもないし、QSLカードがなければ何の証明にもならないのだから、入力はやめよう」と。

[カード入力に方針変更]

その後は、手元にあるQSLカードを見て、そのカードに記載されたデータをハムログに入力することに切り替えた。そして入力を開始して約2年間かかり、浅井さんは10,000QSO超のデータ入力を完了した。一旦手持ちのすべてのQSLカードデータを入力してしまった後は、紙ログは一切使わずリアルタイムでハムログに入力している。2010年現在でデータ数は約40,000QSOとなっている。

現役時代30余年で行ったQSO数より退職後のQSO数の方が断然多くなっているが、これは現役の頃は、ダイヤルを回して狙いを定め、狙った局しか呼ばなかったからで、「退職後は、暇な時間が増えたため、狙った局以外でも聞こえた局を呼ぶようになり、交信局数が飛躍的に伸びていったからです」と浅井さんは説明する。