[再びコンベンションに参加する]

1999年にブルネイで開催された第27回SEANETコンベンションの際、翌々年の第29回は東マレーシアのコタキナバルでの開催と決まった。海老原さんはブルネイで参加したコンベンションの印象が良かったことや、その時に大変世話になった9M8DBジョニーさんから「翌々年もぜひご参加下さい」と誘いを受けたことで、2001年のコタキナバルでのコンベンションへの参加を早い段階で決めていた。

さらに、1999年のブルネイの時、世界遺産に登録された東マレーシアのグヌンムル国立公園への小旅行を検討したが、時間的な制約であきらめざるを得なかったことから、2001年は絶対に旅程に組み込もうと考えていた。そんなこともあって2001年のコタキナバルでのコンベンションへの参加は1年くらい前から準備に着手した。どちらかというと海老原さんは、コンベンションよりグヌンムル国立公園への旅行と、ムルからの無線運用をメインに考えたという。

この時も、航空券やホテルの手配、無線ライセンスの取得などは、前回同様にJH3GAH後藤さんと9M8DBジョニーさんに依頼し、特にムルから運用する際の無線ライセンスについては、個人免許の申請を試みた。参加者はJA3AA島さん、JA3UB&JR3MVF三好さん夫妻、JA3AER荒川さん、JA3ART海老原さん、JH3GAH後藤さんと、鳥取市から参加のJA4HCK馬場さんの合計7名に決まり、すでにサラワク州で9M8TGのライセンスを得ている後藤さんを除いた6名分の免許を申請した。

[出発]

2001年11月8日、海老原さんら7名は関西空港12時00分発クアラルンプール行きのマレーシア航空53便に搭乗した。飛行機は定刻どおりに運航し、オンタイムで現地時間の19時20分、クアラルンプール国際空港に到着した。今回は、前々月の9月に発生した米国での同時多発テロの影響で飛行機のフライトスケジュールがなかなか決まらずチケットが取りにくかったものの、実際に搭乗してみたところ搭乗率は30%程度で、海老原さんは4人掛けのシートを1人で使って横になるなど、リラックスした6時間を過ごすことができた。

なお、関西空港から東マレーシアのコタキナバルへは直行便が無いため、通常は西マレーシアのクアラルンプール経由となるが、往路は乗り継ぎ時間の関係でクアラルンプールで1泊する必要があった。クアラルンプールからコタキナバルへの国内線の最終便が20時20分発で、乗り継ぎに1時間しかないため、旅行会社からは保証できないと言われたからだ。そこで海老原さんら7人は1999年にブルネイに行った際にも使ったクアラルンプール国際空港内にあるパンパシフィックホテルに宿泊した。

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関西から参加した7名。パンパシフィックホテルのロビーにて。

[クアラルンプール市内]

ホテルにチェックインした後、クアラルンプール市内に出かけて夕食を摂ろうという事になり、ホテルのスタッフにタクシーの手配を依頼した。JA3AER荒川さん以外の6名はクアラルンプール市内へ行くのは初めてだった。クアラルンプールのタクシーは料金メーターがなく、乗る前に料金交渉が必要だったが、帰路市内で拾うとまた料金交渉が必要になるため、乗車するタクシーをそのまま待たせておく方がベターとホテルのスタッフに勧められ、空港と市内との往復+2時間の待ち時間込みで1台6千円で2台のタクシーをチャーターした。

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チャーターしたタクシー。

ホテルからクアラルンプール市内までは想像していたよりも距離があり、高速道路を使って片道1時間を要した。関西で言うと概ね京都市内から神戸市内へ行くくらいの距離だった。それを考えると市内での2時間の待ち時間を入れての6千円という料金は妥当な金額と皆で納得した。タクシーの車種はフランス・ルノー製のワンボックスタイプで、客席は対面式シートの4人乗りになっており、また客席と運転席とはプラスチック板で完全に遮蔽されていた。海老原さんらは4名と3名に分かれて2台に分乗した。

クアラルンプール市内のダウンタウンは世界でも屈指の大都市感があり、当時世界で一番高い建築物であった高さ452mのペトロナスツインタワーと、それに匹敵する通信塔である高さ421mのクアラルンプールタワーが、夜間照明できれいにイルミネーションされ、そびえ建っていた。

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ペトロナスツインタワー。

海老原さんらは、ISETAN(伊勢丹)百貨店7階のレストラン街へ行ってみた。クアラルンプールのISETANは、建物内装やデザインが日本国内の店舗とは異なり、雰囲気が全然違ったという。レストラン街には日本料理店や寿司屋も何軒かあったが、マレーシアまで来て日本料理もどうかと思いマレー料理店に入った。マレー料理の主体はカレーであったが満足できる味であった。たまたまこの時はイスラム圏のラマダン期間中だったため、内容は確認しなかったが、特別メニューとして「ラマダンメニュー」というものがラインナップされていたという。

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クアラルンプールのISETAN店内の様子。

[コタキナバルに向かう]

翌11月9日、海老原さんらは12時00分発のマレーシア航空に搭乗してコタキナバルに向かった。この便は完全に満席だった。今回のSEANETコンベンションには関東からの参加者の一部が、航空券が確保できないという理由で参加をキャンセルしたと聞いていたが、クアラルンプールからコタキナバルへの国内線の便が確保できなかったであろう事は容易に想像できた。

コタキナバル空港には定刻の14時35分に到着した。空港を出たところには歓迎の横断幕が揚げられており、9M6LKローエンスさんら4名のスタッフの出迎えを受け、まずは一緒に記念撮影を行った。その後送迎車両に乗車して、コンベンションの会場であるパシフィックステラホテルに送ってもらった。

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現地スタッフと記念撮影。

ホテルに到着後は、まず受付で参加費用である85米ドルを支払い、コンベンションへのエントリーを完了した。その後は、ウェルカムディナーが始まる19時までフリータイムなので、ホテルのロビーでアイボールQSOを楽しんだり、屋上階のペントハウスに開設されていた特別記念局9M6SEAの運用を楽しんだりして過ごした。ロビーでは、いつものSEANETの光景ではるが、あちらこちらでお互いの再会を祝するハグが行われていた。

[特別記念局9M6SEA]

また、9M6SEAのシャックに隣接しているテラスには、椅子とテーブルが置かれ、さらにテーブルにはスナックとドリンクが用意さいれていたので、ここでもアイボールQSOに花が咲いていた。9M6SEAは24時間開放されており、参加者なら誰でも好きな時間に運用できるようになっていた。トランシーバーはすべて100W機だったが、日本の各メーカーの製品が置かれていた。

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シャックに隣接したテラスでくつろぐ参加者。

会場となったこのホテルは海辺に建っており、8階建ての屋上に7〜28MHz用のバーチカルアンテナと、3エレトライバンド八木アンテナが設置されていて、100W出力でも良く飛んだ。ただし、ログをめくってQSOの相手局を見てみると、伝搬の関係でほとんどが日本の局であった。この記念局の運用は人気があり、いつも誰かが運用していたため、空き時間を見つけるのがなかなか難しく、海老原さんはあまり運用する機会がなく、21MHzSSBによる数十局のQSOに留まった。

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9M6SEAで使用されたバーチカルと八木アンテナ。