[スリランカ]

海老原さんは2001年から2006年の5年間で5回、スリランカから運用している。その目的として、アマチュア無線の実運用と、アマチュア無線を通じてのスリランカの人々、特に現地人ハムとの友好関係を築くことを挙げる。その他にも、世界文化遺産に指定されている多くの遺跡や名所旧跡を持つ、インド洋に浮かぶ楽園と言っても過言ではないような小国での観光を挙げる。

スリランカは正式な名称をスリランカ民主社会主義共和国と言い、1948年にイギリスからセイロンとして独立した。1972年には共和制に移行しスリランカ共和国に改称、1978年には議院内閣制から大統領制に移行し、現国名に改称した。スリランカは「光り輝く島」の意味であるが、いまだにセイロンの呼称も根強く残っている。首都は1984年までがコロンボ、1984年にスリー・ジャヤワルダナブラ・コーッテに遷都し現在に至っている。現地人は首都の名称があまりにも長いので、「コーッテ」と呼んでいるという。

スリランカの面積は北海道の80%位、人口は2000万人を少し超えたくらいで、少し前の統計だが、シンハラ人74%、タミール人18%、ムーア人7%、その他1%の民族構成となっており、使用言語はシンハラ語とタミール語、それに都市部や官公庁関係では英語も公用語として使われている。宗教は仏教が70%と圧倒的多数で、その他にヒンドゥー教15%、キリスト教が8%、イスラム教7%の構成となっている。

商用AC電源の電圧は230V〜240Vで周波数は50Hz。コンセントのプラグはだるま型であり、日本とは電圧もコンセント形状も異なるため、100V規格の日本の電気器具を使用するには、変圧器やコンセント変換プラグが必要となる。なお、各種単位はCGS(センチメートル、グラム、秒)系のため、違和感はないという。スリランカの標準時間はUTC+6時間なので、日本との時差は3時間である。

スリランカの主要産業は農業で、セイロン紅茶がもっとも有名である。その他に、スリランカは古くから宝石の島として知られ、特にルビーやサファイアなどの産出では世界的に有名である。スリランカ国内では1980年代より政府軍と反政府組織による内戦状態が続いていたが、2009年に政府軍によって鎮圧され、内戦が集結している。海老原さんが訪問した2001年〜2006年当時は、まだまだ内戦が続いている最中であり、必ずしも安全と言えない時期であった。

[アマチュア無線免許]

スリランカにおけるアマチュア無線免許について、海老原さんが初めて訪問した2001年当時、短期滞在の旅行者には原則、免許は付与されない事になっていた。そのため、その当時外国人が運用していたアマチュア局は長期滞在ビザを取得していた者に限られていた。ところが、幸運にも海老原さんらが申請した11局については、ビザ無しの短期渡航にも関わらず初めて正式免許が付与された。

スリランカ政府の免許発給担当者からは、「こんなに大量の免許を発給したのは初めての例だ」、とも言われたが、これによってその後、「短期滞在の旅行者でもスリランカの個人局免許を受けて無線運用を行う可能性がひらけ、大きな意義がありました」、と海老原さんは話す。実際に翌年の2回目以降の訪問時は、1回目の時の免許付与の条件が前例となり、短期滞在であっても、新規、再免許とも比較的簡単に取得できる様になった。

[1回目の渡航]

JA3HXJ長谷川さんを中心とする海老原さんらのグループは、スリランカから無線運用を行う計画を1997年頃から持っており、第1回目の渡航の具体的な日程も決まり実行する段階に入ったが、1998年1月25日、スリランカでは一番の聖地とされている釈迦の歯が祭られているというキャンディ市にある仏歯寺で、反政府組織による自爆テロ事件が発生するなど「内戦による政情不安定」や、それに伴うスリランカ国内への持ち込み荷物、特に無線機類などが厳しく制限された事もあって延期せざるを得なかった。その後も何度か計画が実行の段階まで進んだが、その都度、爆弾テロなどが発生して延期を余儀なくされていた。

この内戦は仏教徒であるシンハラ人とヒンドゥー教徒であるタミール人による、人種と宗教が入り混じった複雑な人民戦争であり宗教戦争であった。そのため、そう簡単に短期間で終結するとは思われず、内線によって毎年多くの貴重な文化遺跡や文化財産が消滅していたため、「日本国内を旅する様な安全は保障されないが、少々のリスクを負ってでもできるだけ早い機会にスリランカを訪問し、それらの貴重な文化財に接しておこう」と考えた。それに加えて、短期滞在でも無線免許の取得に一筋の可能性がでてきたことで、2001年6月に実行に移すことにし、6月7日出発6月14日帰国の1週間の旅程と決めた。

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現地での記念撮影。後列左から6人目はスリランカ観光大臣。

[参加メンバー]

参加したメンバーは、JA3ART海老原さん、JA3CHS&JH3FAR小永井さん夫妻、JA3DBD宮本さん、JA3HXJ&JG3FPN長谷川さん夫妻、JA3UJR中浴さん、JF3KKE出崎さん夫妻、JH3GXF安孫子さん、JH3IJY武市さん夫妻、JM3INF阪本さん、JQ3DUE池田さん、JR3QHQ田中さんの15名に決まった。

当初はJA3HXJ長谷川さんを代表とするクラブ局免許での運用を計画していたため、クラブ局1局の免許申請書を提出したが、出発2週間前になってスリランカのテレコムから、運用する個人個人で免許申請する様にとの連絡が入った。クラブ局形態の運用では運用者が特定できないというのが理由であった。そのため、15名の内、現地からの運用を希望するメンバー11名は急遽必要書類の準備を始めた。

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2001年の運用で発行した海老原さんのQSLカード。

[個人局の免許申請]

まずは、無線従事者免許証と無線局免許状の英文証明を近畿電気通信監理局(現在の近畿総合通信局)に申請した。その他に身分保証書となる無犯罪証明書が必要だったが、これは発行者である警察から、取得するのに2ヶ月かかると言われ時間的に無理なため、テレコムと交渉してJARLの会員証明書で代用可能な確約を取り、これらを個人局の免許申請書と一緒に全員分をまとめて現地に送付した。ただし、海老原さんはFCC発行のN3JJの免許をベースに申請したため、英文証明は不要だった。

書類はスリランカに送ってみたものの、テレコムとのコンタクトが思う様に取れず、全員に問題なく免許が発給されるのかどうかは全く判らなかった。幸いなことに現地のハムである4S7EAアーネストさんが元テレコムの職員であったことから、21MHzでQSOした際に、近々スリランカに行くことと、テレコムに免許を申請していることを伝え、免許発給状況の確認をお願いした。

すると翌日、JR3QHQ田中さんのところに1名だけは免許されていると、アーネストさんからEメールが入った。おそらく、当初から申請していたJA3HXJ長谷川さんの分であろうと予想でき、これで少なくとも1局は運用できると、少しは気分的に楽になった。しかし、出発直前のアーネストさんとのQSOでも、相変わらず「免許されているのは1局のみ」との情報しかもらえず、不安を抱えたままの出発となった。

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海老原さんらの活動は現地の新聞でも紹介された。前列中央は、有名なSF作家アーサーC.クラーク先生