JA3ART 海老原 和夫氏
No.58 4S7GGG(6)
[2回目のスリランカ]
2001年6月の初めてのスリランカからの運用では、免許取得に関して色々な苦労があったものの、ノンビザでの短期滞在にも関わらず無事に免許が取得でき、最終的には希望するサフィックスのコールサインが割り当てられて、楽しく運用を行うことができた。それでも、無線機やアンテナ設備には少々不満があり、帰国後一部のメンバーから、次回は万全を期して再挑戦しようという話が出てきた。
そんな中、翌年2002年秋に2回目の運用を行うべく計画し、再度JA3HXJ長谷川さんが中心となって準備を始めた。好材料として、あらかじめスリランカとの友好親善を目的とした在スリランカ日本国大使館の後援事業として認定される様に申請したところ、幸運にも外務省東南アジア課から決済が得られ、当時の大塚特命全権大使から全面的なバックアップの約束を取り付けることができた。この様な状況下で、2回目の訪スリランカは2002年9月19日から9月26日までと決まった。
さらにスリランカの観光大臣や官房長官の協力が得られたため、スリランカテレコムのネットワークも良好に作用し、前回世話になったテレコムの免許発給責任者ソマシリ氏も積極的に協力してくれた。そのため前回に免許を取得したメンバーの再免許申請に加え、今回が初参加になるメンバーの新規免許申請も早期に受理された。申請様式や必要書類などは前回経験しているため何ら問題はなかった。
海老原さん達の運用を視察する観光大臣(左)。オペレーターはJE3RZT野添さん。
[参加メンバー]
今回は、無線設備を充実させるため、現地に持ち込む機材が多くなった。そのため、それら機材の運搬を一部手伝ってもらう事を目的として、無線運用を行わない観光目的のみのメンバーも広く募集した。その結果、最終的に31人ものメンバーで渡航することが決まった。実際には現地での運用を行わなかったメンバーも含めて、31人の内22人がライセンスの申請を行った。
参加者全員でのスナップ。(※クリックすると画像が拡大します)
割り当てられたコールサインは、前回取得したメンバーについては、前回割り当てられたコールサインが再度割り当てられ、前回取得した免許状に別紙として新たな有効期限が書き加えられた。今回新規に申請したメンバーについては、ほとんどのメンバーが希望するコールサインを取得することができた。しかし、希望のコールサインがすでに発給済みだった一部のメンバーだけは第二希望の割り当てになった。
現地コール(日本のコール)=4S7LSG(JH3LSS)、4S7OCG(JR3OCS)、4S7RZG(JE3RZT)、4S7ARG(JA3ARJ)、4S7FDG(JA5FDI)、4S7GTG(JA5GSG)、4S7VEG(JH3VEJ)、4S7AQG(7J3AOZ)、4S7QIG(JN4QIN)、4S7JKG(JG3JKG)、4S7GLG(JA3GLU)、4S7MEG(7K1MAG)、4S7GXG(JH3GXF)、4S7GGG(JA3ART)、4S7YHG(JA3HXJ)、4S7CHG(JA3CHQ)、4S7FAG(JH3FAR)、4S7DBG(JA3DBD)、4S7UJG(JA3UJR)、4S7YJG(JM3INF)、4S7QHG(JR3QHQ)、4S7IJG(JH3IJY)
[使用した設備]
まずトランシーバーについては、前回スリランカに持ち込み、運用終了後から4S7EAアーネストさんに預かってもらっていたIC-746に加え、2台のIC-706MK2とさらに1台を新たに持ち込み4台体制とした。それに加えて、今回は500W出力の小型リニアアンプを2台追加し、4台の内2台はハイパワー運用ができるようにした。
アンテナについては、現地で預かってもらっていた、マルチバンドのバーチカル、50MHz5エレメント八木、3バンドワイヤーダイポールの3基に加え、14/21/28MHz用の2エレメントHB9CVを新たに持ち込み合計4基とした。同軸ケーブルも新たに50m持ち込んだ。また、アンテナが上手く調整できなかった場合に備えて、手動式のアンテナチューナーも2台追加した。なお、ログに使うパソコンなどは、オペレーター各自の判断で、必要なメンバーのみが持ち込んだ。
アンテナ組み立ては共同作業。カルチャークラブリゾートにて。
[出発]
海老原さんら31名は、9月19日朝6時45分に伊丹空港に集合し、前回と同じ8時00分発の成田行きに搭乗した。成田空港には、定刻の9時10分に到着した。次に乗るのは前回と同じ約4時間後の13時20分発コロンボ行きのスリランカ航空機だったが、前回はコロンボへの直行便だったところ、出発日の関係で、今回はモルジブのマーレ経由のコロンボ行きだった。
マーレ空港には現地時間19時に到着し、1時間の待ち時間で20時にマーレを離陸し、ほぼ定刻の22時25分、コロンボ国際空港に到着した。マーレ空港では、「ここで降りたらモルジブからも運用できるね」という話が出て、これが4年後の2006年のモルジブからの運用計画に繋がることになる。コロンボに到着し通関後、一行はバスに乗車して、シーギリア近郊のカルチャークラブリゾートに直行した。
バスは朝5時頃カルチャークラブリゾートに到着し、時間も時間だったため、まずは各自の部屋に入って仮眠を行った。海老原さんらはこの日から3連泊し、このホテルで無線運用を行うことになる。20日は仮眠後昼の12時に集合とし、昼食後にミーティングを行って無線組と観光組に分かれた。海老原さんは、無線組としてホテルに残り、アンテナ設営とシャック作りを行った。このホテルは、山の中にあって湖の畔のきれいなホテルだった。
[無線運用]
無線運用は20日の夕刻から22日まで行った。日中はホテルに居残った無線組だけで運用を行い、夜間は日中の観光から帰ってきた観光組の中からも運用希望者がいるため、適時交代して運用を行った。また、今回はSSB、CWに加えて、パソコンを使ったRTTYやSSTVの運用も行った。海老原さんは一番得意なCWモードの運用に徹したという。
4S7GGGで運用中の海老原さん。
3日間の運用の後、22日にアンテナを撤収し無線機器を梱包して、翌23日は朝から全員でヌワラエリア市に移動した。このヌワラエリアは紅茶の生産地で、高地にあるため高級紅茶の茶葉が取れることで世界的に有名な町である。またお茶つながりで、京都の宇治市と姉妹都市になっている。ヌワラエリアに到着すると市庁舎に大きな歓迎の幕が用意されており、すぐに歓迎会が始まった。
ヌワラエリア市庁舎に掲げられた歓迎の幕。
海老原さんは宇治市の住民ではなかったが、宇治市も含む京都府の住民と言うことで、急遽、英語による挨拶を頼まれた。そのため、海老原さんは宇治市民のような顔をして、「姉妹都市の宇治市民の代表として一言ご挨拶申し上げます」と始めた。挨拶が終わると新聞記者の取材まで受けたという。この日の晩は、市長主催の晩餐会が開催されたが、海老原さんは胸痛のために残念ながら参加できなかった。
海老原さんら一行を歓迎する市長。(中央)
[ヌワラエリアでの運用]
ヌワラエリアではグランドホテルに宿泊し、ここでもアンテナを設置して一晩のみの運用を行った。アンテナは2エレメントのトライバンドHB9CVを設置したところ、隣接した部屋に宿泊していた客からTVIのクレームが入ってしまった。そのため、アンテナの設置場所を建物の反対側に移動して解決した。ヌワラエリアは1000mを超える高地のため、ホテルには冷房が無く、逆に暖炉が用意されていた。
ヌワラエリアの紅茶畑でのスナップ。
スリランカでは、HFでの移動運用が認められていないため、2001年の前回は1拠点でしか運用できなかったが、今回は、事前に複数の運用地を申請しておくことで、複数拠点での運用が可能になっていた。翌24日はヌワラエリアを後にし、スリランカ最南端のベントタに向かった。ベントタでは、アップグレードされたタージエグゾティカホテルに宿泊し、その日の晩は、免許発給でお世話になったテレコムのソマシリさんを招待して、パーティを開催した。海老原さんら無線組は3拠点目となるこのホテルでも一晩だけ運用を行った。
ベントタで宿泊したホテルとアンテナ。
最終日の25日はベントタを出発し、日中コロンボの市内観光やショッピングを行った後、夕刻コロンボ国際空港に移動して、20時45分発のマーレ経由成田行きに搭乗し翌26日に帰国した。
4S7GGGのQSO結果。