[ブルネイ]

1999年、海老原さんはブルネイダルサラーム国(通称ブルネイ)で開催された第27回SEANETコンベンションに参加した。ブルネイはボルネオ島北部に位置する人口約40万人の、1984年にイギリスより独立した小国である。首都はバンダルスリブガワン(BSB)で人口の約1/3にあたる14万人がこの地区に住んでいると言われている。

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ブルネイを代表する建築物の一つオマールアリサイフディーンモスク。

ブルネイは、石油と天然ガスの輸出で経済が潤っているため、個人に対する所得税や住民税は課せられておらず、さらに教育費や医療費は無料となっている。その天然ガスの99%は日本に輸出されているため、日本とは深い関係にある。ただ、ブルネイは産油国でありながら、ガソリンの値段が日本とほぼ同じとなっている。これは、原油を採掘しても精製設備がなく、ガソリンは輸入に頼っているためである。

2011年現在のブルネイの元首は、ハサナルボルキア国王で、首相、国防相、蔵相を兼任している。ボルキア国王は、世界でも有数の資産家として知られ、世界一の富豪とギネスに記録されたこともある。また国王は乗用車のコレクターとして知られており、コレクションの総数は600台とも言われている。なお、ブルネイは、イスラム教国なので、法律で飲酒が禁じられており、「お酒飲みの人には住めない国です」と海老原さんは話す。

ブルネイの多くの家には、日本で言う高級車が複数台あり、ブルネイの人は100m先へ買い物に行くのにも車を出すと聞いたとおり、「確かに街中には車があふれて混んでいました。暑いこともあって大抵の人が車を使って移動するので、日中は街中で歩いている人をほとんど見かけませんでした」と海老原さんは話す。

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車があふれているBSBの中心部。

[SEANET]

SEANETコンベンション(正式名South East Asia Net Convention)の元になるSEANETは、1964年頃から東南アジアを中心とするアジア、オセアニア地域のアマチュア無線局が14MHz帯に集まり、オンエアでのアマチュア無線に関する情報交換を通して親睦を図りながら、有事には緊急連絡を行って人命救助などにも貢献してきたネットである。

第1回SEANETコンベンションは、1971年12月末から翌年1月にかけて、このネットによくチェックインする局が中心となり、マレーシアのペナン島で開催された。その後は、各国の持ち回りで、いくつかの例外を除いて毎年開催されている。2006年には、初めて日本が開催国となり、JA3UB三好さんらが中心となって2006年9月に第34回SEANETコンベンションが大阪で開催されている。

[第27回SEANETコンベンション]

海老原さんが始めて参加した第27回のSEANETコンベンションは、1999年11月19日〜21日まで、ブルネイの首都バンダルスリブガワンで開催された。日本からは総勢27名が参加し、そのうち関西からの参加者はJA3AA島さん、JA3CF岩崎さん、JA3IG葭谷さんと家族2人、JA3UB三好さん、JA3AER荒川さん、JA3ART海老原さん、JA3NGW長谷さん、JH3GAH後藤さん、そして現地で合流したJR3WXA八木さんを加え合計11名だった。

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第27回SEANETコンベンション記念局V8SEAのQSLカード。

海老原さんは、以前から三好さんらハム仲間からSEANETコンベンションのことを聞かされていたので、チャンスがあればぜひ一度参加をしてみたいと考えていた。この1999年の第27回大会はブルネイでの開催と聞き、個人旅行ではなかなか行くことのないエリアであり、よいチャンスと思って参加を願い出た。関西からの参加メンバーには長い付き合いの方が多く心強く感じたことと、さらにはブルネイや東マレーシア通の後藤さんや八木さんが同行されることも参加の大きな要因になったという。

海老原さん自身は初めての参加だったため、コンベンションの内容の詳細までは知らなかったが、実際に参加してみると、「家庭的な雰囲気のある集まりで、誰とでも気さくに話ができることなど、大変良い雰囲気でした。また機会があれば参加してみたい気持ちになっています」と話すように、常連さんたちは「やあやあ、元気だったかい!」などと言いながらハグをして再会を喜んでいる様子が伺えた。

[準備]

ブルネイでのSEANETコンベンションに参加した後は、隣接する東マレーシアを訪問する旅行計画として、それまでに何度もブルネイやマレーシアに渡航した経験があって、現地局とも懇意にお付き合いされていたJH3GAH後藤さんに世話役をお願いすることにした。ちなみに後藤さんは、ブルネイではV85TG、マレーシアでは9M8TGのコールサインを所持していた。

参加者の連絡用として電子メールのメーリングリストを立ち上げ、それを使ってすべての打ち合わせを行ったことで、実際のミーティングを行うことは一度もなく、関西からの参加者全員が初めて顔を合わせたのは、11月18日の出発当日の関西空港であった。

関西からの参加の11名は関西空港に集合後、午前11時30分発のマレーシア航空に搭乗してマレーシアのペナン経由クアラルンプールまで行き、空港内にあるホテルで1泊した。前年10月までは、日本からバンダルスリブガワンまでの直行便がロイヤルブルネイ航空によって運行されていたが、その便が運休となって直行便が無くなってしまったため、乗継便となり、さらにトランジットのためにマレーシアのクアラルンプールでの1泊を余儀なくされた。

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クアラルンプールで宿泊したホテルのエントランス。

[クアラルンプール国際空港]

翌19日の早朝、クアラルンプールの空港で午前9時10分発バンダルスリブガワン行への搭乗手続きのためカウンターで順番待ちをしていたが、搭乗手続きのアナウンスがあっても一向に列が進まない。おかしいなと思っていたら、コンピューター故障のため係員が手作業で搭乗券を発券していた。機内預けの荷物は、カウンターの前に整列して置いたままで搭乗する様にとの指示を受けた。

クアラルンプール国際空港は1年半前に建て替えられたばかりの新しい空港で、関西空港とは比べものにならないくらい広くそしてきれいだった。さらに外見での設備も立派で、素晴らしい空港だと思っていたところにコンピュータートラブルが発生して、がっかりしたという。

搭乗後、機内で配られた入出国カードを見ると、記載する項目に「人種」、「既婚/独身」や「宗教」など、海老原さんが過去の海外旅行で経験したことのない質問項目があり、「そのカードを見て、改めてイスラム圏に入国する実感を持ちました」と話す。また、「入国目的」の項目にも「観光」という定番の選択肢がなく、「友人訪問」「コンベンション」「休暇」などの項目しかなかった。