[3回目のスリランカ]

2001年、2002年と2年連続してスリランカから運用した海老原さんだったが、それと前後してパラオからT88JJを運用したり、さらにはSEANETコンベンションに参加し9M6SEAを運用したりして忙しく過ごしていた。そんな中、2003年9月に、再度スリランカから運用する話が届き、海老原さんはすぐに参加を決めた。

過去2回のスリランカからの運用では、元テレコムの職員でスリランカアマチュア無線連盟(Radio Society of Sri Lanka、略称RSSL)の主要メンバーの一人である4S7EAアーネストさんが個人的にいろいろ協力くれたが、連盟であるRSSLに対しては、海老原さんらスリランカ訪問団が大人数で無線運用する旨の正式な連絡を行っていなかった。これを大変な非礼であったと反省し、3回目はRSSLとのジョイントによる運用を申し入れた。

RSSLからは組織として、海老原さんら訪問団のスリランカからの運用を歓迎するとの意思表示があり、日程を9月12日から20日までの9日間と決め、現地滞在最終日の9月19日にRSSL会長の4S7VKビクターさん、4S7EAアーネストさん、4S7KEクザルさんらの主要メンバーを招待したパーティを開催することにした。また今回も観光のみのメンバーも募集したため、合計32人の大所帯で訪問することに決まった。そのうち初参加は10人だった。

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参加者全員でのスナップ。(※クリックすると画像が拡大します)

この2003年は、感染症のSARS(重症急性呼吸器症候群)が中国を中心に大流行したため、不用不急の旅行は避ける様にとの厚生省からのコメントが出ており、慎重な対応が求められていた。その影響で海外旅行者が激減している状況にあり、フライトの確保は容易だったものの、参加メンバーは各々機内にまでアルコール綿を持ち込んだり、スリランカ国内の滞在先でも常に除菌剤での対策を行ったりして対応した。

[大量の機材]

3回目の今回はさらに機材を充実し、トランシーバーは新規に購入したIC-7400と現地預けの分も含めて合計5台。リニアアンプも新規に購入したIC-PW1を含めて2台。アンテナに至ってはオールバンドに対応できるよう6基分を用意した。持ち込み荷物が多くなったため、手荷物の重量超過による追加運賃が心配されたが、参加者が多かったため幸いにも重量制限内で納まった。

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膨大な数の機内預け荷物。後方にはアンテナなど長尺物の梱包も見える。

ライセンスについては、32人のメンバーの内、26人が再免許あるいは新規申請を行い申請者全員に問題なく免許が発給された。ただし、今回から申請料金が大幅に値上げされており、日本円にして新規申請が約5000円、再免許申請が約3000円かかった。免許を受けた26人の内、実際には20人が現地から運用を行った。

[出発]

今回は、関西空港から出発できるタイ航空によるバンコク乗り換えの便を初めて使った。一行は9月12日朝9時30分に関西空港の北ウイングに集合し、11時45分発のバンコク行きに搭乗した。バンコクでは約6時間の待ち時間があったが、その日のうちコロンボ国際空港に到着できた。この日はコロンボ市内のヒルトンホテルで宿泊し、翌13日はポロンナルワでの観光を行った後、初めの運用であるシーギリアに向けて出発した。

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シーギリアビレッジでのアンテナ組み立ての様子。

13日はシーギリアビレッジで宿泊し、その晩から今回の運用をスタートしたが、ここでの運用は一晩のみの予定だったため、暫定的な運用となった。14日朝にはチェックアウトし、シーギリアロックなどの観光を行った後、キャンディ市に移動しメイン運用地であるホテルトパーズにチェックインした。ホテルトパーズでは3日間の運用予定だったため、シャックのセッティングとアンテナの本格設営を始めた。

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トパーズホテルに建てた2基のビームアンテナ。ローバンド用のワイヤーアンテナは別の箇所に設置。

このホテルは、小高い丘の上に建っていてロケーションは最高であった。さらに敷地にも余裕があってアンテナの設置スペースも十分にあったが、問題が発生した。なんとシャックの構築中にホテル側から部屋の変更を要求されたのであった。結婚式が入っているとの理由だったが、JA3HXJ長谷川さんとJR3QHQ田中さんが半年前に下見まで行って確保していた部屋だったため、急な話に皆激怒した。それでも最終的には折れざるを得ず、部屋の変更を余儀なくされてしまった。

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小高い丘の上にあるトパーズホテル。ロケーションは抜群。

[本格運用]

代替の部屋で気を取り直してセッティングを行い、この14日の晩からキャンディでの運用をスタートした。無線機5台、リニアアンプ2台、アンテナ6基という本格DXペディション並の機材を持ち込んだため、運用は順調に進んだ。ただ、毎日早朝5時頃になると嫌なノイズが必ず発生したため調査してみたところ、朝食用のパンを焼いているオーブンから出ているノイズの様であった。

他のメンバー同様に、海老原さんも順調にQSOを重ねていったが、このキャンディからの運用中に、日本から応答のあったJA3UB三好さん、JA7SSB斎藤さん、JA3KWZ黒塚さんの3人から、海老原さんの恩師であるJA3AJ小川さんがサイレントキーになったという連絡を受け取った。

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トパーズホテルで運用中の海老原さん。

実は、スリランカに出発する2日前、医師であるJA3ASU狭山さんとともに京都大学付属病院に入院していた小川さんをお見舞いに行き、「明後日からスリランカに行ってきます」と伝えたところ、小川さんから「気を付けて行きや」と返事をもらい、病院からの帰路には狭山さんから、「病状は安定している様なので心配しないで行ってきてください」と言われ、安心して出発した矢先のできごとであった。スリランカにいたため告別式にも参列できなかったが、海老原さんは帰国したその足で「ご仏前にお参りさせていただきました」と話す。

このキャンディのトパーズホテル滞在中、海老原さんは観光には出かけず、無線三昧の3日間を過ごした。16日の夜まで運用した後に機材を撤収し、17日朝にホテルをチェックアウトした。この日は約180km離れたスリランカ最南端近くのゴール市に移動し、日中はゴール市内の観光を行って、ライトハウスインにチェックインした。このホテルはインド洋に面したきれいなホテルで、ここでも2連泊して運用を行った。

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ゴール市にあるムーン要塞でのスナップ。

[RSSLとのパーティ]

スリランカ滞在最終日の19日は、ライトハウスインをチェックアウトして、コロンボに向かった。そして夕刻、コロンボのギャレフェイスホテルに、RSSLの4S7VKビクターさん、4S7EAアーネストさん、4S7KEクザルさん、さらにはホテルの手配などで世話になっていた現地旅行社の社長を招待し、今回の渡航の主目的の一つだったRSSLとの交流パーティを開催し、スリランカでの最後を締めくくった。

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左から4S7KE、4S7VK、4S7EA、JH3GXF。

一行は、翌日未明の1時40分コロンボ発のタイ航空の便に搭乗し、バンコク経由で帰国した。

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4S7GGGのQSO結果。