[バーチカルと八木を設置]

スリランカ滞在2日目の6月9日、この日は朝5時集合の約束であったが、さすがに前夜の作業で疲れていたメンバーが多く、時間どおり集まったのはJA3UJR中浴さん、JQ3DUE池田さんと、海老原さんの3人であった。まずは付近の地形を確認して、クッシュクラフト製のマルチバンドバーチカル「R-8J」の設置場所を決めることにした。

夜が明けると、このホテル自体が小高い丘のゆるやかな斜面に建っていることがわかった。 前の晩ホテルに到着したとき、海老原さんが池田さんの車いすを押していて、斜面があることは感じていたが、まさかホテル全体が丘の斜面に建っているとは想像できなかったという。不運なことに、斜面の高くなっている方向がちょうど日本の方向であった。従って日本と交信するには最悪の条件だった。

逆に、斜面が下っている方向には道路を挟んで大きな湖があり、この方向がヨーロッパなので、アンテナ悪条件下での昨晩のQSO相手がヨーロッパばかりだったことがうなずけた。辺りを見渡したが、どこにアンテナを建ててもあまり条件は変わらないため、無線室からできるだけ近いところに設置することにした。バーチカルは、日本を出発する前に池田さんが仮組みして、マーキングをしておいてくれたおかげで、スムーズに組み立てることができた。ただし、7〜24MHzは問題なかったが、28MHzと50MHzだけはどうしてもSWRが下がらず、この2バンドでの使用はあきらめた。

photo

バーチカルアンテナを設置中の様子。

バーチカルの組み立てを始めた6時半頃から他のメンバーも集まり始め、次にF9FT製50MHz用5エレ八木を組み立てたが、このアンテナは組み立が簡単にできる様に改良されており、難なく組み立てが完了し、地上高5mへ上げた。この時点でまだ7&21MHz用の2線式ワイヤーダイポールが残っていたが、8時近くなっていたので一旦レストランで朝食を摂ることにした。

photo

50MHz用5エレ八木アンテナ。

[ダイポールを設置]

朝食後は観光組と無線組に分かれたが、無線組としてホテルに残ったのは池田さん、中浴さん、海老原さんに、JR3QHQ(4S7QHG)田中さんを加えた4人のみであった。この4人で残っていたワイヤーダイポールを上げた。このアンテナは、7/21MHz用の2線式だったが、18MHzも追加しようということになり、一旦下ろし、急遽18MHz用のエレメントを作って追加し、7/18/21MHz対応の3線式ダイポールとした。

エレメント追加の加工やアンテナの調整には、海老原さんが持参したガス式の半田ごてとアンテナアナライザーが活躍した。「電源の確保が難しい屋外でのアンテナ加工作業にはこのガス式半田ごては必需品です」と海老原さんは話す。後から追加した18MHz用エレメントは予想以上に良く飛び、その後の運用で大活躍することとなった。

この時点でアンテナは7〜24MHz用バーチカル、50MHz5エレ八木、7/18/21MHz用ダイポールの3基が揃い、トランシ-バーはIC-746とIC-706MK2の2セットによる2波同時運用が可能となった。なお、HFがオープンしていない時間にはオートマチックキーヤーで50MHzのビーコンを出し続けたが、最終的に50MHzでのQSOは残念ながらゼロだった。

夕方、観光組が戻ってくるまで4人が交代で運用したが、ホテルのロケーションの影響もあって、ヨーロッパとのQSOが圧倒的に多くなった。夕食後は観光組も加わって無線室と隣のベッドルームに集まって、アルコールも適当に入り、運用したり、おしゃべりしたりしてにぎやかなミーティングが深夜まで続いた。

[シーギリア観光]

滞在3日目になる6月10日は、海老原さんがスリランカで一番行きたかった観光スポットである「シーギリアロック」と、鮮やかな色彩がそのまま保存されている壁画「シーギリアレディ」への行程が組まれていたため、日本を出発する時からこの日は無線をせずに観光に行こうと決めていた。そのため、無線組の中浴さん、田中さん、池田さんの3人に運用を任せて、観光組に参加した。

photo

シーギリアロック。海老原さんらは頂上まで登った。

海老原さんが、ディアパークホテルから外へ出たのはこの日が初めてだったが、シーギリアロックへ向かう途中、ホテルから1kmくらいのところにスリランカ政府軍の通信基地があることがわかった。コロンボにあるテレコムでは、海老原さん達の運用拠点と軍の通信施設が近いことは把握していたはずで、「このホテルへの運用地点の変更をよく認めてくれたと驚きました」、「ひょっとすると、私達のQSOの様子は全部モニターされていたのかもしれません」と笑って話す。夕方、ホテルに戻って無線組の3人にその日の調子を尋ねたところ、日中は全くコンディションが悪く、QSO数はほとんど伸びていない状況だった。

photo

シーギリアレディ。

[キャンディ市へ移動]

スリランカ滞在4日目の6月11日、この日は朝まで運用し、撤収後に全員でキャンディ市に向かう予定であった。前述のようにスリランカではHF帯での移動運用が認められていないため、運用が行えるのは、申請書に書いておいたこのギリタレのディアパークホテルからだけで、以後の滞在中に運用することはできないため、朝からアンテナを撤収して、無線機器類は完全な梱包を行った。

チェックアウト後は、全員でバスに乗り、途中ボロンナルワの仏教遺跡、野生の象、仏歯寺などを観光して、この日は、キャンディ市の「マハベリリーチホテル」にチェックインした。このホテルはキャンディ市のダウンタウンにあったため、夕食後は市内散策に繰り出した。キャンディ市は政府公認の宝石店がたくさんあり、スリランカは世界の主要ルビー産地のひとつであることから、ルビーを取り扱う店が多かった。

photo

釈迦の歯が入っているとされる仏歯寺にある壺。

スリランカ滞在第5日目の6月12日は、内戦で敷設された地雷などに触れて負傷した野生の象を保護し、治療などの活動を行っている施設を訪問した。野生の象ではあるが、保護され飼育されているため、人間に慣れており、観光客を背中に載せてくれた。施設の活動の趣旨に同意した観光客が寄付を行うことで、経営が成り立っているとのことだった。キャンディ市の滞在はこの日までで、午後はコロンボに向かった。

photo

野生の象の保護施設にて。

[アーサー C. クラーク先生宅訪問]

スリランカ滞在6日目の6月13日は、小説「2001年宇宙の旅」の著者で、有名なSF作家アーサー C. クラーク先生の自宅を訪問し、英国からスリランカへ移住された経緯や、執筆活動などについて色々と話しを聞いた。もちろん先だってアポは取ってあって旅程に組み込まれていたため、海老原さんは、現地スリランカで英語版の「2001年宇宙の旅」を購入して持参し、サインをお願いしたところ気さくに応じてくれたという。

photo

アーサー C. クラーク先生と海老原さん。

先生との話しの中で、英国在住時にはアマチュア無線をやっていたことを聞き、実際に先生の書斎にはオールバンドの受信機が置かれていた。この時の様子は現地の新聞で報道された。この日は滞在最終日だったが、コロンボ発のフライトが23時40発だったため、先生の自宅を出た後、今回の免許取得に関し、テレコムとの連絡などで大変世話になった4S7EAアーネストさんを日本食レストラン「SAKURA」に招待し、しばしのアイボールQSOを楽しんだ。アーネストさんはたまたま海老原さんと同じ1940年生まれ、さらに無線歴もほぼ同じだったため、話しが弾んだ。

photo

4S7EAアーネストさんと海老原さん。

最後に、海老原さんのグループが持参した無線機やアンテナをはじめマスト、同軸ケーブル、さらに小物の電鍵やヘッドフォーンに至るまでアーネストさんに渡して、次回のスリランカ訪問時まで保管してもらうことを依頼した。アーネストさんは快く引き受けてくれ、これによって、以後は入国通関時にトラブルになりやすい無線機材を持ち込まなくてもよい条件を作ることができた。

[運用を終えて]

今回のスリランカからの運用は、短期間の運用かつ100W出力とバーチカルやワイヤーダイポールというシンプルなアンテナにも関わらず、総計1780QSOを達成し、満足のいく結果となった。それ以上に、前例のなかったノンビザ渡航での短期滞在者にアマチュア無線の免許を発給してもらうことができ、以後の運用につなげることができたことの意義が大きかった。

今回は初めてのスリランカ訪問だったことで、状況がよく判らずに準備で不備などが若干あったため、次回以降は今回の経験を踏まえて、1ヶ所での滞在日数をもう少し長くし、無線運用中心のスリランカ行きを計画することとした。

ただ、残念なことに帰国後1ヶ月少々が経過した7月24日、コロンボ国際空港で反政府勢力による大規模な自爆テロが発生して多数の死傷者が出た。また空港施設も破壊され、軍用機やスリランカ航空のA-340型機も多数が破壊された。この事件がきっけとなり大統領が議会機能停止を宣言して政治も混乱に陥ってしまった。「もし政府首脳陣が交代するなどの事態にでもなれば、取り付けた色々な約束が全て白紙に戻ってしまう可能性もあったため、政情安定化を切に願ったものです」と海老原さんは話す。

photo

4S7GGGのQSO数。