[海外出張]

勤務していた外資系メーカーが、世界戦略展開上の理由で日本での事業を日本の大手メーカーに売却したことも理由のひとつとなり、1986年、3年間勤務したその会社を退職した淺海さんは、ヘルスケア、医療機器、診断機器を取り扱う別の外資系メーカーに転職した。それまで勤務した会社では(研修を除いて)海外出張は余りなかったが、この会社では会議や研修で年に数回の海外出張があった。本社が米国にあったため、ほとんどが米国への出張であった。会議はたいがい月曜日から始まり木曜日ぐらいに終わることが多く、淺海さんは、会社の許しが得られる範囲で前週の週末あるいは会議修了後の週末に米国に滞在し、あらかじめQST誌で日程と場所を調べておいた米国内各地のハムイベントに顔を出していた。

米国でのローカルなハムイベントは大小様々なものがあり、しかも毎月、各地で数多く開かれている。1日だけのイベントから、長いものでは3日間程度のものまである。どのイベントでも必ずといって良いほどフリーマーケットがあり、淺海さんは、それらの会場で気に入ったものがあればコリンズ機を中心に、例えばバード社のパワー計とか同軸切替スイッチ、真空リレーや真空バリコン等、さすが米国製と言われるような周辺機器や、国内ではなかなか手に入らないようなパーツ等を気の向くままに少しずつ購入した。価格はまちまちだったが、だいたい日本での価格の半額程度であった。国土の広い米国では、自宅の近くにハムショップが無いのが普通であり、このようなハムイベントで、新品や中古品が売買されることは自然であった。

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2005年のデイトンハムベンション会場内で、コリンズバンという車の中のSラインで構成されたシャックにて。

外資系の会社では、出張に夫人を同行させることを禁止していないところが多く、淺海さんの会社でも禁止されていなかったため、淺海さんは何度か榮子夫人を同伴して海外出張に出かけた。「外資系の会社で働くということは、結果を出さなければならない。そうでないと居心地が悪いという厳しさもあるけれど、それ以外のところでは大らかで、つまらないことに気を遣わなくて良い点では大いに楽しむことができました」、「もちろん、特別な場合を除いては、家内の旅費や宿泊費まで会社は負担してくれませんので、その分は自己負担でしたよ」と話す。

[買ったばかりのKWM-2Aを失う]

淺海さんがプエルトリコで開催された会議に出席した時、プエルトリコへの往復にマイアミを経由したが、例によってQST誌でハムイベントの情報を調べ、たまたまマイアミのハムイベントと日程が合致したため、会議の帰りに参加した。その時、たまたま程度の良いコリンズのKWM-2Aが売りに出ており、$800という価格にも納得したのでその場で購入した。仕事の帰り道で、そのままニューヨーク経由で、東京に帰る予定だったため、そのKWM-2Aは、ハンドキャリーで自宅に持ち帰ることにした。きちんと梱包してマイアミ空港で航空会社に預けたところ、東京に着いたら無くなっていた。ほとんどの場合は、数日後には出てくるケースが多いが、このKWM-2Aは結局出てこなかった。いわゆるロストバゲッジである。

それは、2月のことで日本は真冬のため、常夏のプエリトリコでの会議を終え、マイアミで週末を過ごした後の帰途は真冬用の服装だった。手にはオーバーを持ち、段ボールの中に入った買ったばかりのKWM2Aを、大きなマイアミ国際空港の中を大汗をかいて運んだのを覚えているという。その段ボールに入ったKWM2Aが行方不明になってしまった。

不幸中の幸いで、荷物には最高$1000の保険がかかっており、淺海さんは航空会社(損害保険会社)との交渉に入った。事情を包み隠さずに話し、保険会社の要請に従って日本での中古KWM-2Aの販売広告などを示し、$1600程度の価値があることを認めてもらい、満額の$1000が支払われた。日本では$1000払っても同等品は購入できないのだから、当然といえば当然であるが、「実際に損をした訳ではないので、それで納得しました。これは今だから言えるエピソードです」、と話す。

[KE2HPを取得]

また出張に合わせて、米国のアマチュア無線の試験を受験することも計画し、あらかじめ試験日や試験会場を調べて、出発日を調整したという。淺海さんは、1990年ニュージャージーで行われた試験を受験し、1日でノビス級、テクニシャン級、ジェネラル級、アドバンスド級の4資格に合格、KE2HPのコールサインを取得した。

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KE2HPのコールサインも印刷されている現用のQSLカード。

米国の2エリアは、ニューヨーク州とニュージャージー州に割り当てられている。淺海さんは、ニュージャージー州に住んでいる米国人上司の住所を借りて開局したため、2エリアのコールサインKE2HPが割り当てられた。その後、最上位のアマチュアエクストラ級を取得したが、KE2HPというコールサインのサフィックス「HP」はHigh Powerの頭文字で愛着があり、上位のものには変更せず現在に至っている。「でも、K2HPなんていうコールサインが空いていれば、変更の申請を出してしまうかもしれませんね」と淺海さんは笑って話す。

[クランクアップタワーを建設]

1990年代の後半、淺海さんは自宅に念願のクランクアップタワーを建てた。フルアップすると約27mになるタワーで、それには2基のアンテナを上げた。上から、10/18/24MHz用八木(ミニマルチ社製2エレメント)、7/14/21/28MHz用八木(ナガラ社製TA-371-40)である。これで、7MHz〜28MHzのオールバンドで運用できる体制が整い、ますますアクティブにオンエアするようになる。

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建設当時のクランクアップタワーとアンテナ。

現在では、上記2基の中間に3.5/3.8MHz用ロータリーダイポール(クリエイト社製CD78jr)を追加し、3.5MHz〜28MHzのオールバンド対応となっているが、またこのロータリーダイポールには、ローカルのJA1BBE出野さんが作ったマッチングボックス(WBC80)を追加して、3.5〜3.8MHzまで連続カバーさせた。そのため、新たに解放された3.6M台や3.7M台の周波数でも問題なく運用できるようになっている。

[コリンズ機と国産機を並べて使う]

その頃の淺海さんは、コリンズ機を中心に国産機を併せて使うことが多くなっていた。国産機は、多くの遍歴を経て1992年に購入したケンウッドのTS-950SDXで、大変に気に入って、数年前まで国産機のメインの位置を保ってきていた。その前には主にTS-950SDを使っていた。950SDではSSBの平衡変調器に音声信号を直接入れたりするなど、主にSSBジェネレーター段までの部分を色々といじって楽しんだが、950SDXになり、多くの部品がSMD(表面実装部品)のチップになったことと、老眼が進んできたこともあり、もう触れなくなってしまった。

「950SDXでは、蓋を開けたとたんに、これはダメだとあきらめました。パーツはとても小さく、高密度になっていて、無言で“素人は手を出すな”、と言われているような気がしました。TCXOも標準で入っていましたので、IFフィルターを好みのものに取り替えたぐらいです」と淺海さんは話す。その他、1990年代後半にはアイコムのIC-775DX2や、IC-756PRO、FT1000、KWM380等も平行して使っていた。「950SDXは音がシャープな感じがしますが、775DX2は音がおおらかなところが気に入っていました。IC-756PROは、現在も伊豆の第二シャック(JQ2UNY)でメインのリグとして使っています。それと、FT1000とかKWM380等のフィルター方式のトランシーバーには独特の魅力がありますね」と話す。

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1990年のSWAのミーティングでのスナップ。