[豪雨]

2000年5月19日(金)から21日(日)の3日間、第49回ハムベンションはミレニアム記念大会として開催された。海老原さんらは前回の参加で要領がわかっていたので、デイトンに到着した18日(木)、会場のハラアリーナに足を伸ばした。この日は一般公開日の前日なので人も少なく買い付けが比較的楽に行えることと、通常20ドルのチケットが、前売り16ドルで購入できるなどのメリットを考えてのことであったが、1日早くデイトン入りしたことは、結果的に大正解であった。

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2000年のガイドブック。

それは、ハムベンション開催初日である19日(金)は豪雨による天候不良のため、午前中から夕刻まで、デイトンへ向かう航空便がすべてキャンセルとなり、空路でのデイトン入りができない状態となってしまったからである。この日にデイトンで合流する予定だったJA3USA島本さんは、ワシントンDCの空港で足止めを食らい、ロビーでやむなく一夜を過ごすことになった。その他にも何人かの日本からの参加者が「ひどい目にあった。天候が理由によるキャンセルでは航空会社はホテルを用意してくれないので、ロビーで一夜をすごした」と話していた。

確かに、この集中豪雨はすごかった。18日の夜中、デイトンのホテルで寝ていた海老原さんは、何かの騒音で目が覚めた。部屋の前がスイミングプールだったので、プールの水を抜いて掃除でもしているのだろうと、同室の高田さんと話をしていたところ、この騒音はなんと雨の音だった。そして翌朝、レストランに朝食に行ったところ、食堂の天井があちこちでめくれて雨漏りしており、その下にはバケツが置かれていた。従業員の女性は「こんな凄い雨は初めての経験です」と話していた。

[ミレニアム記念大会]

1000以上ものブースが出展される屋外のフリーマーケット「Flea Market(蚤の市)」を、今回から「Outside Exhibit(屋外展示)」と呼ぶと広報されていたが、49年間も「Flea Market」で親しまれている呼称をそう簡単に変えられるはずがなく、横断幕や展示物などはまだ「Flea market」の名称が使われていた。今回は「ミレニアム記念大会」でもあり、ARRLのコンベンションが併設され、約30近いセミナーがARRL主催で行われていた。ARRLがこの様なセミナーを主催するのは49回のハムベンションの歴史でも初めてと聞いた。

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会場に開設されたARRLの記念局W1AW/8。希望者は運用できる。

木曜日の夜が豪雨だったため、雨が止んでも、豪雨のせいで地面が泥化していて歩き辛く、屋外に出展しているブースは売れ行きが芳しくなかった模様で、土曜日の20日午後には早々と「50% OFF」とか「80% OFF」のポップが張り出されていた。そのため、今回は冷房の効いたアリーナの屋内展示場が大盛況だった。昼食時などファーストフード店の前は長蛇の列で、空テーブルを探すのも難しかった。

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アリーナ内の様子。

[屋内会場]

アリーナの屋内展示場は、毎年ほぼ同じ場所に同じメーカーが出展しているが、アイコムを初めとする無線機メーカーがブースの規模や華やかさで際だっていた。メーカー展示を見終わった後、ひと際長い列を見つけた。それは、先の3月にDXCCのニューエンティティであるフランス領のチェスターフィールド諸島からTX0DXのコールサインで運用したQSLカードを、運用者であるOH2BHマーティさんに発行してもらうための列だった。

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アイコムの展示ブース。

TX0DXのQSLカードが、ハムベンションで発行されるという情報は、海老原さんも事前に得ていたので、QSOデーターを持参していた。しかし、その長蛇の列と一人あたりの発行にかかっている時間を見ていると、2時間は待たされそうだったので、並ぶのは取りやめたという。

また、別のところではブータンへのDXペディションA52AのQSL発行サービスを行っていた。ブータンも珍エンティティではあったが、チェスターフィールドの様にブランドニューではなかったこともあって、待ち時間なしでOKであった。このA52Aは、日本からもJA3USA島本さんとJA3IG葭谷さんが参加したDXペディションで、JA3USA島本さんがこのブースに詰めていたため、A52Aついての話を聞かせてもらうことができた。

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A52AのQSLカードを発行中のW0GJグレンさん。

海老原さんの今回の買い物は、世界でも愛用者の多いヘイル社のヘッドセットで、純正のフットスイッチや、リグとの接続ケーブルも同時に購入した。購入価格はまとめて130ドルで、日本国内で買う半値程度で購入することができた。このヘッドセットは、その後の海老原さんの海外運用や国内移動運用で大活躍している。

その他に購入したのは、日本では入手が難しいバード社の43型電力計のM型入出力コネクタと何個かのエレメント、ハスラー製モービルホイップ(7MHz用と18MHz用)、それにローカル局から頼まれたケンウッドのUSA仕様のトランシーバーなどで、往路は隙間だらけのスーツケースが帰路では満杯になってしまった。なお、大きな物を買った人やハンドキャリーで持ち帰れない人のためにUPS(米国郵便サービス)の支店が出店しており、「日本への発送は税関手続きが必要とはなりますが、UPSが引き受けてくれるので、これを利用することができますよ」、と海老原さんはアドバイスする。

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UPSのブース。

[タクシー]

今回のハムベンションは天候が不純で寒かったが、幸いにも雨が降ったのは全て夜の間で、昼間は降らなかったため、傘の必要は全くなかった。タクシーの運転手も、「今回の豪雨と寒さは異常です」と話していた。そして、翌日も同じ運転手が迎えに来てくれたが「今日はジャケットを着てきました」と話していた。

海老原さんからが宿泊したホテル「ホリデーインノース」からハムベンション会場のハラアリーナまではタクシーで約20分、料金は18ドルから20ドルだった。今回は全日程でタクシー利用したが、ホテルからデイトン空港までは23ドルであった。大都市であるデトロイトですら、路上で流しのタクシーを拾うことはまず無理で、デイトンでも同様であった。ハラアリーナには一応タクシーベイがあったが、あまりタクシーはやってこず、いつも長蛇の列になっていたという。

そのため、タクシーを利用した場合は、降りるときに運転手の名刺をもらっておき、直接電話して呼ぶ。ホテルへの帰路に乗車した場合は、翌日の予約をしておく。ハラアリーナで下車した場合は、夕方何時に迎えにきて欲しいと予約をしておく。特にハムベンション最終日は、多くの人と同じ時間帯になるので、前日に予約をしておく。デイトンではタクシーの台数が少ないため、海老原さんはこのようにアドバイスをする。

[帰国便でのハプニング]

21日(日)はハラアリーナには向かわず、朝10:20デイトン発デトロイト行きに搭乗するため、早めにタクシーでデイトン空港に向かい、空港内で朝食を摂った。その後、土産物屋を見ていたところ、Tシャツ屋の店頭にBC-348が置かれていた。このBC-348は、50年以上前に製造された軍用の受信機で、戦後間もない頃、その払い下げ品がアマチュア無線用としてよく使われていた。店頭に置かれていたBC-348は外観の程度もよくダイアルの感触もスムーズだったので、ひょっとしたら完働品かもしれないと思った。

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Tシャツ屋に置かれていたBC-342。

デトロイトまでの国内便は順調であり、予定どおりあれば約1時間の待ち時間で12:55発の関西空港行きに搭乗するため、国内線到着ロビーから国際線出発カウンターへ急いだ。ところがカウンターに到着すると、掲示板に赤色LEDの電光表示で「出発遅延、16:30」との表示が出ていた。なんと3時間35分の遅れである。同時に場内アナウンスも同じ内容を流していた。理由は、フィリピンから到着予定の機材の到着が遅れていたからだった。

そのため、昼食を摂ろうと、海老原さんらはコンコースにある立ち喰いうどんの店に行ったが、ひどい味つけで8ドルも取られた。満足できずに店を出たところ、食券を買うために日本人の女性のグループが並んでいたため、「高くてまずいから、止めたほうがいいですよ」とアドバイスした。「おおきに」と言ってその5人の女性グループは隣のドーナツ屋に入っていった。

[クーポン券]

昼食を取った後も、まだ時間があるので、海老原さんは出発カウンターに座席変更の交渉に行った。海老原さんが割り当てられたシートは5人がけの真ん中だったため、もし通路側が空いていれば変更してもらいたかったからだ。幸運にも1席だけ通路側が空いており、変更してもらうことができた。さらに搭乗券を確認した女性係員が、「食事券を受け取りましたか?」と尋ねてきたので、「もらっていません」と返答したところ、「誠に申し訳ありません」の意が印刷されたノースウエスト航空の封筒をくれた。

クーポン券でも入っているのかと、封筒を開封してみたところ、「国際テレホンカード」、「1000ボーナスマイレージ」と「400ドル以上のノースウエスト航空券購入時に有効な100ドル金券」が入っていた。「3時間半の遅れは確かにきつかったですが、急ぐ旅でもなかったので、ある意味ラッキーでした」と海老原さんは話す。帰国後、「1000ボーナスマイレージ」はすぐに手続きを済ませ、「国際テレフォンカード」と「100ドル金券」は後日ラスベガス旅行の際に使った。

結局、関西空港へは4時間遅れの19時30分に到着した。帰路デイトンから一緒だったJH3GRE中村さんご夫妻に挨拶した後、高田さんはMKシャトルタクシーで、海老原さんはJRの関空特急はるかへ乗車し、それぞれの帰途についた。