[ブルネイに到着]

ブルネイ行きの搭乗機は、ほぼ定刻の11時30分にブルネイ国際空港に到着した。通関手続きの順番待ちの間、列の後ろから荷物検査の様子を見ていたところ、全員がスーツケースを開けられ中身をチェックされていた。「禁酒国なので、不法に持ち込まれる酒類のチェックを行っていたのでしょうね」と海老原さんは想像した。

しばらくすると小柄で威厳のありそうな人物が現れ、JH3GAH後藤さんと挨拶を交わした後、関西からの一行を引率して税関検査カウンターに連れて行き、検査官に一言二言話をしたと思ったら、そのままフリーパスで空港外へ出してくれた。この人物がブルネイダルサラーム国アマチュア無線協会(BDARA)会長のV85HGハッサンさんだった。

[コンベンション会場]

空港駐車場には迎えのマイクロバスがスタンバイしており、それに乗り込むと、約10分でコンベンションの会場となるオーキッドガーデンホテルに到着した。このホテルは、2ヶ月前の9月に新築オープンしたばかりのきれいなホテルだった。後日、海老原さんが聞いた話では、このホテルができるまで、バンダルスリブガワンで200名程度を収容できるイベントホールを持つホテルが無く、そのため、このホテルの竣工時期次第では会場変更の可能性もあったため、コンベンションの会場が間際まで発表されなかったとのことだった。

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オーキッドガーデンホテル。

そんなこともあって、たとえば、SEANETコンベンションの記念局であるV8SEAのシャックが設置されたホテル最上階の7階には工事中で未完成の部屋もあった。よって7階には宿泊客が居ないため、無線室への出入りに気を遣う必要が無くなり、深夜や早朝でも無線室のドアを解放して運用することができた。なお、海老原さんらが宿泊した部屋は、ゆったりとしたツインルームを1人で使い1泊約4500円だったが、「おそらく、オープンの特別プライスにしてくれたのではと思っています」と話す。

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海老原さんが宿泊した部屋。この広さで1泊約4500円

[参加者]

プルネイでのSEANETコンベンション参加者は、主催者発表によると17ケ国116名だった。内訳として、日本からの参加者が一番多く27名、次はマレーシアからの参加者で22名だった。その他の国からの参加者は何れも1桁の人数だった。一方、主催国であるブルネイからは24名が参加した。その他にも地元の名士や電波行政の役人、王室関係者など、直接アマチュア無線をやっていない出席者も加わり、「総勢では150名くらいだったと思います」と海老原さんは話す。

参加者の中で、海老原さんが印象に残っている局は、DXerとして有名なN2OOボブさん。SEANETに常連のHS1YLマユリーさん。パーティで偶然にも隣の席になった、参加者の中では最高齢でただ1人台湾から参加のBV2A陳さん。太平洋戦争中には日本軍の通訳としていたという流暢な日本語を話す9M2PDハリさん。最後に日本からただ1人事務局を担当し頑張ってくれたJA4ENI武政さんなどであった。

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台湾から参加のBV2A陳さん。

[記念局の運用]

記念局V8SEAはホテルの7階に設置され、アンテナは、クッシュクラフト社製のマルチバンドバーチカルR-7000とワイヤーダイポールが屋上に架設されていた。無線室は24時間オープンしており、コンベンションへの参加者であれば誰でも自由に運用できるようになっていたが、いつも誰かが運用しており、なかなか無線機が空いていることがなく、海老原さんは延べ1時間程度しか運用できなかった。

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無線室でのスナップ。左から海老原さん、JA3AER荒川さん、JA3UB三好さん、JR3WXA八木さん

N2OOボブさんがSSBで日本相手に運用している際、海老原さんが横で聞いていたところ、「私には簡単に聞き取れるコールサインでも、彼は首を横に振っていてコピーできませんでした」、「どうも日本流フォネティックコードの発音が彼には聞きとれないようでした」、「特にM=メキシコ/マイク、H=ホテル、J=ジュリエット(ひどい発音はジュリーエイト)が難しいように感じました」と話す。

海老原さん自身は、初めはV8SEAを使って24MHzSSBで6QSOを行ったが、すでに他のオペレーターによってサービスしつくされた感があり、その後呼ばれなくなってしまったので、JH3GAH後藤さんの個人コールであるV85TGに切り替え、ゲスト運用の形態で53QSOを行った。

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記念局V8SEAを運用中の海老原さん。

[ブルネイの免許制度]

ブルネイのアマチュア無線免許にはAクラスとBクラスの2つのクラスがある。Aクラスには、学科試験の他に60文字/分のモールスコードの試験があり、V85**(サフィックス2文字)のコールサインが割り当てられ、HFオールバンド、オールモードで出力500Wが許可される。Bクラスは学科試験だけで、V85***(サフィックス3文字)のコールサインが割り当てられるが、V/UHF帯のみ許可される。

外国人への免許付与はかなり制限されており、さらにHFに出るには60文字/分のモールスコードの制約があるため、日本の2アマにはHFは免許されなかった。ただし、これらは、1999年当時の状況なので、世界的にノーコードが主流となってしまった現在では、おそらく試験の内容や、許可範囲は変わっていると思われる。

[コンベンション第1日目]

第1日目の19日は夕方5時から夜9時まで気楽な立食形式のパーティが開催された。ここではお互い自己紹介やQSLの交換などを行い、あっという間に4時間が経過した。「実際に顏を合わせて話をすると、多くの方々と友達になれたし、帰国後もそのコールサインが聞こえればコールして、いろいろな話題に発展する会話が楽しめました」、「特に9M8DBジョニーさんとは、今でもお互いコールサインが聞こえれば、呼んだり呼ばれたりして、共通の友人達の情報交換をしています」と話す。

海老原さんは、このパーティで何かもの足りなさを感じたが、それはイスラム教国のためアルコール類の提供が一切ないことだった。コーラやスプライトはあったが、このような炭酸飲料は肉料理の飲料にはさすがに適さないため、水やコーヒー、ジュース類で我慢した。この時、パーティ会場内ではJA3CF岩崎さんが、SSTVのデモンストレーションを行っていた。

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JA3CF岩崎さんによるSSTVのデモンストレーション。

[ジュルドンパーク]

閉会予定時刻の夜9時になったところ、司会者から「みなさんロビーに集合して下さい」とアナウンスがあった。この時間から、車で20分程度のバンダルスリブガワン郊外にある遊園地「ジュルドンパーク」に向かうとのことで、3台のマイクロバスが用意されていた。この遊園地は1994年に、国王の48歳の誕生日を記念に、ブルネイ政府が建設して、国民への贈り物として開業させた東南アジア最大の遊園地であった。

なんと開業から6年間、2000年までは入場料はもちろん、すべてのアトラクションも無料という、産油国ブルネイならではの画期的な遊園地であった。その後、一旦入場料とアトラクション参加料を有料化したが、2009年には、入場料だけを無料に戻している。なお、赤道に近いお国柄故、昼間は暑くてお客が入らないため、毎日午後4時に開園し、朝までのオールナイト営業となっている。日中は照明の演出効果が得られないことも理由の一つだという。

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ジュルドンパークでのスナップ。左からJR3WXA八木さん、JA3AA島さん、海老原さん、カートの運転手。

「大規模なジェットコースターやウォータースライダーをはじめ、日本でお目にかかれるハイテク遊具が揃っており、一晩ではとても廻りきれる広さではありませんでした」、「また、色とりどりの照明が大変ファンタスティックで、高さ60mの回転展望台から見る夜景も素晴らしいものでした。」と海老原さんは話す。