JA3ART 海老原 和夫氏
No.46 SEANETコンベンションに参加(6)
[9M8DB宅を訪問]
11月23日は、9M8DBジョニーさんが中華レストランで昼食をご馳走してくれた。そのあと、また車に分乗して観光名所のワニ園や、サラワク独自の焼き物の工房を見学に連れて行ってくれ、その後、ジョニーさんの自宅に招待してくれた。ジョニーさんの自宅に着いて驚いたのは、アンテナタワーだった。ステー式で高さ45mの固定タワーが建っていたが、日本だったら1回の台風で倒壊してしまいそうな細さだった。
9M8DBジョニーさんの45mhステー式固定タワー。
タワートップには、HF用のビームアンテナがスタックで上がっていたが、アンテナ工事やメンテナンスなどの高所作業はすべてジョニーさん自身が行うと聞いた。ミリには台風は全くやってこず、また風速10m以上の風はめったに吹かないそうなので、細いタワーでも全然問題はないとのことだった。1.8MHz用と3.5MHz用のフルサイズワイヤーダイポールは、敷地を飛び出し、道路を超えた向こう側の公園まで展張されていた。
ジョニーさんが使っているリニアアンプは米国製のコマンダーHF-2500という製品で、ファイナルに3CX800Aを2本使った出力2kWのリニアアンプだった。地上高45mのビームアンテナから発射されるジョニーさんの信号が、日本から何時聞いても強力に入感するのが納得できた。ガレージには英国の高級車である黒塗りのジャガーが置いてあったので、海老原さんは運転席に座らせてもらい、その感触をしばし楽しんだ。
前列左からJA3AA島さん、ジョニーさん。後列左から海老原さん、JA3NGW長谷さん、JA3UB三好さん、JA3IG葭谷さん。ジョニーさんのシャックにて。
ジョニーさんのシャックや仕事場をひととおり見せてもらった後、奥さんがキッチンへ案内してくれた。そこには、ドリアン、ココナツ、マンゴーや、その他にも名前も知らないトロピカルフルーツが並べられフルーツパーティが準備されていた。目の前で豪快にココナツが割られ、ドリアンも大きなナイフで割られるなど、美味しそうなフルーツが、器用な手つきで食べやすいサイズにカットされていった。海老原さんにとって初めて食べるフルーツも多く、「その度に名前を聞いたのですが、覚えきれませんでした」と話す。
フルーツパーティで出てきたトロピカルフルーツ。
[市場での夕食]
この日の夕食は地元の人しか行かないという、市場へ連れていってくれ、そこで、現地の人たちと同じ食事を摂ったが、海老原さんら日本人は、冷房のない市場内での高温多湿には慣れていないため、多くのメンバーは食が進まず残していたという。一方、海老原さんは、目の前で鶏や豚を調理されてもあまり気にならず、基本的に加熱されているものは大丈夫と考えており、なによりヌードルが美味しかったのでおかわりを注文したところ、ジョニーさんは大変喜んでくれた。
市場で夕食中のジョニーさんとJA3CF岩崎さん。
その市場の中には、絹のスカーフや民族衣装の店があり、日本からのメンバーは皆、土産物としていろいろ買い物をした。その後は、現地人に人気があるという海岸辺りの夜店に連れていってもらい、ココナツをナタで割ったものを飲んだり、小倉金時によく似たかき氷風のデザートを食べたりして、海岸の散歩を楽しんだ。その場所でも、夜遅い時間帯にもかかわらず、若者で賑わっていた。
夜店でかき氷風のデザートを食す海老原さん(左)。
ただし、生水は飲めないため、海老原さんは、ジョニーさんには悪いとは思いながらもかき氷が心配になり、ホテルに帰ってからすぐにJA3ASU狭山医師から、海老原さんの体に合わせて事前に処方してもらった抗生剤と抗菌剤のカプセルを服用しておいた。案の定、数名のメンバーが、翌日1日、腹痛で苦しんでいたという。
[最終日]
11月24日、いよいよミリを離れる日になった。この日の午前中はジョニーさんの奥さんの妹さんの家で飲茶の招待を受けた。中国系の住民は、招待を受けると必ずお返しをするのが普通であり、22日の日本食レストランでのディナーのお返しをしないといけないと言われ、海老原さん自身は、もう少し無線運用が行いたかったが、招待を断る訳にも行かないので、迎えの車に乗ってお邪魔した。
大理石造りの広いお宅に到着すると、すでに中華風の饅頭や餅、ちまきによく似た蒸し菓子、トロピカルフルーツ、そして飲み物が用意されており、さっそく歓談を始めた。話題はどうしても無線関係になってしまい、アマチュア無線を行っていない家主夫妻には申し訳ないとは思いながら、1〜2時間を過ごしていると、けたたましくサイレンを鳴らした消防車が何台もやってきて家の前に止まった。何と向かいの家が火事になっていたのである。幸い大事には至らず15分くらいで消し止められたものの、飲茶を楽しんでいる最中だったので、皆大変驚いた。
飲茶で出てきたお菓子やフルーツ。
[帰国準備]
午後ホテルに帰り、屋上に設置した3バンド分のワイヤーダイポールを撤収したりパッキングを行ったりした。18時頃にジョニーさんがホテルまで車で迎えに来てくれた。飛行場までは20分くらいで到着し、通関も問題なく済ませてチェックインが完了した。ブルネイ滞在中もそうであったが、ミリ滞在中も全行程で天気に恵まれ、また、ジョニーさん夫妻をはじめ、地元の人の素晴らしい歓待を受け、想い出に残る旅行となった。
特にジョニーさん夫妻は毎日ホテルに来てくれ、無線運用を行っていないメンバーを買い物に連れて行ってくれるなど、大変気を使ってくれた。そんなこともあって、無線運用の時間はあまり取れなかったが、翌々年(2001年)の第29回SEANETコンベンションが東マレーシアのコタキナバルでの開催が決まっていたため、その時にミリへの再訪を約束して地元の皆と別れた。
お世話になったジョニーさん夫妻。
ただし、この時点でJR3WXA八木さんだけは、27日、28日に開催されるCQWWDX-CWコンテストに参加するため、1人ミリに残った。八木さんは、ホリデーインミリの倉庫に設置された地元クラブのシャックから、9M8YYのコールサインで、コンテストに参加してからの帰国になった。
[帰国便]
飛行機は定刻の19時10分にミリ空港を飛び立ち、途中経由地であるクチンに着陸後、一旦全員が機外へ出された。機内アナウンスが訛りのある英語で、海老原さんは内容がよく聞き取れなかったので、機内清掃かなにかと考えて飛行機を降りた。すると、東マレーシアから出るという出国手続きと、西マレーシアに入るという入国手続きが行われ、パスポートチェックを受けた。
歴史的背景から、東マレーシアと西マレーシアは完全な同一国家にはなっておらず、その行き来にはたとえマレーシア国民であってもパスポートを必要とする。クチンを経由した次の到着地は西マレーシアのクアラルンプールのため、東マレーシア内の最後の経由地であるクチンでこのような手続きが行われたのであった。
無事にパスポートチェックを受けた海老原さんらは、待合室に入って搭乗案内を待っていた。するとJA3CF岩崎さんとJA3NGW長谷さんの2人がいつまでたっても待合室に現れない。待合室から外の様子を見てみると、2人は気楽に売店で買い物を楽しんでおり、まだ入国審査のパスポートチェックの列にも並んでいなかった。あわてて手で合図を送り、列に並んで入国手続きを済ます様に促したところ、やっと気づいてくれた。
無事に全員で再搭乗し、クアラルンプール到着後は23時59分発の関西空港行きに乗り換え、予定どおり11月25日の午前5時に関西空港に到着した。そして帰国後の12月17日、海老原さんの友人がオーナーで、大阪市の谷町九丁目にあるイタリアンレストランに写真交換会と忘年会を兼ねて全員が集まり、2001年のコタキナバルでのSEANETベンションには、また同じメンバーで参加しようと確認した。