[サイパン]

1998年6月、海老原さんは、JM1LJS海さんから、懸賞でサイパン島旅行が当たったので一緒に行きませんかとの誘いを受けた。日程は、10月16日から19日の3泊4日で、現地のレンタルシャックを利用して運用するので、無線機などは持って行かなくてもよいという条件だった。渡航費用も不要で、しかも手ぶらで参加できるとあり、願ってもない条件だったため、海老原さんは、即「行きます」と返答した。

サイパン島のある北マリアナ諸島は米国自治連邦区であり、KH0(その他にAH0、NH0、WH0)のプリフィックスが割り当てられている。それ故、日本と米国との相互運用協定により、日本のライセンスでもアマチュア無線の運用が行える。それでも、日本のライセンスでの運用では制約がある。しかし、米国のアマチュアエクストラ級ライセンスを所持していれば、条件無く運用する事が可能である。よって、海老原さんの場合は、アマチュア無線の免許手続きについても、何も行う必要はなかった。

行くという返事をしてしばらくすると、この懸賞旅行を取り扱う旅行代理店から、渡航関係の書類一式が送付されてきたので、それらを記入して返送した。ただ、出発が成田空港だったため、京都から成田への移動時間と費用を考え、海老原さんだけ関西空港発のフライトへの変更を依頼した。しかし関西空港発の便はあいにく満席で、だめなら成田まで移動する覚悟でキャンセル待ちを依頼した。

出発1ヶ月前の9月中旬頃から、海老原さんはEメールを使って海さんと具体的な打ち合わせを始めた。一応の機材やアンテナは現地のレンタルシャックに用意されていたので、現地にない1.9MHz用のアンテナをどうするかとか、食料をどうするかとかであった。出発直前になると、関西空港発の便がなんとか確保できたため、若干の追加料金を支払って、フライトスケジュールを変更した。

[出発]

10月15日、海老原さんは関西空港21:00発コンチネンタル航空のサイパン直行便に搭乗した。満席のボーイング737は定刻に離陸し、3時間35分のフライトの後、現地時間16日未明の01:35にサイパン空港に着陸した。別便で成田からサイパンに向かった海さんとレンタルシャックの日本人コーディネーターは、グアム経由で02:45に到着予定だったため、海老原さんの方が先の到着となった。

サイパン空港の入国審査は、以前のベトナムの入国審査と比べると至ってシンプルで、係官が片言の日本語でいろいろと質問してきたので、海老原さんが英語で返答したところ、「あなたの発音はエクセレント。どこで何年英語を勉強したのか」と質問されたという。空港を出たところで、宿泊するホテルのスタッフが、スーツケースに付けておいたホテルの目印タグを見つけ、海老原さんの名前を呼びながら近づいてきた。

[レンタルシャックに到着]

結局、その便で到着した宿泊客は海老原さん1人だったため、迎えのワゴン車には海老原さん1人だけが乗り込んで、レンタルシャックのあるホテル「マリアナリゾート」に向かった。空港を出発して約15分でホテルに到着したが、途中、ついついスピードを出してしまいそうな4車線道路を通過した。「ここでよくスピード違反の取締をしているので、もしレンタカーで走行するときは注意する様に」とアドバイスされた。そのアドバイスは、後日レンタカーを運転するときに大変役に立つことになった。

ホテルに到着すると、フロントのあるセンターハウスでチェックインを済ませた後、再度、先ほどのワゴン車に乗って、センターハウスから5分程離れたレンタルシャックのコテージに向かった。コテージに到着すると、日本から依頼しておいたとおり、すでにアンテナを含む無線機材一式が部屋に運び込まれていた。

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レンタルシャックのあるコテージ内の様子。

本来は、レンタルシャックの利用客が電動カートを借りて午前9時以降にセンターハウスまで、無線機材一式を引き取りに行かなければならないが、深夜の到着と短期滞在のため、できるだけ時間を有効に使うべく、事前に部屋までの運び込みを依頼しておいたのであった。しかし、部屋に運び込まれていた梱包箱の数を見て、「これだけの設備をセットアップしなければならないのかと思うと、少々うんざりしました」と話す。

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コテージに運び込まれていた無線機材。

[海さんと合流]

海さんの到着まで1時間少々あったので、持参した1.9MHz用フルサイズダイポールを張る場所の下見をしておこうと海老原さんは一旦コテージから外へ出た。その瞬間、オートロックのドアが閉まって、締め出しを食らってしまった。スリッパ履きでセンターハウスまで歩くと10分くらい掛かるところだったが、うまい具合に巡回中の警備員が通りがかったため、警備員のトランシーバーでフロントに連絡してもらったところ、スタッフがマスターキーを持って来てくれ、事なきを得た。

まもなくコーディネーターのスタッフと一緒に海さんが到着した。Eメールではやりとりしてきたが、実際に合うのは初めてのため、まずは挨拶と自己紹介を行い、その後、深夜3時過ぎにも関わらず、10m長の伸縮ポールとグラスファイバーポールをつないで給電点15mの1.8MHz用のフルサイズダイポールを架設した。調整は海老原さんが持参したMFJのアンテナアナライザーを使用し、簡単に終了した。

[運用をスタート]

いよいよ運用開始の準備が整い、時間が現地時間で05:30(日本時間04:30)になっていたので海老原さんは1831kHzで「CQJA QSX1911」送信した。これは、日本の局に向け1911kHzを受信するという意味のCQで、当時日本の160mバンドは、1907.5〜1912.5kHzだったため、1825kHz前後のDXウインドウとはかけ離れていた。そのため、160mバンドで海外局と交信する場合は、このようなスプリット運用(送信周波数と受信周波数を別々に設定する運用)があたりまえだった。

海老原さんはDXウインドウ内の1831kHzでCQを送信し、1911kHzを受信した。スタンバイするとさっそくJH1RES局からRST599の信号でコールがあり、1stQSOが成立した。その後も1.8MHzの運用を続け、40分間で10局とQSOし、まずまずの出足となった。

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KH0/N3JJを運用中の海老原さん。

1.8MHzについては、レンタルシャック備え付けの500Wリニアアンプが故障したため、100Wでの運用となったが、その日の夜20:20のJA3CSZ局から、21:23のJR1CVU局まで合計50局とQSOできた。その後、21MHzSSBでQSOしたヨーロッパの局から1.8MHzのスケジュールの申し込みがあったが、リニアアンプ不調の事情を説明して断った。「今から思えば100ワットでも一応はチャレンジしてみてもよかったのでは、と後悔しています」と海老原さんは話す。