[無線運用]

海老原さんらはホテルに到着した1時間後の夕方5時からアンテナの設置を始めた。実はホテルに到着した際、7階建てホテルの屋上に14/21/28MHz用3エレトライバンド八木と、7MHz用2エレ八木アンテナが上がっていたため、それらを使わせてもらえると考えていた。しかし、それらのアンテナは、地元のクラブが6階の倉庫に同軸やローテーターケーブルを引き込んでいるクラブ局用のアンテナだったため、もちろん貸してもらうことはできたが、冷房設備がなく窓もない高温多湿の倉庫では、30分も居られないだろうということで、自分たちで持ってきたアンテナを屋上に設置することになった。

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クラブ局用のビームアンテナ。

なお、屋上には八木以外にも地元クラブ局用としてクッシュクラフトのマルチバンドバーチカルR7000が設置されており、このアンテナであれば回す必要がないためこれを借用することにして、給電部からクラブ局用の同軸ケーブルを外し、代わりに持参した同軸ケーブルを接続して7階のシャックに引き込んだ。7〜28MHzはこのバーチカルで運用したが、ホテル屋上の海岸側コーナーに置かれた5mHのルーフタワーの上に設置されていたためバーチカルといえども大変よく飛んだ。

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海老原さんらが借用したバーチカルアンテナ。

海老原さんらは、海老原さんが持参した1.8MHz用フルサイズダイポールと、他のメンバーが持参した3.5/3.8MHz用ダイポールの設置に取りかかった。屋上は広かったが、冷房の室外機やクーリングタワー、排気ファンなどが林立していたため、その間をぬってワイヤーを展張した。3.5/3.8MHz用ダイポールは難なく設置できたが、1.8MHz用ダイポールのSWRがなかなか下がらなかった。

そのため、何度も上げたり下ろしたりしてエレメント長を調整したり、給電点のバランの接触を調整したりしたが上手くいかなかった。最後にはバランそのものの不調しか無いと判断してバランを交換したところ、SWRが1.2まで下がったのでOKとした。さらにその場で50MHz用のワイヤーダイポールを作り、バーチカルアンテナが設置されたルーフタワーの上部から斜めに引き下ろして傾斜型ダイポールとした。

[無線機]

HFトランシーバーは、1999年中頃にサイレントキーになったJA1局の遺族の依頼で持参したTS-940を現地クラブ局へ寄贈し、それを使用した。リニアアンプは9M8DBジョニーさんのFL-7000を借りて運用したが、運用2日目に南極昭和基地の8J1RLとSSTVモードによるQSO中に運悪く故障してしまった。ファイナルが飛んでしまった様子だった。

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9M8TGを運用中の海老原さん。

マレーシアにはアマチュア無線機を修理するところが無く、故障すると米国に送らなければならないので大変と聞いた。幸いにもジョニーさんは電気技術者で、部品さえあれば修理もできることから、海老原さんらは帰国後に日本でファイナルトランジスターを調達してジョニーさんに送り、ジョニーさんに交換してもらうお願いをした。

リニアアンプが使えなくなってからは100W出力での運用となったが、海岸に面したホテルのロケーションが良いこともあって、100W運用とは思えないくらいよく飛んだ。特にローパワーでは長距離の交信が難しい1.8MHzにおいても、100W出力で日本はもちろん、米国、欧州とも交信でき60QSOを達成した。またハイバンドにおいては、サイクル23のピークが近かったこともあり100Wで十分であった。50MHzもバンドがよくオープンし、急遽手作りした傾斜型ダイポールアンテナを使い、450QSOを記録した。これは全バンドで最多となるQSO数だった。

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50MHzを運用中のJA3AA島さん。

ミリでは、昼夜を問わずジョニーさん夫妻を中心とした地元の局が、観光や食事など趣向を凝らした企画で歓待してくれたため、運用に集中することはできなかったが、それでも全員の分を合計すると約1500QSOという結果だった。「特筆は、元京都クラブのメンバーだったJA9BOH前川さんが運用する南極昭和基地の8J1RLとSSTVでQSOできたことです」と海老原さんは話す。

[地元の局と交流]

ミリ在住のアマチュア無線家では、ジョニーさんをはじめ、ブルネイでのSEANETコンベンションに参加した局とはすでに顔馴染みになっていたが、コンベンションに不参加だった局とも3、4局アイボールQSOできた。その他にも9M8HFフェスタスさんと9M8WBウィリーさんは、コンベンションに参加後、ミリからさらに南に500kmのところにあるサラワク州都のクチンに車で帰る途中、わざわざミリに1泊して海老原さんらと合流してくれた。

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9M8WBウィリーさん(左)と9M8FHフェスタスさん(右)。

ミリに到着した21日は、宿泊したホリデーインミリで、ジョニーさんが夕食会を主催してくれた。そのお返しとして、翌22日の晩は海老原さんらが、リーガロイヤルホテルの日本レストランにジョニーさんの家族を招待した。するとジョニーさんが中国系のマレーシア人だからか、ジョニーさん一家だけでなく、ジョニーさんの奥さんの妹さん一家を含め、ジョニーさんの親族が10人も参加した。

そのため、海老原さんら日本のメンバー、東マレーシアのアマチュア各局、さらにはジョニーさんの親族合わせて総勢25名となった。人種も日本人、中国系、インド系、フィリピン系マレーシア人と様々な食文化の人たちが集う賑やかなディナーとなり、挨拶にきたリーガロイヤルの支配人(日本人)は、日本レストランが貸切り状態になったのは開業以来初めてだ、話していたという。

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リーガロイヤルホテルの日本レストランでのディナー。

日本レストランで出てきたにぎり寿司や刺身は、各系のマレーシア人にも好評だったが、さすがにワサビには慣れていないせいか、彼らには受け入れ難い様子だった。支配人によると、ミリには日本人会があり、ミリで生活している日本人は当時14人いるとのことだった。

[夜の観光]

夕方7時から始まったディナーは夜10時にようやくお開きとなり、これで解散の予定だったところ、ジョニーさんら各人が乗ってきた自動車に分乗して、ミリの夜の観光に案内してくれることになった。まずは、小高い丘の上にある、マレーシアで初めて石油が出た場所であるカナダヒルに向かった。カナダヒルに到着すると当時の木製の採掘用タワーが保存されていた。また、そこからはミリの町の夜景が一望でき、海老原さんらは、素晴らしい眺めを堪能した。

次に向かった市役所の前には、色とりどりの照明でライトアップされた噴水や花壇のある公園があり、間もなく日付が変わろうとしているのに多くの若者たちが集まっていた。ほとんどの若者はバイクでやって来ていた。マレーシアは、昼間は蒸し暑くて快適ではないため、特に若者は、夜遅くまで外で過ごす事が多い様子だった。この日海老原さんらが、ホテルに戻ったのは深夜1時頃だった。