[幸運]

免許発給まで1時間ほどテレコムで待つことになったが、これが海老原さん達にとって幸運な結果となった。この待ち時間に、免許発給担当者と雑談をすることができ、担当者からは「今回の申請に限り、特別に希望のコールサインを発給しましょう」という、願ってもない話が出てきた。それを聞いたメンバー全員は、自分用のコールサインを熟考したという。

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免許発給担当のラマニエ女史。

スリランカのアマチュア無線用コールサインで、外国からの申請者に与えられるジェネラル級のプリフィックスは4S7と決まっており、さらにサフィックスは3文字で、3文字目のテールレターにはゲストのGを付けることになっていた。そのため、コールサインは4S7※※Gという構成となり、実質的に希望できるのはサフィックスの1文字目のトップレターと、2文字目のミドルレターの2文字であった。

通例であれば名前のイニシャル2文字+Gの構成で発給され、海老原さんだったら「4S7KE(Kazuo Ebihara)G」になるところだが、好きなレターを希望できると言うこともあり、多くのメンバーは、名前のイニシャルではなく日本のコールサインのトップレターとミドルレターの組み合わせを希望した。

[4S7GGGを取得]

海老原さんは、日本のコールサインや名前のイニシャルにはこだわらず、一旦4S7DXGを考えたが、テールレターのGを活かして、4S7GGGのトリプルレターの組み合わせを希望した。また免許を申請したメンバーの中では唯一のYL局であったJM3INF阪本さんは、4S7YLGを希望したが、これはすでに発給済みであったため希望が叶わず、4S7YJGにした。

11時頃には免許を受け取れると考えていたが、国柄からか、これが昼休みにずれ込んでしまったため、一行は一旦昼食のために外出して、14時頃に戻ってくることにした。昼食は、再度バスに乗って、あらかじめ予約していた中華レストランの「金城(KINJOU)」に行って摂った。昼食を終えるとバスでテレコムに戻ったが、ビルに入る際には午前中と同じ厳しいセキュリティチェックを受けた。

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海老原さんに発給された4S7GGGの免許。(※クリックすると画像が拡大します)

[免許交付]

ついに免許を交付される時間となり、申請者11名が一人ずつ発給担当者であるラマニエ女史に呼ばれて、写真を照合され、書類にサインをしてようやく免許を受け取ることができた。ここでも予想外に時間がかかり、全員に免許が交付され終わったのは15時であった。交付に時間がかかった原因の一つとして、身分証明の書類が観光局で滞留していたことがあるが、もう一つの原因として、運用場所を「コロンボ市内」からギリタレ地方の「ディアパークホテル」に変更したことがあった。

スリランカでは、短波帯での移動運用が認められていないため、運用地の変更はその地域での反政府組織の活動状況の調査などが必要となり、簡単ではない様子だった。それを今回は特別に1日で対応したくれたのであった。その他にも自由なコールサインを選ばせてもらえるなど、現地人ハムが聞けば驚く様な色々な便宜をテレコムが図ってくれた。

[スリランカのアマチュア無線免許事情]

2001年当時のスリランカでのアマチュア無線ライセンス所有者は316人で、そのうち局を開設している者は約200人いたが、その大半はノビス級だという。スリランカにはノビス級とジェネラル級があり、外国人申請者にはたとえ日本の4アマであっても、ジェネラル級の免許が与えられることになっていた。担当者の話では、海老原さんらの11名を含めて、過去151人の外国人に免許が発給されたとのことだった。

もちろん、今回が短期滞在の旅行者に免許が発給された初めての例となり、「その意味で、以後観光などでスリランカを訪れる人にも免許が与えられる可能性を残したことは、特筆に値することだった思います」と海老原さんは話す。

ちなみに、ノビス級は、V/UHF帯のみの50W免許で、4S6のプリフィックスが割り当てられ、申請料は50スリランカルピー(当時のレートで約90円)だった。ジェネラル級は、アマチュア無線に許可されているすべての周波数と電波型式の500W免許で、申請料は70スリランカルピー(同約126円)だった。これにプラスして12%の税がかかった。その他、外国人への免許期間は滞在期間に限定された。

[運用地のギリタレへ向かう]

当初のスケジュールは、朝10時までに免許を受け取って早めの昼食を摂り、12時にコロンボを出発して17時頃に150km離れた、運用予定地であるギリタレの「ディアパークホテル」に到着する予定だった。ところが、テレコムで免許を受領するのに予想外に時間がかかってしまったため、結局ホテルにチェックインできたのは、夜の21時を過ぎていた。

そんな遅い時間の到着にも関わらず、レストランのスタッフがスタンバイしていて、ウェルカムドリンクで出迎えてくれた。このホテルは、ゲストがエントランスを入る際に一人一人がキャンドルに灯りをともすという変わった風習があった。またこのホテルは広い敷地に独立したコテージの客室を配備しているため、隣室に気兼ねする必要がなく、24時間体制で存分に運用が行えた。

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ディアパークホテルの客室。

その日ホテルに到着したのは夜間だったため、周囲の地形が全く判らなかったが、コンパスで日本の方向を確認し、どのコテージを無線室にするかを検討した結果、1つのコテージで2つの客室があり、海老原さんとJA3DBD宮本さんに割り当てられたコテージがベストと言うことになり、客室の仕切りになっているパーテーションを取り去って片方の部屋を無線室、もう片方の部屋を2人のベッドルームにした。無線室の方にもツインベッドが置かれていたので、オペレーターは無線に疲れたらその場で仮眠することもできた。

[運用スタート]

すでに22時を過ぎていたが、とりあえず電波を出そうと言うことになり、懐中電灯を頼りにロングワイヤーアンテナを張って、手動のアンテナチューナーで同調を試みたが、アンテナとのマッチングが悪く、100W機なのに10Wくらいしか電波が輻射されなかった。そのため、金属製の手すりやエアコン室外機のアース端子に接地するなど、色々と解決策を試み何とか40W程度の出力が出る様になった。

この時点で、すでに深夜0時になっていたが、最後まで残って奮闘したJQ3DUE(4S7DUG)池田さん、JA3UJR(4S7UJG)中浴さん、JA3DBD(4S7DBG)宮本さんと4S7GGG海老原さんが交代で運用した。しかし、呼んでくるのはヨーロッパの局ばかりで信号も弱く、旅の疲れもあったため、明朝5時に集合して正規のアンテナ設置を行うことを決め、午前2時にQRTし、それぞれのコテージに引き揚げて行った。

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4S7GGGを運用中の海老原さん。奥は4S7DUG池田さん。