[YL運用]

運用2日目の7月30日、KH0/AE4SU(JA3KWZ黒塚さん)とKH0/N7EIU(JA3AJ小川さん)さんが衛星通信用のアンテナを設置してオスカー10号(AO-10)での運用に挑戦したが、自局信号のダウンリンクが聞こえない。衛星の軌道を計算して何度かチャレンジするも、どうやら衛星自体が不調の様子だったため、結局ギブアップとなった。

この日はKH0/JA3RRの坂口さんが運用中、交信相手のオーストラリアの局から、なにやらリクエストが入った。海老原さんとオペレーターを交代して話を聞いたところ、「YL局と交信したい」というリクエストだった。出発前に、山本さんが、「YLオペレーターも同行するので、YL-DXCCなどのアワードのためにQSO可能」というインフォメーションを流していたからであった。

家族で参加し別棟に滞在中だったJH5IXG山下さん(JH3QHN-XYL)を、急遽呼びに行き、オペレーターを山下さんに交代した。海老原さんがサポートして、カナダのYL局VE7YL、およびオーストラリアのYL局VK3DYLの両局とのQSOに成功した。

[バーベキュー]

運用の目処もついたので、1晩くらい豪華な夕食を摂ろうという話になり、30日の晩はホテルのプールサイドで1人60ドルのバーベキューを楽しんだ。このバーベキュー以外の食事は、日本から持参した即席麺、レトルトカレー、コッフェルで炊いたご飯、味噌汁などで自炊した。また、出発時に関西空港で坂口さんが機内持ち込みを拒否されたガスボンベが、ダウンタウンのマーケットで購入できたので、ステーキ用の牛肉を調達し、豪華な夕食も作った。

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7月30日はプールサイドでバーベキュー。

2日目はバーベキューから戻ったところで、1セットしかないリニアアンプ付きのハイパワー設備について、くじ引きで運用順番を決めて24時間運用を始めた。これは米国のアマチュアエクストラ級か1アマを所持する6名での輪番とした。そのためメインセットは、24時間を6名で回すため、1時間運用、5時間休憩の繰り返しになったが、休憩時間および当番者以外は100Wのセットを使って運用することとした。

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バーベキューの時以外はほとんどが自炊。

また、シャックになっているコテージ内のダイニングルームには、当番表とリアルタイムでの個人別QSO数集計表を張り出した。盛岡クラブが残していったゲストノートには「6日間で8,000QSO達成」と書かれていたので、それを越えようという目標を立てたという。

[50MHzのオープン]

運用初日からメッセージキーヤーを使って、50MHzのビーコンを出し続けていたが、運用3日目の7月31日12:11、JA7EKYがこちらをコールしているのが聞こえたため、直ちにビーコンを切って海老原さんが50MHzのオンエアをスタートした。まずは、JA7EKY-KH0/N3JJ間で、599-599のQSOが成立した。その後しばらく50MHzが日本とオープンしたため、オペレーターを交代しながら、SSBとCWで合計387QSO行った。

一方、別棟で運用中の山下さんファミリーには7MHzのアンテナしか無かったが、「7MHzだけでは、退屈になってきたので21MHzのアンテナを都合してほしい」との要望があり、余っていたワイヤーダイポールを非番中のメンバーで架設に行った。この日からは、お互いに妨害しない組み合わせで3波同時運用をスタートし、交信局数がどんどん増えていった。

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3波同時運用の様子。

3局がSSBで同時運用している時などは、まるでマルチオペでのコンテストの雰囲気だったが、坂口さんが、日本からとヨーロッパからのパイルアップを同時に受けていたとき、「JAの方、しばらくお待ちください。ヨーロッパの方、どうぞコール下さい」という日本語で行ったアナウンスには、後ろで聞いていた皆がずっこけてしまったという。

[観光]

この頃になると、ホテルへの滞在にも慣れメンバーも余裕が出てきた。そのため、運用の空き時間には、レンタカーで島内観光に出かけるようになった。しかし、サイパン島では右側通行のため、「左ハンドル車での右側通行での運転に自信のない者は無理して運転しない様に」と、海老原さんは「おふれ」を出した。結局、レンタカーを運転したのは、小川さん、山本さん、杉浦さんと海老原さんだけだったが、海老原さんは、前年に島内全部の観光スポットは巡ってしまっていたので、観光は行わずに無線運用に専念した。

なお、前回の経験を活かし、連絡用として、日本から持参した430MHz用のグラウンドプレーンアンテナをシャックに設置したため、島内のほぼ全域がカバーできた。レンタカーで外出するメンバーには、必ず430MHzのハンディ機を持たせ、これによって外出中のメンバーに、買い出しを依頼したりすることができ、有効な連絡手段として役立った。

[サテライト通信]

8月1日は朝から21MHzがJAとの間でビッグオープンし、皆、SSBのパイルを楽しそうにさばいていた。交信相手からは、「衛星はどうなっているのか」との質問が度々あった。何度かのトライの後、サイパン時間で08:42、オスカー10号を使い、KH0/AE4SU(JA3KWZ黒塚さん)が、ついにQSOに成功した。相手は京都のJA3DY橋本さんだった。しかし、これが、唯一のサテライトでのQSOとなった。

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サテライト用のアンテナ。

この日の夜、14MHzSSBで運用中、ヨーロッパに対するコンディションが上昇し、スプリットにしないと捌けないくらいのパイルアップになっていた。KH0/K7IL(JA3PLF杉浦さん)はラストレターを指定して捌き始め、Aから始めたが、持ち時間の60分ではZまで達せず、Nで終わってしまった。杉浦さんのすぐ後が、海老原さんの当番だったため、ラストレターOから引き継ぎ、1文字あたり3局程度にしてZまで済ませ、その後はコールエリア指定で捌いた。

この日の夜は21MHzでヨーロッパが開いていたので、海老原さんはCWメインで1時間で50局ほどQSOした。その後夜中に強風が吹き始めたので、杉浦さんに手伝ってもらってクランクアップタワーを降ろした。クランクダウンしたため、14/21/28MHzが使えなくなりやむなく、WARCバンドでの運用としたが、18MHzでもヨーロッパからパイルアップを受けた。

[撤収]

帰国日の8月2日は、現地時間10時の海老原さんの当番運用を最後に1時間交代での運用は終了とし、最後は、自由に空いている設備で運用するという事にした。雨も降ってきたので、11時に全運用を終了して撤収を開始した。全員が協力して撤収に当たったところ、予定より早く撤収と梱包が完了した。そのため、メンバーは昼寝をしたり、クラブ員あてに絵葉書を書いたりして時間をつぶし、海老原さんはレンタカーの返却手続きを行った。

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撤収時は雨天だった。

復路は、15:10発のフライトなので、13時に空港への送迎を依頼しておいたが、フロントが時間を間違えて14時の送迎となってしまい、空港へ着いたらすでにチェックインが始まっていた。フライトには間には合ったものの、空港での土産物を買う時間が全く取れなかった。この件については、帰国後にホテルから全員に「お詫び」の手紙が届いたという。7月29日から8月2日までの5日間、9名全員が体調不良や事故に合わず、楽しく過ごせたことを皆で喜び、18:30関空で解散、それぞれの家路についた。

後日、交信局数を集計したところ、目標として8000QSO超が達成できていた。

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