JA3ART 海老原 和夫氏
No.38 デイトンハムベンション(3)
[2回目のデイトン]
1999年に初めて参加したデイトンハムベンションから1年が経過した2000年5月、海老原さんは再びデイトンを訪れた。前年の参加時は、ハムベンションの規模やイベントの内容などがほとんど分からない状態で参加したため、無駄歩きが多く、「結果的に、1回目のハムベンションは効率の悪い参加をしてしまいました」と海老原さんは説明する。そのため、翌年も参加してハムベンションをもっと楽しもうと考えていた。
しかし、前年に一緒に行ったメンバーはそれぞれ忙しそうだったため、2000年は1人で行こうと考えていた。開催が2ヶ月後に迫ったある日、前年に一緒に行ったJE3MVP高田さんから、「今年はどうされますか、もし行かれるなら私もご一緒させて下さい」との電話が入り、2000年は高田さんと2人で行くことになった。
前回のグループリーダーだったJJ3UHS川島さんからは、「今年は絶対にデトロイト郊外のヘンリーフォード博物館を訪ねる日程で計画を立てることをお奨めします」とのアドバイスをもらった。そのため、デトロイトで火曜日と水曜日の2日間滞在する計画とし、5月16日(火)出発、22日(月)帰国の予定を組んだ。航空券の手配などは、日通旅行社に依頼したが、担当がハムだったため、話がスムーズに進んだという。
ヘンリーフォード博物館。
[航空便]
航空便は前回と同じノースウエスト航空(現在のデルタ航空)を利用した。理由として、今回滞在するデトロイトのメトロポリタン国際空港はノースウエスト航空のハブ空港のため日本からの便数が多く、フライト時間に色々な選択肢があったからである。最終的に決めたのは前回と同じ時間のNW070便であったが、前回は水曜日出発であったところ、今回は1日早い火曜日の出発とした。
高田さんと海老原さんを乗せたNW070便は、関西空港を定刻の15:40(日本時間)に出発し、14:55(現地時間)にデトロイトメトロポリタン国際空港に到着した。この日と翌日は、空港内にあるメトロエアポートマリオットホテルで宿泊した。前年利用したホテルもマリオット系列でよい印象があったことと、何よりも空港内にあるので、そのままホテルにアクセスできる利便性で決めたという。
[ヘンリーフォード博物館]
17日(水)、海老原さんと高田さんはデトロイトから約20kmの離れたディアボーンにあるヘンリーフォード博物館を訪れた。このヘンリーフォード博物館は、正式には「ヘンリーフォード博物館とグリーンフィールドビレッジ」という名称で、自動車を中心とした乗り物関係を中心に展示する博物館と、歴史的建造物を展示する公園のエリアがある。博物館の名称は、フォードモーター社の創設者で、自動車産業に偉大な足跡を遺したヘンリーフォードの事である。
グリーンフィールドビレッジへと続くヘンリーフォード博物館の裏庭にて。
前年に見学した、デイトンの空軍博物館も航空機の博物館としては世界一の規模であったが、このヘンリーフォード博物館は、自動車の博物館としては世界最大規模で、さらに建造物を展示した公園もあるため、じっくり見学すると、最低2日間は要するくらいの広さと展示物の多さだった。海老原さんらは、9時の開館から17時の閉館時間いっぱいを使って、かけ足で見学した。
実際に走行している西部開拓時代のSL。
「その規模は噂に違わず“凄い”の一言につきますが、何にもまして驚いたのは展示車両や蒸気機関車などは全て動態保存で、いつでも動かせる状態であったことです」と海老原さんは話す。世界で最初に大量生産されたという戦前の自動車「T型フォード」が実際にグリーンフィールド内を走っており、手を上げれば乗せてくれたし、蒸気機関車への乗車もできた。また、ケネディ元アメリカ大統領が暗殺された時に乗っていたキャデラックも、そのままの状態で展示されていた。
1927年式T型フォード。
もちろん自動車だけでなく、600トンもある蒸気機関車や、リンドバークが初めて大西洋を横断した際に乗った「スピリットオブセントルイス号」などの飛行機類、初期の火花送信機や真空管、西部開拓時代に使われていたライフル銃からピストル、さらには、力織機などの発展過程がレプリカではなく実物で展示されていた。また屋外スペースには西部開拓時代そのままの住居も展示されており、当時の衣類を着用して実際に日常生活をしている家族なども公開されていた。
展示されていた火花送信機。
17時に閉館となり、博物館から外へ出たところ、タクシーが1台もおらず、30分待ったが拾えなかった。そのため、海老原さんらは博物館の事務室に行き、電話でタクシーを呼んでもらった。博物館からの帰路は、ちょうど夕食の時間になっていたので、レストラン「紅花(べにはな)」へ立ち寄った。この紅花は、米国では有名な日本食レストランで、門構えは日本風だった。おそらく何人かの日本人スタッフも働いているハズと思い入店したが、従業員全員がアメリカ人もしくは東洋系の外国人であった。海老原さんが寿司カウンターの東洋人に声を掛けたところ、日本人ではなくベトナム人だった。
[デイトンに飛ぶ]
17日の夜もデトロイトで宿泊した後、海老原さんらは18日(木)08:50発のデイトン行きの国内便に搭乗した。デトロイトからデイトンまでの飛行時間は通常50分であるが、実際は35分で到着した。この便では、前の席にK2QGMボブさんが座っており、アイボール用QSLカードのカード交換をした。驚いたことに帰国して1週間ほど経ったある日、彼からエアメールが届き、彼のシャックや家、近くの風景などの写真が送られてきたという。
デイトン空港に到着すると、到着出発ロビーには「歓迎 ハムベンション」の黄色い大きな幕が掲示されていた。機内預け荷物が出てくるのを待っているとき、親指を立ててこちらに合図を送る人がいた。ハムであることは想像できたが、お互い自己紹介をしたところ、ARRLの副会長N4MMカノデ氏であった。その後、氏とはハムベンション会場内のARRLブースでも再会した。
海老原さん(左)と高田さん(右)。デイトン空港にて。