[持ち込んだ無線機]

4人が持ち込んだ無線機は、V/UHFのハンディトランシーバーも含み、入国時に全数がボンド(保税倉庫留置)されたが、翌日、運用許可書の提示で受け取れる約束だった。しかし、実際に無線機一式を受け取ったのは、帰国日の8月26日だった。海老原さんらは入国の翌日、当初の約束どおり運用許可書を持って無線機を受け取りに行ったのだが、「まだ書類が出来てないので明日来い」、と追い返されてしまった。

翌日以降も毎日税関に通ったが、これの繰り返しとなり、帰国日の26日になって、PTTの職員に同行してもらい、何とか受け取ることができた。当初は、宿泊ホテルの部屋からの24時間運用を計画しており、三好さんが過去に運用実績のあるホテルに予約を入れ、さらに、日本方向が開いたベランダ付きの6階の部屋を確保していた。しかし、結局、ホテルからの運用は叶わず、持参の無線機は全て現地のPTTに置いてきた。

「現地局訪問」

運用最終日の26日は14時に運用を終了した後、タクシーをチャーターしてお世話になった3W6AR、3W6LI、3W6KA各局を4人で訪問した。驚いたことに、ホーチミン市街では見覚えのあるバスが走ってきた。よく見ると京都市交通局の市バスであった。塗装も行先表示幕も京都を走っていたそのままの状態で利用されていたのであった。

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ホーチミン市内を走行中の京都市交通局の市バス。

まずは、今回の免許申請の窓口になってもらった3W6ARアイさんを表敬訪問した。アイさんは元PTTの校長で、リタイア後もPTT内にある官舎に奥様と二人で暮らしていた。アイコム製のHFトランシーバーとワイヤーダイポールを使って、14、21MHzのSSBを時々運用しているとのこと。若いころに、ドイツへの留学経験があるので英語よりドイツ語の方が堪能だという。

次に、3W6LIハウさんを訪問した。ハウさんは、当時ベトナムの現地局としては一番アクティブに運用し、14、21MHzのSSBによく出ていた。1階が総大理石造りという豪華な3階建ての居宅の3階にシャックを構え、屋上に上げたナガラ製の3エレトライバンダーで運用していた。貿易関係の商売を営み、軍用ジープや250ccのバイクも所有。「当時、息子さんを東京の大学に留学させていたので、ベトナムでは富裕層だと思います」と海老原さんは話す。

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3W6LIのアンテナ。

ハウさんからは、息子さん宛の手紙や日用品と、JA局宛の大量のQSLカードを託された。当時のベトナムと日本との間の郵便事情はあまり良くなく、正常に届いても2週間かかり、郵便物が行方不明になることもよくあるとのことだった。またベトナムのアマチュア無線連盟はまだIARUに加入しておらず、そのためQSLビューローが無かったためであった。海老原さんは帰国後、それぞれを宅配便で発送した。

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ハウさん宅にて。左からJA4HCK馬場さん。3W6ARアイさん、3W6LIハウさん、JA3UB三好さん。

なお、当時のベトナムでは、アマチュア無線に対する法制度が整備されておらず、さらに、1年間のライセンス料100ドルは現地の人たちにとっては、まだまだ大変な金額であり開局する人は一握りだった。それ以上に無線機やアンテナの入手が大変で、当時ほとんどの無線機は外国からの運用者のドネーションが頼りだったという。同軸ケーブルですら入手困難な状況だった。

最後に、「KASATI」という会社のクラブ局3W6KAを訪問した。この会社は軍需工場の雰囲気があり、屋上搭屋にシャックが設置されていた。設備はHFトランシーバーとリニアアンプのSB-220がセットされており、アンテナは40m高くらいの自立タワーにトライバンダーが上がっていた。会社の隣接地は元米軍のアンテナファームになっており、無線運用する上でのロケーションは抜群だった。

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3W6KAのクラブシャック。

「帰国」

帰国時は、旅行社の迎えのマイクロバスで21時にタン・ソン・ニュット空港に到着し、23時15分発のベトナム航空VN-940便に搭乗した。「ここで注意しておくことは、必ず空港利用料の15米ドルを残しておくことです。現地通貨のドンは通用しません」と海老原さんはアドバイスする。別のホテルからマイクロバスに乗ってきた母娘二人の日本人がこの事情を知らず、海老原さんが30米ドルを両替してあげた。なお、タン・ソン・ニュット空港は、海老原さんが数年後に訪ねた時には、明るく綺麗に整備されており、冷房もちゃんと完備されていたという。

空港に到着後、三好さん、馬場さん、海老原さんの3名は、チェックインと出国手続きは何も問題なく、すぐに出国ロビーに入れたが、杉澤さんが一向に現れない。結局30分ほど遅れて、待ち言わせ場所に決めていた出国ロビーのコーヒースタンドにやってきた。遅れた原因は、入国時の税関申告書に記載していたノートパソコンをPTTに寄付したが、販売扱いとなって50ドルの課税を言われ、寄付先のPTTへ確認の電話をしていたことだった。夜間にもかかわらずPTTへ電話がつながり、最終的には寄付の確認がとれ、課税は免除となった。

帰りの便も時間どおりに離陸し、定刻よりやや早く8月27日午前6時に関西空港に到着した。日本への入国時、三好さんだけが税関でスーツケースを開梱する様に指示され、荷物をチェックされた。実は、PTTに帰国の挨拶に伺った際、3W6ARアイさんたちからお土産にと、ベトナムの果物であざやかな赤紫色でソフトボール大の「ドラゴンフルーツ」をどっさりプレゼントされ、4人はスーツケースにはそれぞれ7〜8個ずつ入れていたが、申告が面倒なので黙って通関することにしていた。

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美味のトロピカルフルーツ。中央後ろに2切れある果実がドラゴンフルーツ。

ところが三好さんだけがきっちり見つかってしまった。海老原さんらは、税関職員とのやりとりの様子を後ろから見ていたが、数が少ないことと、個人での消費であることなどの解釈で没収されることはなく無事に通関した。馬場さん、杉澤さん、海老原さんは幸運にもスーツケースを開けられることなくフリーパスだった。その後、チームは解散し、杉澤さんは関空から国内線に乗り継いで羽田に向かった。