[DXCC]

永く続いている太陽活動停滞期のためコンディションも悪く、かつてほどDXCCに熱が入っているわけではないが、淺海さんは50年に及ぶ運用の結果、2010年3月現在、現存330エンティティと交信済みでQSLカードを所持している。現在のDXCCの総エンティティ数は338であり、残り8つとなっているため、申請さえすれば、DXCCオナーロールメンバーになれる。「中学生時代にSWL-AJDを申請して以来、アワードは申請していませんでしたが、DXCCはもうあまり増えないので、50年ぶりにアワード申請しようかと考えています」と淺海さんは話す。

8つの残りのうち7つはアマチュア局が居ないエンティティのためDXペディション待ちだが、1つは常駐局もいるウズベキスタンである。ここはQSO済みであるが、1枚もQSLカードがコンファームできていない。「コンテストなどで探していますが、なかなか見つかりません。モードにはこだわりはありませんが、できれば死ぬまでには、全エンティティとの交信を達成したいです」と話す。

「超レアなDXペディション局が出てくると、スーパー設備を持つDXerは、あっと言う間にやっつけてしまって、残りの期間はかえって寂しそうです。一方、私は最後の最後まで粘って、やっとできたり、できなかったり。その間、ずっと楽しんでいるとも言えるわけです」、全部やりきっていない分、楽しみを残していると、これは本人が認める負け惜しみのセリフである。

DXCC以外には、「USカウンティアワード」の申請も予定している。米国のUS-CQ社が発行するこのアワードは、全米で合計3077あるカウンティー(日本の郡にあたる)のうち、最低500個のカウンティーから運用する局と交信し、QSLカードを得ることで申請できる。淺海さんにとって米国との交信は、局数も多いが、色々な思い出も多い。「まだ整理はしていませんが、1000カウンティーくらいのQSLカードがあると思います」と話す。

[アマチュア無線の魅力]

「携帯電話などは、我々は使うだけで、その中身は専門家だけが分かるものです。アマチュア無線家としては寂しいというか悲しいですね」、「オーディオ好きな方が真空管を大事にしているのは、音が暖かいとか優しいとか、色々な表現で音質を説明する人がいますけれど、それより何より、回路が自分で解り、自分との距離が近いせいも大きいのではないでしょうか。今の機器はアイデンティティ、一体感が持てません。逆に言えば、アマチュア無線がアマチュア無線であるための共通の、しかも究極の理由は、作ったり、触ったりすることができるし、しているからだと思います」

「だいたい、機械が壊れて、全く何も調べずにメーカーに持ち込むか、あるいは、それすらしないで、修理代の方が、買い換えるより高いに決まっていると決めつけて廃棄するなんて、家電製品のユーザーではあり得ても、ハムも同じだったら、これは何をかいわんやです。でも、これが現実も現実、普通になってしまいましたよね。」

「通信するだけで、作ることをしなかったら50年も続いてなかったと思います。半田のヤニの焼ける臭いは今でも大好きです。作るときは出来上がりをイメージしますよね。ああしようかとか、こうしようかとか考えているときが一番楽しいです。シャーシの上に部品をどう配置するとか。ツマミはどうするとか。また部品を買い揃えるのも楽しいです」、「しかし、一旦作ってしまうと、イメージしたようには上手に作れません。それで、結局はメーカー製の機械を買って運用することも結構多くなります。逆説的ですけれど、今悲しいのは、メーカー製の機械はすばらしすぎて手が出せないことです」と淺海さんは熱く語る。

淺海さんが、中学生、高校生だった時代、日本でもすでにコリンズの機器でアマチュア無線を運用している局が数局いた。その頃、東京駅南口の構内にQST誌を売っている本屋があり、淺海さんは毎号のようにQST誌を購入していたので、コリンズの製品はよく知っていたが、それらは今の価値でいうと、「少しオーバーかもしれませんが、1000万円ぐらいもする感覚」で、とても親のスネかじり学生に手が出るものではなかった。ちなみに、淺海さんはその頃から現在に至るまでQST誌の購読を続けている。

時期ははっきりしないが、昭和40年代になると東京駅の大丸百貨店がコリンズの無線機を販売していた。国産メーカーのトランシーバーは無かったが、テレックスのアンテナや、米国製のリニアアンプも扱っていたのではないかという。その頃もまだ眺めているだけで、淺海さんが初めてコリンズを手に入れたのは、前述のように、1973年(昭和48年)で、中古のKWS1と75A4である。

「コリンズがなかったから、アマチュア無線をこんなに一生懸命やってこなかったかも知れません。コリンズ機からは多くを学びました。初めて手に入れたKWS1ですが、これはオールバンドの送信機なのにNFB回路で発振しません。すごいなと思って、蓋を開けてみたところ、シールド板の使い方から始まって全てが想像とは全然違い、なるほどと思いました。これに比べれば簡単きわまりない自作の高1中2のシングルコンバージョン受信機が自己発振してしまう、そのような自分の腕とは天と地、月とスッポンで、完全に別世界の話でした」と話す。

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2009年に手に入れた念願のコリンズ製AM送信機32V-3。

[アマチュア無線の将来]

「自分はこれまでに十分に楽しんだけれど、アマチュア無線が通信のホビーだとすると、将来の存続は厳しいんじゃないかな。通信という意味ではインターネットには敵いません。インターネットを使えば瞬時に世界の何処にいる人ともつながります。通信の安定性も抜群です。インターネットは超不思議ですが、超不思議と感じさせないのは、つまらないですね。しかしそんなこと心配させないだけの優れた技術であり、考えている人はすごいと思います」

「アマチュア無線にある魅力の一つは、やはり機械を触れることです。ヒースキットは本当に楽しかったです。だから、はじめは簡単なCWの送信機を作る。キットも良いと思います。CWから入った人はアマチュア無線も長続きしています。アマチュア無線業界が協力してCWから入れるような入り口を作ったら良いと思います」と淺海さんは話す。

「私は完全にリタイアしたら、まずは送信機の周辺機器を作りたいと思っています。特にオーディオのマイク入力からSSBのジェネレーターまでの部分を作ってみたいです。これは、かつてバラックの実験はやってみたことがありますが、じっくりとやってみたいです。受信機はもう手が出ません。アイコムを始め各メーカーからすばらしい製品が出ていますからね」と続ける。

[アマチュア無線と合唱]

淺海さんの2大趣味はアマチュア無線と合唱で、どちらも50年来の趣味であることは先に書いたとおりだが、「この2つの趣味は全く趣が違います。合唱は皆が揃うことが基本です。息を吸うときから息を出すときまで、タイミングも息の吸い方もはき方も、そして何よりも、そのための気持ちを揃えないといけません。1人が目立つことは望まれていません。いわば皆と合わせることを日々練習し、そして演奏を行うのです。個人の芸術性や演奏技術等は、もちろん演奏全体に決定的なインパクトを与えますけれど、合唱の楽しみは、そのこと以上に、皆が同じことを考え、同じような気持ちで歌った時に最高のものとなりますね。まさしく、心が通じ合うことを実感し合うのです」

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東京スコラ・カントールム定期演奏会総練習の様子。

「一方、アマチュア無線の楽しみは、言葉は悪いけれど、極論すると、“相手を出し抜く”ことです。パイルアップもそうですし、音作りでもそうです。自分が抜きん出ることに密かな楽しみがあります。他人と違うことを目指す。この部分が全然違います。この全く違う趣の趣味を、両方とも50年続けていることには我ながら笑ってしまいます」と話す。ただし、榮子夫人に言わせると、「アマチュア無線も皆と一緒にワイワイやっているから続いているんじゃないの」ということらしい。

今年2010年もまだまだ現役で仕事を続けながら、来る定期演奏会に向けての練習、春にはドイツとバルカン半島への音楽研修旅行も予定されている。また来年にはCEIの同窓会がボストンで開催されることが決まっている。淺海さんが、自宅に落ち着いて自作を楽しむ日はまだまだ先になりそうだ。 (完)