[V63HH]

滞在4日目の昼食後は教会、救急病院、スーパーマーケット、ホームセンター、百貨店、映画館、ガソリンスタンド、郵便局などがあるコロニア地区の中心街を歩き、V63HHハーマンハーマン(本名)さんが勤務する工具屋の「ACEハードウェアショップ」を訪れてアイボールQSOを行った。その際、彼の趣味である旧日本軍の戦車、銃、ライフル装弾、大砲の弾、鉄カブトや水筒など装備品のコレクションを見せてくれた。

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ハーマンハーマンさん(中央)。

彼は、旧日本軍の戦車を何台か所有しており、それらから部品取りして、レストアした1台はきれいに塗装されており、エンジンも換装されているため、実際に運転することができると説明を受けた。まだまだ街中には、戦後60年以上も経っているのに朽ち果てた旧日本軍の戦車の残骸が、キャタピラの付いたまま放置されていたり、山側へ入ったところには105mmの大砲の残骸も放置されていたりした。

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リストアされた旧日本軍の戦車。

その日の夜には、ハーマンハーマンさんがサウスパークホテルまで訪ねてきてくれ、海老原さんらのシャックで再度のアイボールQSOを楽しんだ。その際、現地人でV63のコールサインを持つのは彼だけで、他の現地人で趣味として無線をやっているのは、全てCBだと聞いた。これは、ミクロネシア連邦では試験が実施されておらず、ハムの免許を取るにはマーシャル諸島のマジュロまで出かけなければならないのが理由とのことだった。

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ホテルを訪ねてきたハーマンハーマンさん。後列は左から岩本さん、野原さん、川村さん、山本さん、海老原さん。

[撤収]

滞在5日目の8月3日も、海老原さんは運用をしていない時間を利用して、ドイツ人墓地、ドイツ鐘楼、ポンペイ戦争博物館、日本軍占領時代の国民学校跡、戦勝を祈願した神社跡などの観光地を訪れた。滞在6日目の8月4日は終日外出をせず、最後の追い込みでQSOに励んだ。他のメンバーも、ダイビングに行った川村さんを除いて、この日は無線機に張り付いたという。

滞在最終日の8月5日は、オペレート中の写真を皆で撮り合ったり、QSLカードに使う写真を外に撮りに行ったりなどした。アンテナ類の撤収は、スコールがしょっちゅうあるので、早めに取りかかった。ただし、その後さらに1週間、ダイビングが主目的で単独で滞在する川村さんのために、ワイヤーアンテナ1本と同軸ケーブルは残しておくことにした。

梱包に関しては、出発時の京都では重量計で計りながら、すべての荷物が23kg以内に収まる様に梱包したが、帰路のホテルではその様にはいかず、できるだけ出発時と同じになるように梱包した。しかし、土産品などが増えていたため、なかなか上手く収まらず、ある程度妥協して詰め込まざるを得なかったが、これが帰国時の空港で引っかかることになった。

[最後の晩餐]

この日は最後の晩餐になるため、その後もしばらくポンペイに滞在する河瀬さん夫妻を、サウスパークホテルの道路を挟んで向かい側にある、クリフレインボーホテルのレストランに招待した。このレストランのメニューにもエビフライ定食とか天ぷら定食、刺身定食などの日本食の文字が並んでいた。ただし、サウスパークホテルのレストランよりはやや高級感があるテーブルクロスが使われていたり、それなりの服装をしたウエイターが注文を取りに来たりするなど、少々高級感が感じられた。

その場で河瀬さん夫妻に、改めて今回の運用に対する協力に謝意を伝え、帰国後のQSOを約束した。そして、1週間の運用の報告や、その間のできごとなどを話し合ったという。搭乗便は深夜の1時30分出発なので、清算を済ませてホテルをチェックアウトし、ホテルの送迎車で空港に着いたのは0時少し前だった。空港にはケニー大村さん夫妻が子供と一緒に見送りにきてくれた。また、観光の途中で訪問したウェネ小学校の校長先生も見送りにきてくれた。

[重量超過]

深夜にもかかわらず狭い空港ロビーは人でごった返していたが、機内預けの荷物の計量時に恐れていたことが起こってしまった。ホテルでの梱包時には重量計がなかったため、妥協して詰め込んだ海老原さんのスーツケースが重量超過となり、150ドルほどの超過料金が発生すると言われた。

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混雑していた帰路のポンペイ国際空港。

そのため、すでに計量を終えてカウンターの中に入ってしまっていた、他のメンバーのスーツケースを再度出してもらい、梱包をやり直した。意外に重量がかさむ同軸ケーブルは土産物屋でビニールバッグを購入し、機内持ち込みの手荷物にするなどして、全部の荷物を23kg以内に抑えることができ、何とか超過料金なしで乗り切ることができた。「一旦預けた荷物を再度出してもらうことなど、大きな空港では間違いなく断られると思いますが、おおらかな対応で助かりました」と海老原さんは話す。

帰国便もグアム乗り換えで、中部国際空港にほぼ定刻で到着し、ミクロネシア連邦への京都クラブ創立60周年記念運用は、無事に終了した。京都駅で解散する際には、「70周年の時には、今度はマーシャル諸島で、 V70のプリフィックス取得にチャレンジしようという話が、早くも出ました」と海老原さんは笑って話す。

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