[グヌン・ムル国立公園]

東マレーシアのサラワク州にあるムル山一帯の地域がグヌン・ムル国立公園として、隣のサバ州にあるキナバル自然公園と同時に2000年、マレーシアとして初めてユネスコの世界遺産に登録された。グヌン・ムル国立公園は、大小様々な洞窟があり、その中には300万羽と言われるコウモリが夕暮れと共に一斉に飛び立つことで有名な洞窟や、全長120kmとも言われる長さの洞窟などがある。2001年のSEANETコンベンションの帰路、海老原さんはこのグヌン・ムル国立公園に立ち寄ることにした。

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中央の洞窟が、300万羽のコウモリが住むと言われるディアゲイブ。

2001年11月11日、サバ州のコタキナバルで開催された第29回SEANETコンベンションが閉会すると、海老原さんを含む関西から参加した7名はその日の内に空路ムルに向かった。目的は世界遺産の観光と、現地からの無線運用であった。1999年に参加したブルネイでのSEANETコンベンションの時は、ブルネイからムルへの直行便が無かったことなどで時間的に訪問することができず、さらに2000年には現地が世界遺産に登録されたこともあって、改めて計画したものであった。

[免許申請]

東マレーシアからの運用に関する免許申請は、出発半年前の5月頃から始めたが、運悪く9月に発生した米国での同時多発テロの影響で免許の発給条件が厳しくなり、スムーズには行かなかった。その結果、取り次ぎをしてもらった9M8DBジョニーさんに何度も役所に足を運んでもらうことになった。

ジョニーさんからは、日本の無線局免許状と無線従事者免許証の英文証明、パスポートのコピー、それに現地の免許申請書を用意するように連絡を受け、海老原さんは、すでに9M8TGの免許を所持しているJH3GAH後藤さんを除く6名分の書類をそれぞれ2部ずつ用意した。というのは、当時の東マレーシアは郵便事情が良くなかったため、別々の2つの経路で送る方法をとったからだった。なお、海老原さんだけは米国の免許N3JJをベースに申請したため、日本の無線局免許状と無線従事者免許証の英文証明の代わりにN3JJの免許のコピーを提出した。

書類が揃うと海老原さんは、1通は郵便局の航空便、もう1通は運送業者の宅配便を使ってジョニーさんに送付した。航空便の方は書留でなく普通便にした。もし書留を使うと、悪意を持った者に、重要なものが入っていることが分かってしまい、郵便事情の悪いところでは盗難に遭う可能性が逆に高くなるためである。結果的には2通ともジョニーさんに到着したが、到着日に2週間も差があったと聞いた。

その後、出発日が迫ってきても、なかなか免許が下りないためやきもきしていると、出発直前になってジョニーさんからEメールで連絡があり、「書類は受理され免許発給はOKとなった。ただしまだコールサインが決まっていないため、ライセンスは現地でお渡しすることになります」、と書かれていた。とりあえずこれでムルから運用できる目処が立った。

連載第47回にも記載したように、海老原さんら7名は11月8日に日本を発ち9日から11日まで、コタキナバルで開催されたSEANETコンベンションに参加した。9日、コンベンション会場でジョニーさんとアイボールQSOした際に、海老原さんらに割り当てられるコールサインが判明した。ただし、書面はまだ到着していなかったため、ジョニーさんの自宅に届き次第、運用予定地であるムルのホテルに直送してくれることになった。

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SEANETコンベンションのガラディナーでのスナップ。

[9M8ARTが下りる]

コールサインは、おそらく「9M8/JA3ART」か「9M8/N3JJ」になるだろうと予想していたが、「9M8ART」とのことだった。その他のメンバーもそれぞれ、サラワク州のプリフィックスである9M8に、日本のコールサインのサフィックスを付けたものが発給された。ただし、日本のコールサインのサフィックスが2文字の、JA3AA島さんとJA3UB三好さんについては、各々のサフィックスの前にJ(JAPANの意味らしい)が入り、9M8JAAと9M8JUBになったと聞いた。

その他のメンバーのコールサインは、JA3AER荒川さんが9M8AER、JR3MVF三好さんが9M8MVF、JA4HCK馬場さんが9M8HCKだった。なお、海老原さんらが実際に書面のライセンスを手にしたのは、11日にSEANETコンベンションが終わり、サバ州のコタキナバルからサラワク州のミリの自宅に持ったジョニーさんが、到着していた免許状をムルのホテルまで郵送してくれたため、13日になった。

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受領したライセンスを手にして全員で記念撮影。

手にしたライセンスはA4サイズで、申請料69リンギッド(当時のレートで約2100円)の領収書も添付されていた。免許内容は、まず有効期間が2001年11月8日〜2002年2月7日までの3ヶ月。運用バンドは1.8MHz帯から250GHz帯のオールバンドで、出力はバンドによって異なり、1.8MHzを除くHF帯は400Wだった。サラワク州でもらった免許ではあるが、もちろん、サバ州や、西マレーシアからも運用ができる。

[無線機の持ち込み]

マレーシアに無線機を持ち込むには正規の輸入手続きが必要で、もし手続きなしで持ち込み、税関で見つかった場合は、帰国時まで税関に留め置かれるボンド扱いになるか、最悪の場合は没収になるという。そのため、海外運用目的で容易に持ち込むことができないが、幸いにも海老原さんらは、1999年のブルネイでのSEANETコンベンションの際に持ち込んだ100Wトランシーバーを、ジョニーさんに預けておいたため、その機械をコタキナバルのコンベンション会場まで持ってきてもらった。

コタキナバルとムルの往復は東マレーシアの国内線のため、無線機類の詳細な検査は無かったが、ムルでの運用と観光を終え、コタキナバルからクアラルンプールへの便での通関時のX線検査で、海老原さんが所持していた同軸ケーブル(3D2V)が引っ掛かり「これは何だ、何に使ったのか」などの質問があった。しかし、税関職員は地元でのSEANETコンベンションの開催を知っていた様子で、問題なく通関することができた。厳密にいうと、無線機本体はもちろん、パーツ類や付属品も認められないとのことだった。