[免許担当者が不在]

海老原さんらはマーシャル諸島の首都マジュロに到着後、免許を受け取るため、すぐに現地テレコムに出向いたが、あいにく担当者のトニーさんが不在だった。その後、何度も足を運ぶがいつも不在で捕まらない。数日してやっと会うことができ免許発給をお願いするも「プリンターが故障しており、プリントアウトできない」と言われてしまった。結局、帰国日になってもプリンターは直らず、後日、郵便で送ってくれる約束をしたが、案の定、何時になっても送ってこなかった。

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マーシャル諸島のテレコム。

V7からの運用であれば、通常、ARRLから免許の提示を求められることはないが、海老原さんが運用したRTTYモードに関してはレアだったと思われ、同行したメンバーの中で唯一、海老原さんだけが、ARRLから免許のコピーの提出を求められた。そのため、事情を説明して、コールサインが記載されている免許申請料の領収書のコピーを送付し、最終的にDXCCにOKとなった。

[滞在ホテル]

海老原さんは、事前情報として、マジュロにある高級ホテルではアンテナを建てられないと聞き、過去にマジュロからの運用実績を持つJA3JA早崎さんに、アンテナ設置の許可が出るホテルを紹介してもらい、その「Royal Garden Hotel」に予約を入れていた。2流のホテルではあったが、海岸辺りの広大な敷地内にあり、椰子の木に囲まれアンテナは張り放題で、しかも海辺だったため無線をやるには好条件だった。

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アンテナ張り放題、ホテルの敷地の様子。

1部屋1泊85ドルだったが、チェックインしてみたところ、予約していた部屋は2部屋ともなんと「スイートルーム」で、大きなダブルベッドが置かれていた。到着した時は雨天だったが、部屋が広いため、レギュラーバンド用のトライバンド八木や、WARCバンド用のダイポールを室内で組み立てることができた。

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スイートルームでアンテナを組み立て中。

[インターフェア]

天気の回復を待ってアンテナを建て、機材をセットした。リニアアンプの電源は、エアコン用ブレーカーから200Vを取った。準備も整いいざ運用を開始すると、ホテルのフロントを通して隣室の宿泊者からTVIのクレームがあり、小川さんと海老原さんが様子を見にいった。すると、腕に入墨をした大柄の男性が出てきた。テレビをチェックさせてもらうと、確かに隣室のテレビにはインターフェアがあったが、海老原さんらの部屋のテレビは問題なかったためテレビ自体を交換し、さらにビール6本を提供して解決した。

このホテルには10日間ほど滞在したため、従業員とも親しくなった。そのためホテルの車を使い、運転手付きで島中どこまで行っても1ドルという交渉が成立した。日中は、交代運用の空き時間にJAXAのロケット追跡センターや、旧日本軍の砲台などを見に行くなど観光も行った。マーシャル諸島では、昼間から椰子の木の下でビールを飲んで寝ている若者も少なくなかったという。これは、仕事が無いという理由もあるが、核実験後の米国からの補償金で最低限の生活が保障されている事も理由の一つとのことだった。したがって、大きな犯罪事案は無いが、酔っ払っての傷害事件は多いと聞いた。

食料については、ラーメンや焼きそばがあったが全部輸入されたインスタントだった。Tボーンステーキは8ドル、焼きめしもあったという。飲料水は有料販売で、現地の人はプラスチックの容器を持って行って飲料水を購入している。一方、生活用水は、滑走路にたまった雨を集めて消毒して使用している。もちろんこれは飲めない。ホテルで風呂の蛇口をひねったらボウフラが出てきた。殺菌はしてあるが濾過はされていないという。

[結果]

10日間運用した結果は、V73ARが1284QSO、V73NHが954QSO、V73MMが330QSO、V73TXが1532QSO、クラブコールのV73YAQが627QSOで、総合計4727QSOであった。V73ARの1284QSOには、RTTYでの107QSOを含んでいるが、当時はまだMMTTYはなく、マルチモードTNCのPK232とパソコンで運用した結果であった。

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V73ARを運用中の海老原さん。

[V73ZO]

話は少し戻るが、往路マジュロ空港に到着した際、通関手続きの同じ列に並ぶ日本人がいた。話かけると海外青年協力隊から派遣され、マジュロで日本語を教えている滋賀県出身の佐々木さんであった。彼はV73ZOというコールサインを持っていたが、リグやアンテナを持っていなかったため現地ではオンエアできずにいた。佐々木さんは、海老原さんらのV7滞在中、何度もホテルを訪ねてきて、現地の情報を提供してくれた。そのお礼にと、海老原さんらは、運用を終えて帰国する際、使用した同軸ケーブルやワイヤーDPを彼にプレゼントした。なおV7では個人が同軸ケーブルを入手するのは、ほぼ不可能に近いとのことであった。

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V73ZO佐々木さん(前列中央)と京都クラブのメンバー達。

佐々木さんの父親は滋賀県のお寺の住職だが、JA3FGAというコールを持つハムでもあった。海老原さんらは、帰国後JA3FGA佐々木さんに連絡をとり、息子さんの事情を話した。その後、マーシャル在住の息子さん(V73ZO佐々木さん)にトランシーバーを送ったと、交信を通して聞いた。

しばらく経つと、V73ZOが運用を始め、海老原さんは21SSBで5回QSOしたという。また、彼にIOTAのことを説明し、機会があればマジュロから1時間弱で行けるビキニ環礁(OC-028)へ、IOTAサービスに行ってほしいとリクエストしておいた。海老原さんはQSOする機会こそ無かったが、ファイブナイン誌で、佐々木さんがビキニ環礁からの運用を実行してくれたことを知った。

[KH2/N3JJの運用]

日本からマーシャル諸島に行くには、往路、復路ともフライトスケジュールの関係で、どうしてもグアムで1泊する必要がある。海老原さんらは、京都市にも系列をもつ「ホテルフジタ」を利用したが、グアムの常駐局KH2JUダニーさんに今回の計画を事前に連絡しておいたところ、ダニーさんがホテルまで会いに来てくれた。

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KH2JUダニーさん(左から2人目)と京都クラブのメンバー達。

夜になると、ダニーさんがもう一度ホテルまで会いにきてくれ、全員でアイボールQSOを楽しんだ。その際、海老原さんがライフル射撃を行っていることを知ると、ダニーさんは海老原さんを連れて一旦自宅に戻り、アタッシュケースを持って射撃場に連れて行ってくれた。そのアタッシュケースには22口径のハンドマシンガンや38〜42口径の数丁の拳銃が入っていた。海老原さんは射撃場で拳銃とマシンガンの射撃を100発ほど楽しんだが、結構高得点だったのでダニーさんは驚いていた。

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グアム島のガンショップにて。

射撃場から戻るとKH2/N3JJの運用を開始したが、1泊だけの滞在のため、7MHz用ワイヤーDPを1本部屋から張っただけで、数局のQSOに留まった。翌日はマーシャルへのフライト時間が早かったため、フロント経由で空港までのタクシーを予約しておいたが、時間になってもやって来ない。フロントに問い合わせてみたところ、前の晩、大韓航空機が空港で墜落したため、タクシーはそちらの取材用に回ってしまったらしい。時間が切迫していたので結局ホテルの車を出してもらいグアム空港に向かった。

車中、前の晩の遅い時間にサイレンを鳴らした車が行き来していた事を海老原さんは思い出した。無事にマーシャルに向けて飛び立ったB727の窓からは、墜落して焼けただれたジャンボ機の残骸が眼下に見えた。一方、帰路のグアムから関西空港までの便では、ドアが閉まらないというトラブルが発生して4時間も遅れたが、あと1時間遅れたらフライトがキャンセルになって、もう1泊することになるところだった。