[K8AQM]

1990年代の初め頃、小学校の先生K8AQMテッドさんは、京都市と滋賀県草津市にあるオムロンに研修のため来日した。たまたま京都クラブのメンバーの何人かがオムロンの社員であったため、社内で知り合って、京都クラブのミーティングに誘った。それがきっかけとなり、テッドさんと海老原さんとの交流が始まった。研修を終え日本を離れてからも海老原さんとテッドさんとの交流は続いている。

1996年7月、テッドさんはN8CCジェフさんと2人で観光のために来日した。その時は、京都クラブが主催するビアパーティーで歓待し、クラブ員の有志が京都の観光案内を行った。その後もテッドさんは、数年に一度の割合で訪日し、必ず京都に立ち寄るコースを設定しているが、その度に海老原さんはアイボールミーティングや観光案内を行っている。最近では2010年に2人のハムを伴って来日したが、その時はJH3TXR山本さん宅でのすき焼きパーティで歓待したという。

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ビアパーティーにて、左からN8CCジェフさん、海老原さん、K8AQMテッドさん。

海老原さん以外の京都クラブの各メンバーもテッドさんとの関係は良好で、メンバーで米国のアマチュア無線免許の取得者の多くは、テッドさんの自宅をメーリングアドレスにしている。またJH3TXR山本さんなどは新婚旅行で米国を訪れた際、テッドさんの家に泊めてもらっているという。

2007年8月に海老原さんらがミクロネシア(V6)からの運用を計画した際、テッドさんらのグループと合同で実行しようという話も出た。しかしあいにくお互いの日程が合わず、最終的にテッドさんらのグループは、海老原さんらが運用した1ヶ月後の同年9月にV6から運用することになった。そのため、先発して運用した海老原さんは、Tedさんに現地のホテル情報などを全部提供した。

[OK1XDD]

2000年5月、JI3DLI藤原さんのところに、突然チェコからEメールが届いた。メールの差出人はOK1XDDダナさんで、「京都へ行くが、時間があれば会いたい」と書かれていた。藤原さんは勤務が不規則で、土日も休みではないため、その役目が海老原さんに回ってきた。その後は藤原さんに変わって海老原さんが連絡を取り、約束の日に約束の場所に行ってみると彼女が待っていた。

話を聞くと、学生の彼女は、茶道裏千家の研修で選抜され、チェコ工業大学を1年間休学して京都の家元で研修を受けるためにやって来たとのことだった。京都では「今日庵」という裏千家の研修所に入所しての寮生活だった。「1年間、京都に滞在するのでよろしく」と言われ、以後約1年間、海老原さんは彼女との付き合いが続くことになる。その間、海老原さんは京都の観光地のほとんどを案内し、京都での三大祭り(祇園祭、時代祭、葵祭)もすべて案内した。表千家流ではあるが茶道の心得がある海老原さんは、茶道具店によくダナさんを連れていったがいつも熱心に見て回っていた。また、彼女は海老原さんの自宅を何度も訪れ、海老原さんのパソコンを使ってEメールでチェコの自宅に連絡を行ったりした。時には、彼女が海老原さんの家でチェコ料理を披露してくれたという。

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ダナさん。祇園祭にて。

さらに、彼女は日本国内で実施されている米国のアマチュア無線の試験の合格を目指し勉強を始めたが、当時は筆記試験に加えて、まだコードテスト(モールス符号による電気通信術で受信のみ)があったため、海老原さんの自宅で練習した。彼女のチェコのライセンスはノーコード(コードテストが無い)のものだったため、モールス符号をABCから覚え、5WPM(1分間25字のスピード)が受信できるまでになった。

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海老原さんのシャックでパソコンを操作中のダナさん。

その結果、彼女は米国の最上級であるAmateur Extra級まで合格し、KB1EZVのコールサインを取得した。この資格をもって、海老原さんのシャックからゲストオペレーションを行った。彼女は京都クラブのミーティングやビアパーティーにも参加してくれた。1年間の研修を終え、チェコのプラハに戻った後は、大学を卒業してトヨタ自動車の現地代理店に就職、2007年に結婚して、2008年には長男を出産している。日本滞在中、海老原さんは少なくとも週に1度は顔を合わせていたが、未だに彼女と電波でQSOしたことがないのを少し残念がる。

[BY4BZBメンバー]

BY4BZBは上海市開北区にある少年宮(青少年センター)のクラブ局だが、1999年11月、そこの教諭たちのグループ6名が来日した。本来はJA3UB三好さんが観光案内する段取りになっていたが、当日どうしても三好さんの都合がつかなくなり、三好さんの夫人であるJR3MVF三好さんと海老原さんで京都を案内することになった。コースは海老原さんがアレンジしたが、合計8名になるため、交通手段として海老原さんは友人のジャンボタクシーを手配した。

季節は秋だったため、京都市内北部の隠れた紅葉名所である、鷹峯(たかがみね)にある源光庵を案内し、雨に濡れた名園をしばし鑑賞した。この源光庵の本堂の天井板は伏見桃山城から移築したもので、1600年に徳川家家臣の武将鳥居元忠らが石田三成に破れ自刃したときの跡が残り、血天井となっていることでも有名である。

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BY4BZB一行。源光庵にて。

その後、紅葉の名所である嵯峨野路を案内し有名店「湯豆腐・嵯峨野」で昼食にした。この店の看板料理である湯豆腐は、BY4BZB一行に大好評で、「中国にはこんなに美味しい豆腐はない」と絶賛していたという。その後、一行からは「新幹線に乗りたい」というリクエストがあったため、JR京都駅まで送り、京都から新大阪まで新幹線に乗せてあげ、大阪でのホストであるJA3AA島さんにバトンを渡した。

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湯豆腐・嵯峨野で昼食中のBY4BZB一行。

日本観光を終えて帰国したBY4BZB一行からは、ぜひ中国に遊びに来て欲しいという誘いがあり、翌2000年3月〜4月にかけて、JA3AA島さん、JA3UB三好さん、JA4HCK馬場さんと海老原さんの4名で上海市のBY4AAとBY4BZBを訪問した。この時は、日本滞在中に世話になったお返しとして、本場の中華料理で歓待を受けたが、総勢12〜3人での宴会になったという。

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上海を訪問した馬場さん、島さん、三好さん、海老原さん。