[免許申請]

1999年の始め頃、前年10月にKH0から一緒に運用したJM1LJS海さんから、「パラオに運用に行ってきますが、もし海老原さんにパラオからの運用予定があるのなら、ついでに免許申請してきますよ」という連絡があった。その話をJA3AJ小川さんにしたところ、小川さんからも「一緒に免許申請を頼んで欲しい」と言われ、海老原さんは海さんに2局分の免許申請を依頼した。

ここでパラオ共和国について少し説明する。日本から真南に3,000km、フィリピン東部の太平洋上に位置し、343もの大小の島で構成されるパラオは、第一次世界大戦後に日本の委任統治領になった。第二次世界大戦後には国際連合の委託を受けた米国による信託統治を経験し、その後1994年に独立した人口20,000人ほどの小国である。米国による信託統治時代はKC6のプリフィックスが使用されていたが、独立後はITUからT8のプリフィックスが割り当てられた。

日本による委任統治時代に日本語による教育を受けた年配の国民は、流暢な日本語を話す人が多い。そして現在でも日本語の名前を名乗っている国民も少なくない。海老原さんが渡航した当時の大統領は「ナカムラ大統領」で、テレコムの免許発給担当職員は「アサヌマ女史」であった。なお、パラオにはアマチュア無線の常駐局が少ないため、パラオからの運用は、大半が日本人を含む外国人によるものとなっている。

[運用計画を進める]

アマチュア無線局の免許申請を海さんに託した約1ヶ月後、海老原さんにはT88JJ、小川さんにはT88MMの黄色い免許証が送られてきた。その時点では、まだ具体的な渡航計画が無かったが、その少し前にパラオからT88DXで運用した、同じ京都クラブ員であるJI3DLI藤原さんから「バンドやモードを上手く選択すれば、T8でも結構パイルが楽しめますよ」という話を聞いたことがきっけかになり、計画を進めることになった。

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美しいパラオの海岸。

また、海外から運用する場合、運搬時にかさばるアンテナ設備の一式は、現地のVIPホテルの屋上にすでに設備されていること、さらにこのホテルのオーナーであるT88GNジョージさんの許可が得られれば、ジョージさんのkW設備を使わせてもらえることが分かり、一気に実行計画が進んだ。同時に、パラオは世界有数のダイビングスポットとしても有名で、ダイビングが趣味の小川さんが、パラオの海に惹かれたことも後押しとなった。

[直行便を選択]

海さんからは、旅行代理店「pia-japan」の伊藤さん(T88FW)を紹介してもらい、さっそくEメールで今回の計画を連絡したところ、JALの臨時直行便利用と、コンチネンタル航空のグアム経由便利用の2通りの見積書が送られてきた。グアム経由の場合は毎日フライトがあるため出発日や滞在日数をフレキシブルに選択できるが、グアム空港での乗り換え待機による4〜5時間のロス、ならびに関西空港からグアム空港への便の混み具合などを考え、海老原さんはJALの臨時便を選択した。

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T88JJのQSLカード。モデルはT88FW。

このJAL臨時便は、決められたラウンドトリップ(往復便)のチケットになるため、パラオでの滞在日数が変更できない。さらに、機内預けの荷物の重量制限がコンチネンタル航空なら32kgのところ、JALでは20kgであった。それでも、往復で10時間近くグアムでロスするコンチネンタル航空より、乗り換えのない直行便のメリットは大きく、海老原さんは、9月15日出発、9月19日帰国というJAL臨時便を申し込んだ。

当初のフライトスケジュールでは、往路、復路とも深夜便だったため、実質運用できるのは中日の3日間しかなく、若干の物足りなさを感じていたが、出発直前に旅行代理店からEメールで緊急連絡が入り、幸運なことに、出国便、帰国便共に深夜便から日中便に変更になった。往路は1999年9月15日の10:10関西空港発、14:20パラオ着。復路は、9月19日の16:00パラオ発、20:20関西空港着と決まり、そのおかげで、パラオへの到着日、出発日を含めて5日間の運用が可能となった。

ただし、その直前の7月末から8月にかけて、京都クラブのメンバーで行ったサイパンからの運用準備で多忙だったため、パラオ行きの準備やT88GNジョージさんへの無線設備使用の依頼状発送などは、サイパンから帰国後の8月中旬からになってしまったという。なお、ホテルでのアンテナの状況や食事、タクシー事情、テレコムの場所、ショッピングセンターの場所など、現地の状況は、藤原さんから提供してもらった。

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パラオ最大の都市コロールのメインストリート。

[出発]

出発直前になり、小川さんと海老原さんはそれぞれ各自で荷造りを始めたが、各々のスーツケースの重量は、制限である20kgをはるかに超えてしまった。少しでも軽量化しようと検討はしたものの減らせるものがなかった。そのため当日のチェックイン時にどうなるか気がかりではあったが、ジョージさんやテレコムのスタッフへの土産物も準備し、さらに、関西空港までの足となる、空港シャトルタクシーに予約を入れ、あとは9月15日の出発を待つのみとなった。

機内預け予定のスーツケースは相当重く、万一超過料金を請求されたことのことを考え、14kgあるリニアアンプは、機内持ち込みに出来るサイズの小型のスーツケースに別収納しておいた。出発当日の9月15日朝は、運悪く大型台風16号の関西地方直撃の予報が出ていた。予約しておいたシャトルタクシーの迎えを受け、予定どおり出発はしたが、関西空港到着前から雨が降り始めた。

[台風で遅れる]

予定時刻より若干早く午前7時に関西空港に到着し、さっそくチェックインカウンターの重量計に海老原さんのスーツケースを載せたところ、なんと58kgもあり、38kgオーバーだった。もちろん小川さんの荷物は別である。しかし、カウンターの女性係員は、特に何も言わず「Heavy」のタグを付けただけで預かってくれた。海老原さんが搭乗したパラオ直行便は、乗客の大部分がダイバーで、重量のある機材を持って行く乗客が多いため、多少の重量オーバーは大目に見てくれている様に感じられたという。

荷物を問題なく預けることができたため、小川さんと海老原さんは出発ロビーでくつろいでいた。ガラス張りの窓から滑走路の方を見ると、強風が吹いていて、なんと地上係員の帽子が飛ばされるのが見えた。無事に飛べるか心配になったが、場内アナウンスは、定刻出発の案内を流していた。滑走路では水しぶきをあげての離発着が続いていたものの、その時点では遅延にはなっていなかった。

やがて海老原さんらの搭乗時間がやってくると、「天候不良により搭乗のご案内を見合わせております」のアナウンスが流れた。屋外は風雨が一層ひどくなっており、そのアナウンスを聞いて逆に安心したという。風雨が収まるのを待っている間、海老原さんは睡眠不足を補うため仮眠を取ったが、案外早く搭乗案内が流れ、1時間30分遅れの出発となった。

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海老原さんが搭乗したJAL臨時便。パラオ国際空港にて。