JA3ART 海老原 和夫氏
No.48 SEANETコンベンションに参加(8)
[コンベンション1日目]
コタキナバルに到着した11月9日は、19時になると盛大なウェルカムディナーが始まった。まずはSEANET2001の実行委員長を務める9M8NSタムさんによる歓迎と開会の挨拶があり、その後JH3GAH後藤さんが、JARL原会長からのメッセージを英語で代読した。
JARL原会長からのメッセージを代読する後藤さん。
このウェルカムディナーで海老原さんは、米国から夫妻で参加していたW7YAQボブさんのコールサインを見つけ、「私の所属するクラブ局のコールサインはJA3YAQです」と話しかけ、しばらくアイボールQSOを楽しんだ。海老原さんは、時々ワシントン州のシアトルに行くことを話すと、彼もオレゴン州に住んでいるのでシアトルは1年に何度も訪ねるなどと話が弾んだ。この日は夕食会だけだったので、22時前にはお開きとなった。
[市内観光]
コンベンション2日目の11月10日は、9時から17時まで市内観光の予定が組まれていた。海老原さんらは9時にホテルのロビーに集合した。まずはステラハーバーを背景に全員で記念撮影をし、その後参加者は2台の観光バスに分乗してコタキナバル市内にある各宗派の寺院やサバ州政府の建築物等を見学した後、博物館に向かった。博物館では、明後日に行く予定となっている東マレーシアサラワク州にある独特のロングハウスと呼ばれる住居(1/5の縮小モデル)等を見学した。
まずは参加者全員で記念撮影。
この日の昼食はリゾート施設であるランカサバビーチリゾートで用意されていたが、このリゾート施設にはアマチュア無線のレンタルシャックが設置されていた。昼食後は民族村であるモンソピアドカルチュラルビレッジを見学した。ここでは、ボルネオ島固有の現地人が、昔のままの生活スタイルをできるだけ踏襲して生活しているとの説明があり、昔の首狩りの風習を思わせる本物の頭蓋骨が鴨居に並べられていたのが印象的であった。
鴨居に吊された本物の頭蓋骨。
この村に入るには1本の吊り橋しかなく、外敵に襲われた時にはこの吊り橋を切り落として村への進入を防ぐようになっていると説明があった。また、伝統の民族舞踊も披露され、希望があればステージに登って一緒に写真を撮ったり、ダンスをさせたりしてくれた。ここでは、民芸品も販売しており、海老原さんは刃渡りが40cmほどもあるブッシュナイフの握り手の彫刻文様が気に入ったため、店員に「搭乗検査で大丈夫ですか」と尋ねたところ「民芸品なので問題ありません」と言われ5米ドルで購入した。
帰路、海老原さんはブッシュナイフをスーツケースに入れておいたが、後日向かったムル空港を初め、コタキナバル空港、クアラルンプール国際空港、関西空港すべてで問題となることは無かった。モンソピアドカルチュラルビレッジを訪問した後は、フィリピン人の露店が並ぶ工芸品マーケットで買い物を楽しんだ。この市内観光は、外国人には大変興味のある内容のツアーであった。
[ガラディナー]
ホテルに帰った後は、19時から開催されるコンベンションのメインイベントであるガラディナーの会場に向かった。会場の前には、色彩鮮やかな民族衣装を身に着けた3人の女性が待機し、入場者一人一人にビーズで「9M8SEA」と刺繍されたペンダントを首にかけてくれた。会場には、地元マレーシアから民族衣装で参加している参加者が多かった。一方、JA1BRK米村さんご夫妻など、日本からの参加者の数人は着物で来ており、他国の参加者から注目を浴びていた。
ペンダントをかけてもらっている海老原さん。
ガラディナーは9M6MAハッサンさんの司会で始まり、昨晩に続いて実行委員長である9M6NSタムさんによる歓迎の挨拶があり、その後SEANET開会の恒例行事である「どら」が打ち鳴らされた。SEANETコンテストの表彰式に続いて、これも恒例になっている各国ごとのエンターテイメントが順次披露された。今回のコンベンションへの日本からの参加者は20名前後であったが、日本の順番になったときは、その中から数名が舞台に上がり、歌謡曲「瀬戸の花嫁」を合唱した。
歓迎の挨拶を行う実行委員長の9M6NSタムさん。
それが終わると、民族衣装を着飾った地元の人たちによるバンブーダンスが披露された。これは、2本の竹の端を2名で持ち、リズムに合わせて2名が竹を打ち、ダンサーはバンブーの動きに合わせ、はさまれないようにステップを踏んで踊るというもので、ダンサーから指名されて強引に舞台に上がらされ、ダンスに挑戦した関東からの参加者もいた。あっという間に4時間が過ぎて23時の解散となった。その後はロビーでさらにアイボールQSOを続ける参加者や、無線室に直行した参加者などもいたという。
[最終日]
コンベンション3日目の11月11日、この日は午前中にテクニカルプレゼンテーションがあり、JA3AER荒川さんとJA1RJU小笠原さんが、2001年2月8日から2月28日に行われ、自分たち参加したアフリカの小国コモロへのDXペディションをスライドを使って紹介した。このDXペディションではコールサインにD68Cが使われ、16万超という当時として世界最高数の交信局数を記録したことなど、流暢な英語でプレゼンテーションを行った。
プレゼンテーションを行う荒川さん(左)と小笠原さん(右)。
そして、翌々年2003年のコンベンション開催地が討議され、西マレーシア・ジョホールバル市が選出された。その後、翌2002年の開催地であるオーストラリア・パース市の紹介があり、SEANETのペナントがSARS(Sabah Amateur Radio Society)会長の9M6ETステファンさんから、VK6XCベンさんに引き継がた。そして最後にお別れのフェアウェルランチがあり、3日間に渡ったSEANET2001は無事閉幕となった。
ペナントが次回開催地のパースに引き継がれる。
海老原さんら関西から参加の7名は、その日14時発の航空機でムルに向かう予定だったため、コンベンション終了後は、早々にホテルを後にして空港に向かった。