[アマチュア無線は人生]

「アマチュア無線は人生です」と話す浅井さん。これだけ打ち込むものが他になかったことを理由に挙げる。浅井さんは競馬や競輪などのギャンブルは一切しない。庭いじりや家庭菜園も嫌い。旅行も昔からあまり行っていない。またかつてやっていたゴルフも、のめり込むほどはやらなかったし、今やっているグラウンドゴルフや写真もアマチュア無線ほど熱中はしていない。

「アマチュア無線は40数年間、一度も飽きたことがなく、電波を出すのが1ヶ月以上途切れたことがありません」と話す。当面の目標としていたDXCC全エンティティとの交信も、1991年アルバニアとの交信で達成し、その後は#1オナーロールメンバーの資格を堅持しながら、コンテストに出たり、JCCや道の駅を追いかけたり、SSTVやD-STARなどのジャンルを手がけたりしている。

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自宅のアンテナ工事中の浅井さん。1997年のスナップ。

「JCCについては昨年、東京の区部がリストに加わりましたが、それも含めて先日すべて交信でき、現在QSLカードの到着待ちです。道の駅は2010年12月現在954駅あり、その内交信済が800駅を超えました」と話す。浅井さんはDXハンティング中にはインターネットクラスターを見ているが、JCCや道の駅は、基本的に自力で探している。手紙やEメールによるスケジュール依頼も行っていない。

[交信目標]

「DXCCを始め、JCCや道の駅もそうですが、増減があるので一生遊べますね。一時的にパーフェクトとなっても、新しいところが増えると、それらと交信しないとパーフェクト状態に戻れません」、「特にDXCCでは、昨年10月にカリブ海で2つのエンティティが消滅し、同時に4つの新しいエンティティが誕生しました。九州からカリブ海と交信するのは容易ではありませんが、なんとかこの4つのエンティティすべてと交信したいと思っています」と抱負を話す。

「設備については、できることなら7MHzの八木アンテナを再建し、さらに3.5MHzも何か上げるなどして、ローバンドのアンテナをグレードアップし、5バンドDXCCを狙うという選択肢がありますが、自分の年齢を考えるとなかなかできません。今の設備で遊べるだけ遊べればよいと思っています」と話す。

「自分は新しもの好きなので、たいがいのジャンルは経験してきました。RTTYもSSTVもATVもやりましたし、サテライト通信もやりました。デジタルSSTVが出てきたらこれもスグにやってみました。」「もう飽きてしまったジャンルもありますが、アナログSSTVとD-STARは相手が多いしおもしろいので、しっかり続けています。」と浅井さんは続けて話す。

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浅井さんのQSLカード。

[HF運用]

「V/UHF帯に比べるとHF帯でオンエアしている人はまだまだ少ないです。もっとHF帯に出てきて欲しいと思います。海外通信を楽しんでいる人口はもっと少なくなりますし、年寄りばかりで若い人がいません」、「若い人にはぜひDXにトライしてほしいです。DXコミュニティに入ってきてくれると嬉しいです」。浅井さんはDXミーティングに顔を出しても、いつも同じ顔ぶればかりなのを残念がる。

浅井さんが所属している熊本DXクラブは、現在約10人のメンバーがいるが、全員すでにリタイアしたお年寄りばかりで、現役は一人もいない。「若いメンバーがいないから、これ以上は発展しないです。これは、我々が後進を育ててこなかった事がいけなかったと思っています」、「私がハム連合に熱を入れていた時はV/UHF帯を活動の場として、あまりHF帯には誘いませんでした。今考えるとそれがいけなかったかも知れません」と話す。

[後進の育成]

まず青少年の育成は、JARL熊本県支部の活動で、熊本市立博物館を借りて電子工作教室を開催する際に、機会がある毎にアマチュア無線の楽しみについて、子供達にしゃべっている。それ以外に、身体障害者のアマチュア無線のグループに対し、SSTVとかRTTYとかコンピューターを融合すると楽しみが広がりますよとか、V/UHFのFMでローカルとしゃべっているだけではなく、海外QSOもやったら楽しいですよ、といった講演も行っている。

また、免許既得者以外も集めた会場では、「体は動かなくても、手と口が動けば、アマチュア無線ができますよ、アマチュア無線は楽しいですよ」、と説明している。「身体障害者の人たちは、皆明るくのびのびしています。また、皆熱心に話を聞いてくれ、質問も多いです。すでに4アマの免許を持っている人も少なくないですが、アマチュア無線のことをよく知らない方が多いので、楽しみ方を教えているのです」と話す。

JARLの活動などを通じてアマチュア無線の普及活性化に尽力しながら、D-STAR他、新しいジャンルへのチャレンジも決して怠らない。その一方、四半世紀以上の間、トップDXerとして海外通信という伝統的なジャンルにおいても第一線で活躍しつづけるなど、浅井さんのハムライフは、止まりそうもない。

(完)