[原住民の部落]

ムルでの3日目となる11月13日、前日のトレッキングの疲れが取れていないことと、無線運用の時間が十分ではなかったため、「今日はガイド料だけ支払って1日無線をやろう」という提案があった。しかしガイドのアレックスさんから「せっかく日本からやってきたのに止めることはない、今日も素晴らしいところなので、ぜひ行きましょう」と激励され、さらに、マネージャーの岡さんからも観光を勧められたため、この日も全員で出かけることにした。

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小舟に乗って移動する。

この日は小舟で30分程の上流にある原住民の部落に行き、民芸品の土産物を買ったり、原住民の人たちの生活様式を見学したりするという予定と、前日とは別の2つの洞窟探検の予定が組まれていた。海老原さんらは小舟に乗り込みまずは原住民であるブナン族の村を目指した。原住民の多くは、川沿いに建てられたロングハウスと呼ばれる高床式の長屋で生活していた。電気、ガス、水道などはもちろんなく、ブタやニワトリ、犬が放し飼いにされていて、まさしくジャングルの中の集落という印象だった。

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原住民のロングハウス。

それでも訪問したエリアは比較的近代化が進んでおり、学校や教会、病院が建っていた。病院のマークが赤十字ではなく赤い三日月印だったので、海老原さんは同行してくれた岡さんに理由を尋ねたところ、イスラム教の国では病院マークは赤十字ではなく、全て三日月印になっていて、その理由は、昔イスラム教が十字軍に迫害、弾圧されたことで、十字軍の旗印である赤十字を嫌ったためとの説明を受けた。

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現地の病院。

[さらに洞窟探検]

この日は、ウィンドケイブとクリアーウォーターケイブの2つの洞窟に入った。2つ目のクリアーウォーターケイブになると、さすがにメンバーの多くに疲れが見られ、洞窟の入り口にある休憩所でコーヒーを飲んだり、前の河で水浴びをするヨーロッパから来た観光客達を眺めたりして休憩した。JA4HCK馬場さんはアレックスさんと一緒に水浴びを楽しんだ。しかし、JH3GAH後藤さんと海老原さんの2人は最後まで歩き通したという。

アレックスさんが言っていたとおり、このクリアーウォーターケイブはそれまでと違って一気に300段の急勾配の階段があり、アップダウンのかなりきついハードな歩きになったが、見応えのある洞窟だった。観光用に作られたコースはまだまだごく一部であって、探検されていない部分が90%もあり、この洞窟の反対側へ出るのには120kmもあるが、そのルートはまだ確立されてないと聞いた。

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海老原さんとアレックスさん。クリアーウォーターケイブにて。

また、絶壁に群生する野生のランは世界でそこにしかない品種で、1株が15万円で取引されているため、危険をも顧みず、また捕まれば2年間の刑務所暮らしになるが、盗堀が後を絶たないと聞いた。また、少し前に日本のTVクルーがそのランの取材に来ていたとのことだったが、その番組の放映を海老原さんは日本で見ていたため、話がすんなりと通じた。

この日はムルでの最後の夜だったため、夕食には特別メニューの寄せ鍋をオーダーし、それまでの順調な旅と、以後の無事を祈ってワインで乾杯をした。夕食後は無線室に集まってこの日の運用を始めたところ、今回の旅行の準備から免許取得まで大変世話になった9M8DBジョニーさんと、たまたまうまく7MHzSSBで繋がったため、マイクを全員にまわして、順次お礼を言った。夕食時には「今夜は徹夜してでも無線をやろう」という声も上がったが、日中の観光の疲れが蓄積していたため、この晩はメンバー皆が自室に引き上げて行った。

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この地は北緯5度のため、衛星用アンテナはほぼ真上を向いている。

[最終日]

最終日の14日は、午前中に小舟を使った河川域を中心にした自然観察ツアーが予定されていたが、メンバーからは4名のみが参加し、JA3UB三好さんとJA3AER荒川さんの二人は疲労回復のためにホテルで待機することにした。一方、海老原さんは無線運用の目的のためにツアーには参加せず、ホテルに残って最後の運用を行った。午後からは、午前中のツアーから帰ってきたメンバーも加えて全員でアンテナの撤収作業を行い、ホテルを後にした。

ムル空港では、荷物の計量はあったものの、機内預けの荷物、機内持ち込みの荷物、そして搭乗者のセキュリティチェックは一切なかった。「搭乗機には操縦席と客室の間に隔壁がないのですが私達日本人6名の人柄を信用してくれたのでしょうか」と海老原さんは話す。なお、コタキナバルではなくミリに向かったJH3GAH後藤さんだけは、1時間早い便でムルを後にした。残りの6名は、16時35分発のビジョンエアーに搭乗してコタキナバルへ戻った。機体も操縦士も往路と同じクルーだった。

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ムル空港の管制塔。

コタキナバルからは、19時15分発のクアラルンプール行きに搭乗したが、この便は満席だった。クアラルンプール国際空港で3時間ほどの待ち時間があったので、海老原さんはJA4HCK馬場さんの買い物に同行し、途中、オープンテラスでコーヒーを飲んで時間をつぶした。その他の4名のメンバーは、19ドルでシャワーやソファーが使えて仮眠もでき、軽食やスナックが自由に摂れる店舗に入って時間をつぶした。

そして、クアラルンプール23時59分発のマレーシア航空に搭乗して関西空港に向かったが、この便は往路と同じく搭乗率が30%程度だったため、海老原さんは4人掛けシート1列を1人で占有し、6時間のフライトを横になってゆっくりと睡眠を取ることができた。関西空港には、定刻の11月15日日本時間朝7時に到着した。マレーシア滞在中は、ずっと30度を超える気温の中で過していたため、関西空港で飛行機から外に出た途端、寒さに震え上がったという。その日の朝の関西の気温は7度だった。

「コタキナバルでのSEANETコンベンションへの参加を機会に2年来の念願であったムルまで足を延ばし、めったに経験できない本格的熱帯雨林のジャングルトレッキングを楽しむことができました。風邪や疲労で体調を崩された方もおられましたが、大きなトラブルもなく楽しい8日間を過すことができました」と海老原さんは当時を思い出して話す。

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9M8ARTのQSO数。(他のメンバーの分は含まず)。