[東京スコラ・カントールム]

1976年、東京の本社に転勤になると、しばらくはじっとしていたが、結局は夫婦で東京スコラ・カントールムに入団した。本社転勤直後の淺海さんは、合唱を楽しむような余裕もなく、育った街ではあるが、東京での生活や、本社での仕事に追いつくのに必死だった。東京スコラ・カントールムは、大学時代の合唱団の先輩が中心になって設立され、合唱団ができた直後から勧誘されていたものの、転勤当時は余裕がなく、しばらく経ってから入団することになった。その後30年弱、淺海さんはこの合唱団で活動を続けている。ここでは現在は60人くらいの団員が活動している。

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1999年に開催した創立20周年記念演奏会の様子。

東京スコラ・カントールムでも毎年1回から2回、定期演奏会を開催しており、それに向けて練習を行っている。本年2010年は3月27日に定期演奏会を予定しており、J.S.バッハの「マタイ受難曲」を演奏することが決まっている。「この曲は2時間半くらいもかかる大曲で、途中30分ぐらいの休憩を入れますから、都合、3時間に近い演奏会になります」、「宗教曲の中でも特に長い曲の方だと思います。それと、演奏は二つのオケ部、合唱団部が必要ですから、編成も大変です」と淺海さんは説明する。「こんな大曲は学生時代には歌ったこともないし、おそらく素人の学生=アマチュア=合唱団では簡単には歌うチャンスがないと思います」と淺海さんは続ける。

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2010年3月の定期演奏会のチラシ。

[ドイツ音楽研修旅行]

東京スコラ・カントールムでは、これまでに4回ドイツに行っている。これは「ドイツ音楽研修旅行」と呼ばれている行事で、いつも30人くらいのメンバーが参加し、修道院などに泊まらせてもらって、彼等と生活を共にしたり、また教会を訪問して、その教会の人たちと一緒に合唱をしたりしている。

「1990年に初めて行った時には東西ドイツ統一の直前でしたけれど、東ドイツのライプチッヒで教会聖歌隊のメンバー宅に分泊させていただきました。私達夫婦は3人の小さなお子様のいる若いご夫婦のお宅に泊めていただきました。本当に困ったことに、ご夫婦は英語はほとんどお話にならず、私達のドイツ語ときたら、これまたほとんどダメ。当時の東ドイツではロシアの影響が絶対で、英語を学ぶのは一般的ではなかった。そのようなわけで意思疎通には大変に苦労しました。でも若いご家族の歓待だけは良く分かりました」

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現地合唱団との交歓会の様子。

「その後2回、ライプチッヒを訪ねていますけれど、そのたび毎にお宅に伺って彼らに逢っています。最初の訪問から10年経った2000年、第3回ドイツ音楽研修旅行の際に伺った時には、統一後の混乱のせいもあってか、連絡先が不明になったりしていたけれど、彼らの所属する教会に手紙を送っておいたら無事に連絡がついていて、10年ぶりに無事に再会を果たせました。最初に訪問した1990年に、この教会のアレンジで東京スコラ・カントールムの団員は民泊させていただけたので、もしかしたら連絡がつくかも知れないという微かな期待が実現したのです」と淺海さんは話す。

[20年後の再会]

「その時に感動したことは、お言葉に甘えてお宅に伺った時に、小さかった子供達はすっかり大きくなり、青年になっていたのですけれど、我々の10年前の訪問を良く覚えていて、10年前に日本から持って行ったささやかで質素な私達のお土産を大事にしていて下さり、リビングの棚にきれいに飾ってあったことです。沢山の物で溢れかえっている私達の生活とは違い、質素ではあるけれど、このようなことを大事にする彼らの心に感動し、うらやましくも思いました」、「昨年、再びライプチッヒに彼らを訪ねたのですが、子供達もすっかり大人になり、20年前には若かったご夫婦もお孫さんのいるおじいちゃん、おばあちゃんになっていました。最初の訪問からの月日に、色々なことを想いました」と淺海さんは当時を思い出しながら話す。

「このドイツ音楽研修旅行によって、合唱団として、あるいは合唱団員としては大きく深い何かを学んできたと思います。実際、教会税という、日本では考えられない税金のあるドイツでも人々の教会離れは著しく、それに伴って教会音楽の意味や、位置づけも大きく変わってきていると感じます」

「このような現象的な変化と同時に、ドイツ人に深く根付いている文化、生活、教会との関係などを見ると、日本で私たちが教会に行き、教会音楽を演奏するのとは次元の全く違う何ものかを感じざるを得ません。これは、日本の若者がすっかり変わってきていると同時に、温泉が大好きだったり、納豆が好きだったり、昔からのお祭りのお囃子やお神輿を観て、何か心が動かされるのと同じではないかと思ってしまうのです」

「また、旧東ドイツにあったライプチッヒの人たちは、特にカトリックへの弾圧がひどく、つらい教会生活を送ってきていたそうです。しかし、冷遇され、圧迫されてきたにもかかわらず信仰を守り、祈りを続ける人たちのことを思い、私達人間の愚かさを思わざるを得ませんでした」と淺海さんは話す。

[ドイツ人とバッハ]

「東京スコラ・カントールムの4回のドイツ音楽研修旅行とは別に、2009年11月には、特別に組織された合唱団で、J.S.バッハゆかりの地であるライプチッヒの聖ニコライ教会と聖トマス教会にて、J.S.バッハの作曲によるものでは最大のミサ曲、「ロ短調ミサ曲」等を歌ってきました」、「この時の研修旅行は東京スコラ・カントールムからは15名くらいが参加し、日本国内の他の合唱団からの参加者を合わせて、総勢80名くらいでした。それに現地のドイツ人30人くらいと合わせて、総勢100名強という大合唱でした」

「この演奏でも、ドイツ人にとってのJ.S.バッハが、私達日本人が抱いているものと基本的に異なることを痛感しました。簡単に言えば、ある意味では、日本人はJ.S.バッハを神格化しているような感じがしますけれど、彼らにとっては違いますね。もっと身近で日頃の生活に近い。勿論、J.S.バッハへの尊敬の念は同じものでしょうけれど」、と淺海さんは続ける。

本年2010年5月には、5回目の研修旅行を計画しているという。「東京スコラ・カントールムは、教会音楽が好きな人の集まりですが、キリスト教徒でないメンバーも入っており、教会の聖歌隊とは違いますよ」と淺海さんは説明する。

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ドイツ音楽研修旅行の1シーン。