[カナダに出張]

海老原さんが勤務していた立命館大学は、カナダのバンクーバーに在るブリティッシュ・コロンビア大学(略称UBC)との間で単位互換制度の協定を結んでいる。これは、交換留学制度により双方の学生を1年間受け入れ、取得した単位はそれぞれが在籍する大学で認定しあう制度で、双方の大学で毎年80名くらいの学生が交換留学している。立命館大学からは、原則、事前に課したTOEFLの試験で500点以上を取得した学生を1年間UBCに送っている。

TOEFLとは、Test of English as a Foreign Languageの略で、非英語圏の出身で、英語圏の教育機関に入学を希望するものが受験する英語の試験である。現在は130以上の国と地域で実施されており、受け入れ側である英語圏の教育機関では、この試験で一定のスコアを得ていることを受け入れ条件としていることが多い。

立命館大学では、日本からの留学生をUBCに送るに際して、UBCキャンパス内の土地を借り全額出資して、鉄筋4階建てのRITSUMEIKAN-UBC HOUSEを建設した。その施設には、学生寮や、日本文化を現地学生に学ばせるための茶室、華道教室、そして語学教育には必須の視聴覚教室なども併設されている。学生寮は1部屋4人でシェアするが、2人が日本からの留学生で、2人が現地カナダ人学生としている。

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RITSUMEIKAN-UBC HOUSE前でのスナップ。

毎年8月末から9月の開講にかけて、立命館大学からの交換留学生を引率してRITSUMEIKAN-UBC HOUSEの学生寮まで送り届ける業務が、職員に任命される。海老原さんは、1993年8月末からの留学生を引率することになり、その機会に約1ヶ月間、UBC内の教職員宿泊施設に滞在した。

[レンタカー]

バンクーバーに滞在中、海老原さんは2週間ほどフォード中型車のレンタカーを借りたが、カナダでは制限速度の表示がkm/h、米国ではマイル/h表示であるため、借りた車のスピードメーターは上段がkm/h表示、下段がマイル/h表示になっていて、カナダ、米国間を行き来する運転者に配慮されていた。

カナダも米国も、通行レーンが日本とは逆の右側通行のため、慣れるまではかなり気を使って運転したという。特に左周りで交差点に進入するときは注意が必要で、現地の友人からは「センターラインが必ず左手に見えていることを確認して運転すること」と言われた。日本人がカナダや米国で起こす自動車事故の多くがこの左周りの時に反対車線に進入して正面衝突を起こす事故だという。

[WA7LACを訪問]

レンタカーを借りた後、海老原さんは、米国ワシントン州のシアトルに在住のWA7LAC奥村さん(Tokuさん)のところに向かった。Tokuさんはかつて京都からJA3EDXでオンエアしており、ローカルだったため交流が深かった。カナダのバンクーバーから米国のシアトルまでは約170kmあり、国境越えにはなるが、高速道路I-5(インターステーツ5号=高速5号線=アメリカ西海岸をカナダ国境からメキシコ国境までを南北に縦貫している高速道路)を使って約2時間の距離であった。

海老原さんは、JA3AJ小川さんから入手した白黒でコピーされたシアトルの市街地図1枚を頼りにTokuさんを訪ねたが、案の定、まずは降りるインターチェンジを間違えてしまった。港の倉庫街に迷い込み人影も少なく、交番などももちろんないため往生した。そうこうするうちに消防署に偶然出くわし、そこで地図を書いてもらったが、ここで初めて降りるインターチェンジを間違った事に気づいた。何とか人に道を尋ねながらTokuさんが経営する「SKYWAY TV Service」というショップに到着することができた。この時はアポなしで急に訪問したためTokuさんは大変驚いていた。

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SKYWAY TV Serviceの店舗とアンテナ。

「SKYWAY TV Service」は主にTVやVTR(英語圏ではVCRという)を修理するショップで、Tokuさんはここに無線シャックを置いている。400坪の広い敷地に地上高23mの自立タワーを建て、14MHzの5エレモノバンド八木を上げていた。リグはアイコムのIC-750とIC-2KL、その他TS-930や、コリンズの30S-1リニアアンプなどが並んでいた。自宅は、店舗から1kmほど離れた住宅街の約150坪の敷地に建てており、海老原さんはそこに1晩泊めてもらった。

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Tokuさんのシャックにて。

Tokuさんのところには、その後何回か訪問したが、この1993年9月に初めて訪問した際に「KE7GLロバート・ハンダさんを紹介する」と言われ、シアトルからハイウェイを30分程走ったところにあるベルビュー市に連れて行ってくれた。ハンダさんは大手航空機メーカーの技術者として長年働いた後、リタイアして悠々自適の生活を送っていた。「広い中庭をもつ上品な平屋建てのお宅に綺麗に整備されたシャックがありました。14MHzの3エレモノバンダーが上がっていました」と海老原さんは話す。

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ハンダさんと海老原さん。ハンダさんのシャックにて。

[VE7ASJを訪問]

さらに海老原さんは、バンクーバー滞在中に2度ほどVE7ASJ笹治さんとアイボールQSOし、市内のジャンク屋や、奥さんと一緒にクイーン・エリザベス公園等を案内してもらった。笹治さんは日本では海老原さんと同じ時期に開局し、JA3ASJのコールサインで枚方市からオンエアしてした。カナダに移住した後は大手航空会社に勤務していたが、偶然、息子さんと娘さんがUBCの卒業生ということを聞き、海老原さんは驚いたという。

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笹治さんと海老原さん。クイーン・エリザベス公園にて。

[国境通過時のトラブル]

海老原さんは、この出張中に初めてシアトルのTokuさんを訪問した際、往路バンクーバーからシアトルに向けては、パスポートチェックのみで簡単に国境を通過できたので、帰路も問題無かろうと思っていた。ところが、帰路はたまたま混雑する時間帯にあたってしまい、国境が渋滞して、はるか向こうに税関のゲートは見えているが車はほとんど動かない状況だった。

それでも少しずつは進行し、通関広場が近くなってくると5レーン(車線)くらいにレーンが増えていき、さらに一番外側のレーンだけはすいすいと車が走って行くので、海老原さんは、つられてそのレーンに乗って通関所に達した。そこで税関職員から、レーンの通行許可証の提示を求められた。「持っていない」と言うと、「ちょっと事務所まで来てください」、となり、税関の事務所で日本で言うところの職務質問を受けることになった。

[ペースレーン]

「ペースレーンの表示は何々マイル先から表示してあったが気付かなかったか」、「何処から来たのか」、「何処へ行くのか」、「アメリカ合衆国では何をしていたのか」に始まり「このペースレーンは地元通勤者の専用レーンであり許可を持った者しか走行できないことになっている。罰金100ドルを支払いなさい」と言われた。

海老原さんは、そこでサインしたら100ドル支払わないといけないため、できる限りの抵抗で「私は今日初めてこのI-5を走ったので、ペースレーンの意味が理解できなかった。次から気を付けます。すみません」と食い下がった。すると「ところで、あなたの職業をまだ聞いてなかった」と聞かれたので、IDとして持っていた勤務先の教職員証を提示した。それには英文で名前、大学名、身分としてAdministratorと書かれていたこと、滞在先がUBCであることが幸いし、幸運にも無罪放免となった。

後日、WA7LAC Tokuさんを再訪した際、このペースレーンのことを聞いてみたところ、40年以上シアトルで生活しているTokuさんでさえ、「聞いたことがない」と答えた。[おそらく、通勤などで、カナダと米国とを頻繁に往来している地元住民の間で決められているローカルルールなのかも知れません。それ以降、I-5を何度か走行した際、このペースレーンには絶対に入り込まない様に注意をしました]と海老原さんは話す。

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シアトルのガンショップにて。