[ZA1A]

海老原さんのDXCCで最後に残ったエンティティであるアルバニア。同国からは1971年以降、アマチュア無線の電波が途絶えており、当時は、要求率ナンバーワンの珍エンティティだった。その訳は同国でのアマチュア無線が禁止されていたからであったが、1991年、各方面からの働きかけにより、IARU(国際アマチュア無線連合)の国際プロジェクトチームがアルバニアの国民(選抜された数十人)に対してアマチュア無線のトレーニングを行うかたわら、20年ぶりにアマチュア無線の運用が行われることになった。

photo

ZA1AのQSLカード。

その国際プロジェクトチームの一員として、日本からもJA1BK溝口さん、JA1HQG有坂さんが参加することになり、彼等による日本向けのサービスが期待された。さらにこれはIARUのイベントであるため、QSOできればQSLカードの回収は問題ないという認識もあった。その様な状況の下、京都DXクラブ(以下、KDXC)のメンバー各局は、このイベントの日程に合わせて、リグやアンテナの整備を進めていた。その当時、京都DXクラブ内には現存全DXCCエンティティとのQSOを達成した局はおらず、アルバニアだけが残っているメンバーが8人いた。もちろん海老原さんもその内の1人であった。

[430MHzで情報交換]

その頃、KDXCメンバー各局のアクティビティは大変高く、430MHzのFMでZA1Aに関する情報交換が頻繁に行われていた。トップDXerだったJA3DY橋本さんをはじめ、JA3AQ竹内さん、JA3DX川勝さん、JA3APL長野さん、JA3BQE高尾さん、JA3MNP久松さん等で、24時間、交代で14MHzをワッチする様にしていた。

そんな中、ついにZA1Aの運用が始まり世界中からのビッグパイルアップとなった。運用開始当初はなかなかJA局にコールバックが無かったが、運用2日目になり、京都では9月19日の早朝2時前後に14MHzCWでまずJA3DX川勝さんにコールバックがあり、メンバー各局にも次第に返ってきた。運用は当然スプリットだったが、あまりのパイルアップとスプリット幅の広さに、ZA1Aがどこを拾っているかがなかなか分からない。そんな中、QSOできたメンバーは、430FMで自局の送信周波数情報を流した。その他にも、すでにQSOできた局は余裕があるため、ZA1Aのピックアップ周波数のサーチに専念し、まだできていない局を支援した。

午前4時までにはほとんどのメンバーがQSOできたが、地理的にヨーロッパとのショートパス方面が不利な海老原さんにはなかなかコールバックが無い。しかし4時1分、ついに「JA3ART 5NN」とコールバックがあり、その瞬間、海老原さんは、当時の現存全323エンティティとのQSOを達成した。一緒になってワッチしていた他のメンバーも聞いており、海老原さんは430FMで祝福を受けた。

[8局がQSOを達成]

一度できてしまえば肩の力も抜け、次々にQSOできるようになる。海老原さんはロングパスで入感する時間も狙って、最終的に14、21、24、28MHzの4バンド、SSB、CW、RTTYの3モードで合計8QSOを達成している。ちなみに、ZA1Aの総QSO数は約71,000であった。QSOしてもQSLカードを取得しないことには、DXCC #1オナーロールメンバーにはなれない。海老原さんは、10月19日にSASE同封で自局のQSLカードを発送。11月9日にZA1AのQSLカードが到着し、現存全323エンティティのQSLカードが揃った。

後日QSOしたメンバーも含めて、このZA1AとのQSOで現存全323エンティティとのQSOを達成したKDXCのメンバーは、海老原さんも含め、JA3AQ、JA3DY、JA3APL、JA3ART、JA3BQE、JA3CMD、JA3EMU、JA3MNPの8局であった。

このZA1Aを皮切りに、アルバニアではアマチュア無線が解禁された。9月末からは、ハンガリーチームがZA1HA、ZA1QAで運用を始め、10月に入ると日本チームのZA1ZJ、さらには参加メンバーが個人コールでもZA1ZST(JF1IST)、ZA1ZGV(JR6GV)、ZA1ZDB(JH1EDB)、ZA1ZLZ(JI1DLZ)、ZA1ZPL(JK1OPL)として運用し、50MHzも含めて日本向けに大サービスが行われた。

[#1達成記念パーティ]

海老原さんらが現存全323エンティティとのQSOを達成した快挙は、京都新聞社に伝わった。KDXCのメンバーの1人が、京都新聞社に友人がおり、彼がたまたま友人にそのことを伝えたところ、取材が行われることになった。取材は、JA3DY橋本さんのシャックで行われ、その日は京都市内に在住の7人が橋本さんの自宅に集合した。取材は1時間以上行われ大きな記事になり、10月22日付けの京都新聞朝刊に掲載された。「アマチュア無線家ではない近所の人からも、新聞を見たとの反応が結構ありました」と海老原さんは話す。

1993年11月3日の文化の日には、まだQSLカードは到着していなかったが、間違いなく大丈夫だろうと、京都市下鴨にある中華料理店「蕪庵」にて、KDXC主催の全エンティティ(カントリー)交信祝賀会が開催された。参加者は、上記8名を含んで30人と盛会で、8人は、参加者全員の手書きのコールサインが入った色紙をプレゼントされた。

photo

全エンティティ交信祝賀会。(※クリックすると画像が拡大します)

ちなみにKDXCでは、#1になる前に、まずはDXCCオナーロールメンバーになった時点で、達成者がクラブ員を招待して祝宴を開催するのが慣習になっていた。これは自宅にメンバーを招いてのホ-ムパーティ形式が多いが、中には祇園の料理屋にメンバーを招待した局もあったという。海老原さんが1987年にオナーロールメンバーになった際には、自宅にメンバーを招待して、祝賀会を開催している。

photo

全エンティティ交信祝賀会で受け取った色紙。