[バスでホテルへ]

無事に入国後、地元旅行社のスタッフの案内で、海老原さんらは迎えのバスまで荷物を持って移動を始めた。すると、どこからともなく人がやってきて、勝手に荷物を運ぼうとする。最初は旅行社が手配したポーターかなとも思ったが、旅行社のスタッフから「相手にするな」とアドバイスがあったため、でこぼこでろくな照明もない道を、バスまで100mほどの距離を自分たちで運んだ。もし運んでもらっていたらチップを要求されるところだった。

その時、コロンボ国際空港の玄関口では、タクシーやバスの他、車は1台も見かけなかった。旅行者のための案内所もなかった。そのため、もし個人で入国してホテルへ行こうとしてもその手段がない様に思えた。国の玄関口である国際空港の出口がそんな状態であったため、海老原さんは、スリランカとはどんな国か逆に興味が湧いてきたと言う。ただし、両替所だけは、そんな時間にもかかわらず3〜4の窓口が開いていた。

そしてバスに乗車すると、旅行社のスタッフであるガイドのアリさんから「ようこそスリランカへ」日本語で挨拶があり、生花で作られたレイが参加者全員の首にかけられた。この日からの7日間アリさんのお世話になったが、アリさんの流暢な日本語には驚かされた。アリさんは日本へは一度も行ったことがないと話していたが、かなりマイナーな日本語でも理解し、発音も正確で素晴らしいガイドだった。また、アリさんはあらゆることに大変気を使ってくれ、滞在中大変お世話になった。

[ホテルに到着]

海老原さんらが乗車したバスは、青と赤のストライプの塗装で、運転席には「踏切一旦停止」、「泥はね注意」などの日本語がそのまま残っていたため、恐らく西武系列が使っていた中古車両ではないかと思った。コロンボ国際空港からコロンボ市内にあるホテルまではバスで約1時間の距離であった。コロンボ市内に到着したのは夜の22時前だったため、路上にはまだ多くの人々が夕涼みなどに繰り出しており賑やかだった。

ただ、スリランカでは車の運転に関して、急ブレーキ、急ハンドル、クラクションが大変多く、現地人の運転マナーに驚くことが度々あったという。これはその後4回の訪問でも同様であった。さらに、コロンボは道路の舗装状態が良くなく、バスの乗り心地は良いものではなかった。

コロンボ市内に入り、程なくして宿泊ホテル「タージサムドラホテル」に到着した。ここはエントランスホールの天井が高く、英国風の感じがする素晴らしいホテルだった。ロビーには生演奏が流れ、チェックインを済ますとウェルカムドリンクが運ばれてきた。海老原さんらが日本から来たゲストであることを知った女性演奏者は「スキヤキソング」を演奏し歓迎してくれた。すると次にはバースデーケーキが運ばれてきた。実はこの日はJA3CHS小長井さんの62歳の誕生日だった。皆で祝福した後、各々の部屋に向かった。

[朝食]

スリランカ滞在第1日目の6月8日、この日はテレコムへ免許をもらいに行く日であるが、免許が無事に発給されるかどうか一抹の不安があった。朝食はホテルのレストランで、ビュッフェスタイルだった。窓の外には芝生が張られ手入れの行き届いた庭があり、早朝から従業員が芝の手入れを行っていた。またホテルのプールでは早朝にも関わらず何人かの白人女性が泳いでおり、彼女らを眺めながらの朝食となった。

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タージサムドラホテル。ほぼ真上を向いたパラボラアンテナが見える。

プールの脇に設置されていた直径5mくらいのパラボラアンテナはほぼ真上を向いていたため、コロンボは赤道に近いことが感じ取れた。メイン料理はカレーだったが、このホテルでは外国人の利用者が多いため、カレー以外の普通のメニューも用意されており、事前に聞かされていたほどのカレー漬けではなかった。雰囲気としては5つ星クラスの感じだったと言う。

[テレコムへ出向く]

朝9時にテレコムへ出向いてライセンスを貰う約束になっているので、海老原さんらは朝食後、急いでチャーターしたバスに乗り込んだ。コロンボ市内の交通事情は悪く、渋滞に巻き込まれると長時間全く車が動かない。その上前述のように道路の舗装状態が悪く、場所によってはコロンボの市街地ですら未舗装の道もあった。海老原さんらのバスはエアコンが付いていたのでまだましだったが、公共交通機関の列車やバスには冷房はほとんど付いていなかった。

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公共交通機関のバスには冷房が付いていない。

テレコムまではホテルから15分で行ける距離だったが、渋滞を考慮し、余裕をみて45分前の8時15分にホテルを出発したが、テレコムに到着したのは8時50分になってしまった。あいにくテレコムの前の道路が工事中でバスが横付けできなかったため、道路を挟んだ反対側に駐車してもらい、徒歩での道路横断を試みたが、大げさに言えば命懸けの横断であった。その道路は大渋滞で、車と車の間隔はひと1人通れないほど接近して停車しており、やっと間隔を見つけて横断しようとしても、今度はバイクや三輪車が間隔を縫って走行してくる状況だった。

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庶民の足、三輪タクシー。

そのため、車いすのJQ3DUE池田さんは危険なのでバスで待機し、免許受領の際に必要だった本人のサインは、女性のJM3INF坂本さんが書類を持ってテレコムとバスの間を往復してくれた。危険な道路横断の際、男性より女性の方が車を止めてくれる確率がまだ高いため、坂本さんが引き受けてくれたのであった。

[テレコムビル]

テレコムの入口には、回転式のパイプのゲートがあり、1人ずつしかビルに入れないようになっていた。このゲートを通過すると銃を携帯した警備兵が5〜6名常駐しており、すべての荷物を完全に開けられて中身をチェックされた。ビデオカメラの蓋や女性の化粧コンパクトの蓋、さらに化粧品ポーチまで開けられる厳しいチェックであった。女性にはもちろん女性の警備兵が対応していた。

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高いフェンスで囲まれたテレコムビル。

厳しくチェックするのは、テレコムが反政府組織の攻撃目標になっていたからで、それまでにも何度も攻撃を受けていたと聞いた。また、テレコムに向かう途中の道路の要所要所にも監視所があり、銃を携帯した兵士が警戒をしていた。海老原さんが、この様子を写真に撮ろうとしたところ、ガイドのアリさんから「兵士にはカメラを向けないで下さい」と注意された。もし無断撮影が発覚すると、そのバスに乗っている全員のカメラが没収となるとのことだった。従って海老原さんが撮影した写真で、兵士が写っている写真は、全てノーファインダーで撮ったものである。

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ノーファインダーで撮影した監視所。

ぎりぎりになってしまったが、約束時間の9時ちょうどにテレコムの免許発行セクションに出向くことができた。まずはグループの代表としてJA3HXJ長谷川さんが免許を受け取りに免許発給担当者のいる部屋に入っていった。他のメンバーは部屋の外で待機し、申請した全員分の免許を持って長谷川さんが出てくることを期待したが、30分後に部屋から出てきた長谷川さんからは、「免許申請書は各人の身分保障を得るために観光局にいっている、これから担当者が観光局まで書類を取りにいくのでしばらく待って欲しいとのことだった」と説明があった。しかし、これで全員の免許が下りることは分かったため、安心して待つことができた。